食べて、貼って、1200年。ばあちゃんの炒り煮と、こんにゃくという執念の食材

こんにゃくの炒り煮

子どものころ、祖母がよくこんにゃくの炒り煮を作ってくれました。細長く切ったこんにゃくを、醤油と酒とみりんと鷹の爪で甘辛く煮つけて、仕上げにゴマをふる、あの副菜です。

当時の自分には、まったく響かなかった。こんにゃくなんて味もないし、なんでわざわざ食べるんだろうと思っていました。

それがいま食べると、おいしい。噛むたびに味がじわりとしみ出てきて、ゴマの香ばしさが後からついてくる。気づけば、やさしい祖母の笑顔が浮かんでいます。

食べ物が記憶を運んでくる。こんにゃくはわたしにとって、そういう食材です。

ただ今日は、そういう話だけではありません。こんにゃくには、記憶以上のものが詰まっている。人間の執念と知恵が、ぎゅぎゅっと詰まっているのです。

そもそも、食べられないものだった

こんにゃくの原料はこんにゃく芋です。見た目は素朴なイモですが、生のままかじろうとすると大変なことになります。アクが強烈で、口の中がひどくかぶれる。シュウ酸カルシウムという成分が針状の結晶を形成していて、皮膚や粘膜を物理的に刺激するのです。

つまり、そのままでは到底食べられない。

それでも昔の人は食べようとした。すさまじい執念です。

芋をすりおろし、お湯で練り、石灰水(消石灰を溶かした水)を加えて固め、さらに熱湯で煮て灰汁を抜く。この工程を経てはじめて、あのぷるりとしたこんにゃくが生まれます。石灰水がアルカリ性のため、アクの成分が中和されて食べられるようになる仕組みです。

1200年以上前、奈良時代にはすでに食べられていたという記録があります。どれだけの試行錯誤があったのか。想像するだけで頭が下がります。

はやま

人間ってすごいと思うのは、こういうとき。食べられないものを、執念で食べられるようにしてしまう。

似たような話は、世界中にあります。

南米やアフリカで主食とされるキャッサバは、生のままだとシアン化水素(いわゆる青酸)が含まれています。それを、すりおろして絞って干して加熱する、という複数の工程を経て安全に食べられるようにした。中米ではトウモロコシを石灰水で処理する「ニクスタマリゼーション」という技法が生まれ、それをしないと栄養が吸収できないことを、長い経験のなかで学んでいった。

沖縄では、猛毒を含むソテツを何日もかけて水にさらし、毒を抜いて食べた時代があります。飢饉の食料として。命がけの知恵です。

どの民族も、食べるものがないとき、あるいは食べたいとき、毒や強烈なアクに屈しなかった。日本人が特別なのではなく、人類みんなそういう執念を持っている。こんにゃく芋を食べようとした誰かも、その一人です。

茨城の山間部で、こんにゃくの製造現場に立つ

奥久慈のローカル線の車窓

以前、仕事で茨城県の久慈山地の奥まで入ったことがあります。こんにゃくにまつわる伝統食品の継承者を訪ねる取材でした。

晴れわたる深山のなか、渓流沿いを走るローカル線に乗って、駅弁をつまんではお茶を啜る——そういう場所です(笑)

その取材でこんにゃくの製造工程を間近で見て、知らなかったことをたくさん教わりました。

まず驚いたのが、生芋から作るこんにゃくの手間です。すりおろした芋をお湯の中で練っていくと、主成分であるグルコマンナンが徐々に水を吸って粘りが出てくる。そこに石灰水を加えて木枠に流し込み、固まったら熱湯で煮て灰汁を抜く。さらに石灰水に数日漬けてから、ようやく成形できる状態になります。

職人が攪拌棒で芋を練る動作は、船を漕ぐようなゆっくりとした一定のリズムでした。気泡が入ると品質が落ちるため、力任せではなく、芋の状態を感じながら進める。気温や湿度、その日の芋の質によって、湯の量や混ぜ方を変えるといいます。

はやま

こういう「職人の目と手」に出会うたびに、機械化できないものの価値を考えさせられます。

ここでひとつ、知っておくと役立つ話を。

現在、市販のこんにゃくの九割近くは、生芋ではなく「粉こんにゃく」から作られています。芋を乾燥させて粉末化したものです。製造が効率的で機械化しやすく、あのぷるりとした食感も再現できる。品質は安定していて、普段使いには十分です。

一方、生芋こんにゃくは、芋本来の風味とやや異なる食感があります。わたし自身は何となく生芋のほうが好みですが、正直、劇的なちがいかというとそこまででもありません(笑)

