娘とお伊勢参り:神道と日本人のルーツをたどる旅(ほんとはただの伊勢神宮・パルケエスパーニャ旅日記)

伊勢参り

30代のころ、取材で「神道しんとう」という日本古来の宗教の存在を知りました(その話はこの記事に)。

その神道を代々継承してきたのが、わたしたちにとって身近な存在である神社。神社は自然界にあまねく存在する八百万やおよろずの神々との交流の場で、古くから村落の祭りの中心として、人々の魂が交流する場でもあったそうです。

そんなことをいろいろと調べていたら、全国に約8万社あるそんな神社の頂点が伊勢神宮だと知りました。それでどうしても行ってみたくなった。まだ行ったことがなかったからです。

伊勢神宮は、古くから日本人の心のふるさととして、「お伊勢さん」と呼ばれ、親しまれてきました。神道においても特別な聖地です。たんに「神宮」という場合、この伊勢神宮のみを指します。

ひとりで行くのも寂しいので、ちょうど春休みで暇を持て余している娘を連れていくことにしました。事前に調べたら、東京から高速道路で5時間ちょっとのよう。

妻はお留守番です。というか、フルタイムで働く会社員なので、いきなり4日間も休めません。こういうとき、フリーランスであることを神さまに感謝しますね(笑)

これは僕を含めた日本人のルーツをたどる旅路。

では、はじめましょう。

はやま

お正月、初詣、節分と節句、お宮参りに七五三、お守り、おみくじ……。日ごろから神道の思想に囲まれて暮らしているにもかかわらず、わたしたちは神道のことをほとんど知りません。いい機会かもしれません。あなたの体にも先祖代々受け継がれてきた、神道の教えが息づいている。ぜひ最後までおつきあいください。

1日目:国道1号線をひた走り、途中から東名へ

僕はクルマで地道を走るのがとても好きです。景色が楽しめるから。高速はたしかに便利ですが、その土地その土地に暮らす人々の息遣いや生活感が感じられません。生活空間の上を一気に走り抜けてしまう。

今回は東京から下道をひた走り、国道134号線へ。江の島を左手に臨みつつ、国道1号線へ合流。とても気持ちがいい。しばらく走って、静岡のコンビニで朝食を調達。ゆっくり食べてから東名高速道路に乗りました。

この時点ですでに6時間以上が経過していました。高速を使えば東京から伊勢まで5時間ちょっと。下道だとそうはいかない。この時点でちょっぴり後悔していました(笑)

なにしろ一睡もしていません。出発は朝5時前。3時出発予定でしたが、娘がもたもたしていたので、その時間になってしまった。

浜名湖サービスエリアで娘が浜名湖を観ている
浜名湖サービスエリア。現在11時半。徹夜明けの頭と体が、そろそろ悲鳴をあげています。ブラックコーヒーをしこたま飲んで、カフェインでなんとか眠気をふりおとす。妻がいれば、運転を任せて仮眠がとれるのですが、残念。こういうとき、パートナーのありがたみを痛感

伊勢のホテルに着いたら夕方でした。この日はホテル近くのお店で、伊勢志摩の海の幸、松坂牛に舌鼓。地酒も少々。いやあ、沁みましたね。そのあとの記憶がまるでない(笑)

2日目:外宮と内宮を参拝

伊勢神宮は、大きく分けて内宮ないくう外宮げくう、計125の社宮で構成されています。

お伊勢さんへのお参りはまず外宮、ついで内宮というのが古くからの習わし。「外宮先拝」といいます。

外宮の正式名称は「豊受大神宮とようけだいじんぐう」。天照大神の食事をつかさどる豊受大神とようけのおおみかみをまつっています。内宮ができてから500年後に現在の場所「山田原」に創建されたそうです。ちなみに豊受大神は、衣食住などすべての産業の守り神。

内宮は、皇室の御先祖である天照大神あまてらすおおみかみをまつる場所。天照大神は、日本に住む八百万の神々の頂点に立つとされています。さらに三種の神器のひとつ、「八咫鏡やたのかがみ」が御神体として奉安されてもいます。

内宮は、五十鈴川いすずがわの川上で1500年(創建時期についてはいろんな説がある)ものあいだ、古代のたたずまいを守り続けています。つまり1500年前の人たちと同じ景色を見ていることになる。そう考えると感慨深いものがあります。

