食べ物の本を探しに図書館へ行ったついでに、育児書のコーナーをのぞいてみた。
子育てに関する本がたくさんある。何冊かを手に取ってぱらぱらとめくってみた。
正直、少しうんざりした。
ページを開くと、データとエビデンスがならんでいる。専門家が「科学的に」子育ての悩みを解説している。それ自体が悪いわけではない。ただ——体験から汲みあげた言葉が、ほとんどない。
ある本では、子育て界隈で名の知れた人が育児論を展開していた。僕は、その人を個人的に少し知っている。人として、どうかと思ったことが、一度や二度でなくある(笑)。でも、立派な「専門家」として持論を展開している。
本を棚に戻して、帰宅した。
世界は、設計図どおりには動かない
その夜、酔いながらぼんやりと考えていた。
なぜこんなにも、世の中は「正解」を求めるのだろうか。なぜ育児でさえ、マニュアルで必要なのだ。
たぶん、この世界を大きな機械だと思っているのだろう。
マニュアルを持っていれば、設計図通りに動かせるし、故障したら部品を取り替えればいい。バグがあれば修正すればいい。それで万事解決だ——と。子どもも、親も、家族も。正しい手順を踏めば、思い通りになるはずだ、と。
でも、世界は機械ではなく、人生はプログラムではない。
落ちてこなかった石ころのこと
坂道を転がる石ころがある。ほとんどは麓まで落ちてくる。でも、たまに途中の草むらに引っかかって止まるものもある。
僕らは、落ちてきた石しか数えていない。止まった石は、カウントされない。
「正しい食事をしたから健康になった」「科学的な子育てをしたからうまくいった」——そうい話をよく耳にする。同じようにやってうまくいかなかった人は、たいてい話題にならない。
僕らの経験の集積なんて科学よりもっとずさんで、所詮は最大公約数的なものだ。それを人生全般に適用できると考えるのは、傲慢すぎるかもしれない。
自然法則でさえ、ヒュームに言わせれば「習慣による予断」にすぎない。太陽が明日も昇ると確信できるのは、論理的な必然ではなく、ただそれまで裏切られたことがなかっただけだ。まして人間の経験則で、子どもの成長を思い通りにできると考えるなど——。
宮崎駿も、レイチェル・カーソンも、同じことを言っていた
先日、宮崎駿さんの対談記事を読んでいたら、子どもを自然と触れ合わせることの大切さについて、熱く語っていた。レイチェル・カーソンも著書『センス・オブ・ワンダー』のなかで同じことを言っている。
世界の不思議を発見する能力や、神秘や驚きに目を見張る気持ちは知識よりずっと大切で、大人になってからでは獲得しにくい。
僕もそう思う。
でも、育児本や育児メディアが伝えるのは、そういう話ではい。「正しい方法」で「科学的に」子どもを育てる話ばかりだ。世界は理屈で説明できて、知識さえあれば思い通りになる——そういう前提で語られていく。
コントロールできない、ということ
世界も、人生も、子どもも、だれにも予測不能なものだ。それは欠陥じゃなくて、この世界の本性だと思う。
思い通りにならなかったとき、自分を責める前、他人を責める前に少し立ちどまってほしい。そもそも、思い通りになるような世界じゃないのだから。
深い酔いのなかでぼんやりとそんなことを思って、なんだか少し楽になった。
コントロールできない、という事実が、怖さではなく、解放感に変わる瞬間というのがある。
設計図通りに動かせなくて当然の世界で、それでも今日、子どもたちは笑っている。
落ちてこなかった石ころの話は、いつかもう少し続けてみたい気がしている。
はやま
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