「腸の砂おろし」——食べることで体を整える

こんにゃくが「体にいい」と言われる理由の中心は、グルコマンナンという食物繊維です。

グルコマンナンは水を吸うとゲル状になり、腸の中をゆっくりと移動しながら、不要なものを絡めとって外に出す働きをします。昔から「腸の砂おろし」と呼ばれてきたのはこのためで、腸が気になる方、便秘がちな方にはとくに向いている食材です。

薬膳・漢方の世界でも、こんにゃくは「体内の老廃物を外に出す食材」として位置づけられています。五性(食材の性質)では「寒」——体を冷やす方向に働くとされているため、冷えが気になる方は生姜や鷹の爪など温性の食材と組み合わせるのがおすすめ。おばあちゃんの炒り煮に鷹の爪が入っていたのは、実に理にかなっていたわけです(笑)

注意点がもうひとつ。こんにゃくは「陰性」の食材でもあり、腸がゆるんでいるタイプの便秘や、下痢のときには避けたほうがいいとも言われています。何でも食べれば食べるほどいい、ということはなく、自分の体の状態を見ながら使うのが賢い付き合い方です。

食べるだけじゃない——「貼る」こんにゃく

こんにゃくへの執念は、「食べる」だけでは終わりませんでした。

自然療法やマクロビオティックの世界では、こんにゃくを温湿布として体の外から使う方法が古くから伝えられています。「こんにゃく温湿布」と呼ばれるものです。

やり方はシンプルです。こんにゃくを塩少々を入れた湯で15分ほどよく煮て、タオル2~3枚にくるみ患部に当てる。じんわりとした熱が体の芯まで届き、内臓を温めてくれると言われています。30分経ったら、冷たく絞ったタオルで患部を冷やします。

自然療法の文献では、おなかや腰回り(腎臓)の疲れ、冷えからくる不調、慢性的な疲労感などに用いる方法として紹介されています。こんにゃくは熱を保ちやすく、湯たんぽのように繰り返し使えるのも特徴です。

こんにゃく温湿布の手順

ただし、いくつか守るべきことがあります。

使い終わったこんにゃくは食べないこと。温湿布に使ったものは食用には適しません。脾臓(左脇腹あたり)は温めず、冷たいタオルで冷やします。熱すぎる場合はタオルを重ねて調整し、低温やけどに注意してください。食後すぐや体の不調が強いときは避け、気になることがあれば医療機関に相談を。

はやま

「食べて余ったら貼る」ではなく、専用のこんにゃくを用意するのが基本です。わが家では冬場に試してみました。じんわり温まる感覚が気持ちよかったです。こんにゃくをそこまで使い倒そうとした昔の人の執念深さ、もとい、深い知恵には素直に感心します。

食べるだけでなく、薬としても使う。アクが強くて食べられないものを食べられるようにして、さらに体を癒す道具にまでした。こんにゃくへの情熱、どこまで続くんだという話ですよね。

わが家のこんにゃく事情

正直なところ、取材で製造現場を見るまで、こんにゃくはおでんでしか食べていませんでした。あの独特の食感と、積極的に主張しない味わいが、どうにも地味に感じていた。

それが、生産者の話を聞き、製造工程を間近で見て変わりました。あれだけの手間と知恵が詰まっているものを、地味のひとことで片付け、見向きもしなかったとは。こんにゃくに土下座したい気分になりました。

それ以来、冷蔵庫に常備するようになって、煮物や味噌田楽、夜のおつまみ代わりにもなっています。おでんは冬場、月五回くらい食べています。こんにゃくのためだけに作るといっても過言ではない。それは言いすぎか(笑)

こんにゃくは味噌と同様、昔ながらのシンプルな食材です。腸の調子が気になる方にも、日常的に取り入れやすい。難しく考えずに、おでんに入れるところから始めてみてください。

はやま

もし家族がいつもカッカイライラしているようなら、こんにゃくを食卓に毎日出し続けてみてはいかがでしょう。腸がきれいになれば、心も穏やかになるかもしれない——というのは半分冗談ですが、半分は本気です。わたしの祖母があんなにやさしかったのも、もしかしたらこんにゃくを毎日食べていたからかもしれません(笑)

食べ物は、記憶を運んでくる

こんにゃくの炒り煮を作るとき、わたしは祖母の手順をなんとなく思い出しながら包丁を動かしています。鷹の爪を入れること。ゴマを最後に振ること。子どものころに見ていた光景を、いつの間にか体が覚えていた。

食べ物は情報でも記録でもなく、記憶を運んでくるものだとわたしは思います。食べるたびに、誰かの顔が浮かぶ。誰かの台所の匂いがよみがえる。

1200年以上、日本人に食べ続けられてきたこんにゃく——。それだけ長く、誰かの食卓にあり続けたということは、誰かの記憶の中にずっとあり続けたということでもあります。

地味な食材だなんて、もう思いません。