午前中、外宮へ

2日目は朝から外宮へ向かいました。

空気は凛と冷たく、自然と背筋がすっと伸びていく感じがあります。

手水舎
手水舎ちょうずやでまずは心身を清めます。喉が渇いていたのか、柄杓に水をすくってそのまま飲もうとしたので、あわててとめました。「冗談だよ」と娘。「おい」とわたし。左手、右手の順番に手を清めてから、左手に水を入れて口をすすぐ。最後に左手を洗い流す。これが手水の作法

鳥居を抜けて、早朝のすがすがしい照葉樹林のなかを歩いていきます。

北御門口から南へ下る道。緑に包まれている
北御門口から南へ下る参道

森閑とした森の道を抜けて歩いていくと、外宮の中心である正宮しょうぐうが見えてきました。

二拝二拍手一拝(二礼二拍手一礼とも)でお参りします。「拝」は、腰を90度に深く折ってお辞儀。「拍手」は、両手を合わせ、右手を少し下にずらして2回打ちます。

小宮(しょうぐう)。娘が鳥居の前に立っている
外宮の正宮(本殿)。内宮とほぼ同じ建築様式の社殿。奥に御神殿があります。毎朝毎夕。天照大神ら神々をおまつりするための御殿で、毎朝、清浄な火「忌火いみび」をおこし、神饌しんせんがおそなえされています。なにか特別な空気を感じたのか、娘がじっと立ったまま微動だにしません

つづいて、風の神さまをおまつりする別宮「風宮かぜのみや」へ向かいます。

風宮
風宮の風の神さまは、鎌倉時代の元寇の折、神風を吹かせて日本を守ってくれたことで知られています。元寇(蒙古襲来)、その昔、学校で習いましたが、思い出すのは数十年ぶり(笑)

最近は本屋でも神道の関連図書がならんでいたりします。そういうブームの影響もあるのか、この日もたくさんの参拝客が列をなしていました。

多賀宮
多賀宮たかのみやは、外宮のなかでもとくに格の高いお社。豊受大神の荒御魂あらみたまがまつられています。荒御魂というのは、勇猛で活動的な側面の魂のこと。ちなみに正宮がまつるのは、穏やかな和御魂にぎみたま。ひとりの神さまにいろんな側面の魂があるということのようです。ピンとこない? わたしもです(笑)

目をつむって、ご神木になにか熱心にお願いをする女性の姿が印象的でした。この近くには、大土乃御祖神を祀る「土宮」もありましたが、そちらは撮影禁止につき写真はありません。

神楽殿
左の建物は神楽殿。ご祈禱のお神楽や御饌を行なう御殿です。鎌倉時代風の屋根が流麗で美しい。お札やお守りも販売しています。学業祈願か健康祈願か忘れましたが、娘にお守りを買いました。わたしもお札などいろいろ

売店の巫女さんのツンとした態度に、娘はちょっと動揺していました。神職だから? 格式と伝統の重み? 神社の頂点で働いているという矜持? 地元の神主さんはいつもニコニコされていますので、せめて子どもには少しばかり笑顔を向けてくれたらいいのになあ(笑)

午後は内宮へ

外宮をあとに今度は内宮へ向かいました。

かつては天皇以外による私的な参拝を禁じていた時期もあるそうです。でも鎌倉時代後期から庶民のあいだにも信仰が広まり、江戸時代には「おかげ参り」や「伊勢講」と呼ばれる集団参拝が空前のブームとなりました。

現在でも、家庭の神棚にまつるお札(神宮大麻じんぐうたいま)は、伊勢神宮から全国に配られています。

参道の入口あたりに車を停めて、長い表参道をぶらぶら歩いていくことにします。

内宮への参道
内宮への参道。このあたりはまだそれほど混雑していません

伊勢参りで有名なスポット「おかげ横丁」は表参道沿いにあります。いろんなお店が軒を連ねています。江戸時代末期から明治時代初期の鳥居前町の町並みを再現したということです。

おかげ横丁の案内板を見る娘

飲食店やスイーツ店、洋菓子店、B級グルメのお店、おみやげ屋さん、宝くじ売り場、射的、資料館といろいろあります。娘はスイーツ店にロックオン中

江戸時代、「一生に一度はお伊勢さん」と、伊勢参拝が一大ブームを巻き起こしたそうです。おかげ横丁には、約50の店が集い、「おかげ参り」時代の伊勢路の趣を再現しています。

