育てようとしていなかった、という話。

父と娘

娘を育てようと思ったことが、あまりない。というか、ほとんどない。

あ、これは育児放棄の告白ではありません(笑)。ただ、「こう育てよう」「こうなってほしい」という青写真を、真剣に描いたことがないのです。

娘は娘で、僕とは別の人間です。親があれこれたくらんだところで、思うようになるわけがない。自分自身を見ていると、強烈にそう思う。自分の親のことを、僕は完璧に反面教師としてとらえていますから(笑)

「勉強しろ」と言われ続けた

親から言われ続けたのは、勉強しろ、いい大学へ入れ、いい会社へ入れ、そうすれば安定した暮らしが送れる——ということでした。

強い反発を覚えていました。

安定した暮らしより、幸福な毎日のほうが大事じゃないか。いまわの際に「ああ、いい人生だった」と思えるかどうかのほうが、よほど大切じゃないか。親は子どもにそれを教えるべきなんじゃないのか、と。

まあ親自身が答えを持っていなかったから、「勉強しろ」一辺倒になったのでしょう。それはわかる。でも僕は娘に、同じことはしたくなかった。

だから「勉強しろ」とは一度も言いませんでした。むしろ、いやならやらなくていいと言っていた。それより大切なのは、ひとりの人間としてどうあるかだと。社会的な地位やお金より、君が幸せに生きていけるかどうかのほうが、君にとってずっと重要だと。パパもそれを願っていると。

はやま

ただこうも言いました。本当に勉強したくなるのは、本当の勉強が始まるのは、大人になってからだ。そのとき勉強の仕方を知らないと途方に暮れるかもしれない。いま学校の教科書で得た知識は社会に出てから役に立たないかもしれないけれど、勉強してきた頭は役に立つ。だから無駄ではないよ、と。

センス・オブ・ワンダーを、一緒に

ただひとつだけ、与えてあげたいと思っていたものがあります。

自然と触れ合うことでしか得られない、特別な感覚。都会ではなかなか育たない、心の余白。レイチェル・カーソンが「センス・オブ・ワンダー」と呼んだもの。

この感覚が、僕自身をずっと支えてくれてきました。人生の艱難辛苦を乗り越えてこられたのも、これがあったからだと思っている。だから娘にも、同じものを渡せたらと思っていた。

海へ行き、山へ登り、虫を追いかけた。正直に言うと、自分が楽しかったからというのが一番です。でも、その時間を娘と共有したかったというのも、わりと強くありました。

で、娘のセンス・オブ・ワンダーはどうなったか。

知りません(笑)

いまは都会のポップカルチャーとファッションに夢中で、ダイエットに励んでいます。別に太っていないのに。でも僕のつくるごはんは「おいしいです!」と言って食べてくれるから、まあいいか、と思っています。

Let It Be

子育ての方針を聞かれると、困ります。方針らしい方針がないから。

強いて言えば、Let It Be。あるがままでいい。なるようにしかならない。別の人間なんだから、親が思うようにはならない。それで全然かまわない。

このカテゴリー「育てる」には、娘と過ごしてきた時間の記録が入っています。山の記録、虫取りの記録、絵本の話、食卓の話。子育て論でも育児指南でもありません。ただの記録です。でもその記録の中に、僕なりの「育てる」があるとすれば——。それはたぶん「一緒に楽しんだ」ということだけでしょうね。

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