行ってみて初めてわかることがある。尾瀬もそのひとつだった。
音楽の教科書に載っていた「夏の思い出」で名前は知っていた。写真で見たこともあった。けれども実際に木道へ足を踏み出し、水芭蕉の群生を目の前にしたとき、これは来ないとわからないと思った。
娘を連れて行ったのは六月の初旬、水芭蕉のハイシーズンだ。見晴のテント場で一泊して、二日かけてゆっくりと歩いた。
尾瀬ヶ原ってどんな場所?
尾瀬は群馬、福島、新潟、栃木の四県にまたがる国立公園だ。
標高千四百メートルの盆地の底に広大な湿原が広がり、西には至仏山(二二二八メートル)、東には燧ヶ岳(二三五六メートル)がそびえ立つ。
でも、そういう説明を読んで来る場所ではない。どこまでも続く緑の湿原。木道の両側からせり出す水芭蕉。その向こうにどっしりと構える燧ヶ岳。
空がやたらと広い。風がちがう。においがちがう。東京からたった数時間で、こんな場所に来られるのかと驚いた。
別世界の入口、山の鼻へ
尾瀬ヶ原への玄関口は鳩待峠(一五九一メートル)だ。マイカー規制があるため、戸倉の駐車場に車を停めて、シャトルバスか乗り合いタクシーで向かう。
鳩待峠から湿原の入口にあたる山の鼻までは約一時間。ブナやミズナラ、ダケカンバ、シラカバの生い茂る原生林の中を、川に沿って下っていく。

湿原もいいけれど、この区間もとても気持ちがいい。木の間から差し込む光、川のせせらぎ、足の下の木道の感触。まだ湿原に出てもいないのに、もうここから別世界なのだ。
娘は黙って歩いていた。ふだんはしゃべりっぱなしの子が、静かに歩を進めている。うるさい場所では騒ぎ、静かな場所では静かになる。子どもは正直だ。なにやらおかしくて、後ろから離れてついていった。
山の鼻に着くと、眼前に尾瀬ヶ原が広がった。視界が一気に開ける。ずっと向こうに燧ヶ岳。今日の宿泊地はあの山の麓だから、まだ先は長い。湿原のそこかしこにある池塘——湿原にできる小さな池沼からは、カエルの大合唱が聞こえてくる。


水芭蕉の海のなか、木道を往く
六月初旬の尾瀬ヶ原は、水芭蕉の最盛期だ。道の両側、池塘のほとり、少し離れた湿原の奥にまで白い苞葉が広がっている。

あの白い部分は花びらではない。仏炎苞と呼ばれる葉の変形したもので、中心の棒状の部分が本当の花の集まりである。水芭蕉の花は白いゆりかごに包まれて、教科書の「夏の思い出」の歌詞にあったように、本当に夢を見ているようだった。
しゃがんで嗅いでみたら、かすかに甘い匂いがした。娘はしばらく、水芭蕉の前にかがんだまま動かなかった。草花にはふだん、さして興味を示さない子なのに、じっと見て匂いを嗅いで、また見ている。我が子が黙って花を見ている。その姿に、なぜかじんとしてしまった。

牛首分岐を過ぎて、龍宮十字路へ。このあたりから先は日帰りハイカーが少なくなり、湿原が静かになる。雪の残る至仏山が気になって、何度も後ろを振り返りながら歩いた。

見晴のテント場に泊まる
見晴は、湿原の奥にある山小屋群だ。六軒の小屋が立ち並び、南側にテント場がある。テントを張って、徒歩数分で山小屋の食堂やカフェが使える。山のテント場にしては、ずいぶん恵まれた環境だ。
いよいよその見晴が目前に迫ってきた。

そのとき、ふいに娘が言った。
「パパ、ここ、いいね」
「どこが?」と聞くと、また「いいね」と返ってきた。
「うん、いいね」とだけ返しておいた。

幕営を済ませて、遅めの昼食にした。献立はもちろん一汁三菜、ではなく、ヤマメシの定番、カップ麺とおにぎりだ。山で食べると、何でも感動するくらいうまい。
腹ごなしに近所を散歩して、桧枝岐小屋の喫茶に寄った。僕はビール、娘はホットチョコレート。誰もいない店内で呼び鈴を鳴らすと、お兄さんが階段をドドドドッと駆け下りてきてくれた。
山で飲む酒もうまい。なぜあんなにうまいのか。疲れているから。空気がいいから。景色がいいから。ぜんぶ当てはまる。でもそれだけでは説明がつかないくらいうまい。

夕方、弥四郎小屋の前のベンチに陣取って、夕飯の支度をした。湿った大気に夕日がきらきらと反射している。この景色を見せたくて来たんだ、とひとりごちる。
夕飯はレトルトのカレーだが、山ではこういうものがすばらしくうまい。さきほどから「うまい」を連発しているが、うまいものはうまいのだ。娘はあっという間にたいらげ、僕の分も半分持っていった。


テントに戻ると、夜の八時半を回っていた。娘はそそくさと寝袋に潜り込んだ。さすがに疲れたのだろう。
夜、外に出ると星が出ていた。星がきれいだよ、と声をかけると、寝袋にくるまったまま、顔だけ出してきた。

朝もやの漂う湿原と、娘の言葉
二日目の朝は快晴だった。前日と同じ景色なのに、光の質がぜんぜんちがっていた。朝もやが湿原の上に薄く漂っていて、燧ヶ岳が白く輝いている。
それをちらちら見ながらテントを撤収し、僕たちは帰路についた。
帰りはヨッピ吊橋を経由するルートにした。前の日とはちがう道を歩くと、同じ湿原がまた別の顔を見せてくれる。東電尾瀬橋にさしかかると、ドドーッと迫力のある水音が耳朶を打った。この橋を渡ると新潟県だ。尾瀬ヶ原で新潟県なのはこのあたりだけである。

娘の足どりはしっかりしていた。一年前、木曽駒ヶ岳のテント場で泣きべそをかいていたのがうそのようだ。成長したんだなあ、と後ろ姿を眺めていたら、急に胸がいっぱいになった。年のせいだろうか。振り返ると、燧ヶ岳が池塘に映っていた。逆さ富士ならぬ、逆さ燧だ。


沼のほとりで休んでいたとき、娘がさらっとこう言った。
「パパ、連れてきてくれてありがとね。こんなきれいな景色が見られてうれしいよ。ほんとにありがと」
涙がこぼれそうになった。やっぱり年なんだろう。老い先はあとどのくらいだろうか。
イワツバメと、娘の隠れた才能
山の鼻に戻って、花豆ソフトクリームを食べた。小豆アイスのような風味で、これが妙にうまい。

食べ終わると、娘がトイレに立った。
ところが十五分経っても戻ってこない。ようやく帰ってきたから、「なにしてたの?」と聞くと、「こっちきて」と手を引っ張られた。
連れて行かれたのは至仏山荘の軒下だった。イワツバメが十数羽、人を気にするふうもなく飛び回っていた。普通のツバメより小さくてずんぐりしていて、腰のあたりが白い鳥である。軒下に巣をつくって子育てをし、秋口になると海を渡っていく。

「ね、ぜんぜん逃げないんだよ」娘が言う。
その言葉を証明するように、一羽が娘のそばに降りてきて、顔を上げ、さえずりはじめた。すごいな、と思って僕が近づいたら、一斉に飛び去った。
娘をサーカス団に売ろうと決心した瞬間だった。
子どもと尾瀬を歩くこと
尾瀬では、僕は娘に何も教えなかった。水芭蕉の花の仕組みも、地図の読み方も——。ただ一緒に歩いて、一緒に立ち止まって、同じ方向を見ていただけだった。
花の前でかがむのも、鳥に近づくのも、「ここ、いいね」とつぶやくのも娘が一人でやったことだ。親にできるのは、いろんなところへ連れ出すことくらいのものだろう。それで帰り道にありがとうと言ってもらえるなら、こんなに割のいい話はないと思う。
今度は尾瀬沼まで足を伸ばそうか。ニッコウキスゲの咲く季節に——。
- 子どもと、山の上で一泊してきた。木曽駒ヶ岳テント泊登山の記録【準備編】
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