おかげ横丁の様子
おかげ横丁。にぎわっています

おかげ横丁には飲食店も多く、いいにおいがしてきます。おなかが鳴りましたので、内宮参拝前にはらごしらえをすることにしました。伊勢名物の伊勢うどんをいただくことに。

お店で丼ものとのセットを注文。娘はおかげ横丁でイチゴパフェを食べたので、軽く出汁茶漬け。注文をとりにきたおばさんが下がったあと、娘がこっそりと耳打ちしてきました。

「あのおばさん、怖かったね。伊勢の女の人ってみんな怖いのかな」

外宮の巫女さんのことをまだ根に持っている様子(笑)。ただ関西のお店というのは、愛想がよくて当たり前。僕も「ん」とは思いました。まあ、ここは一見の観光客相手に商売していますし、ほうっておいてもお客さんがどんどんやってくる。愛想を振りまく必要はないのかもしれませんね。

「さっきのイチゴパフェ屋のおばさんはやさしかったじゃない。たまたまだよ」と言ったら、あ、そっか、と娘。

伊勢うどん
伊勢名物の伊勢うどんと、志摩名物のてこね寿司のセット。てこね寿司は、かつおの刺身の醤油漬けをご飯に乗せた漁師飯。志摩の伝統食です。このお店はまぐろでしたが(笑) そのほか、茶碗蒸し、小鉢、お吸い物、お漬物までついていました

お店を出て、内宮に向かいます。するとその手前にまたまた誘惑が待ち構えていました。

赤福本店
赤福本店です。赤福餅の。子どものころから大好物です

関西にいたころは、赤福餅をお土産にもらうことがわりとよくありました。「えじゃないか」のリフレインが頭をよぎります。藤田まことさんが歌う、赤福のCMソングです。わたしと同世代かそれ以上の関西人はみな知っています。

このとき僕の頭のなかで、何かがカチカチいいはじめました。

あれ、小学生のころ、自分も赤福を買ったことがある気がするぞ……。

赤福本店
はい、もちろんいただきました。娘はたぶん初赤福です。おいしそうに食べていました

赤福本店の奥には、喫茶スペースがあり、赤福餅が味わえるようになっていました。ほうじ茶付きです。有機栽培で育てられた、三重県産の伊勢茶だとか。冬場はぜんざいも楽しめます。

橋から桜
桜の季節。伊勢の桜も満開です。五十鈴川沿いにもソメイヨシノが咲き誇っていました

日本人の血脈に流れる自然観=神道の思想では、自然界のあらゆるものに神が宿ると考えます。これがいわゆる「八百万の神」の世界観。自然の神——山、川、海、木、岩など、自然現象や自然物そのものを神として敬いながら、さらに祖先神—— 亡くなった先祖も「神」となって、家や地域を見守る守護神になると考えます。

その特徴をひと言でいうと、「人間中心の宗教」といえるのではないでしょうか。

厳しい戒律で人間を縛るのではなく、周囲の人々への気配りや良好な人間関係を築くことを大切にする、人間中心の性格を持っている——。

そんなことを考えていたら、内宮への玄関口となる鳥居が見えてきました。大きいです。

内宮へ
五十鈴川に架かる宇治橋は、内宮の表玄関です。長さ100m以上。両端には鳥居——装飾の少ないシンプルな「神明鳥居」が立っています

ついさっきまで完全に観光気分でしたが、ここにきて神妙な気持ちが盛りあがってまいりました。神妙なのか盛りあがっているのかどっちだ? 両方です。

鳥居の前で一礼してから渡ります。

橋を渡りながら、娘に講釈を垂れることにしました。10歳の子どもにはいささか退屈な話かもしれませんが、せっかくお伊勢さんに来ているのです。少しくらいはね(笑)

トイレを掃除すると美人になる話

「トイレには神様がいる」ってママが前に言ってたよね。そういう歌が以前、流行ったから、それでママは影響を受けたんだと思うけど、実際にトイレは昔から「みそぎ」や「はらえ」といって、きれいさを保つ場所と考えられてきたんだ。

そういう場所を清めることは自分の心を清めることになる。だからトイレを一所懸命に掃除することで、清らかな心身と美しい容姿が得られると考えられているんだ。

「じゃあ、トイレ掃除したら私もママみたいに美人になれるかな」

「いまのままでも十分かわいいけど、もっとかわいくなるかもね」

「でもなあ。私、パパにそっくりだし、これからママ似になるなんてことあるかな」

「子どもは成長していくなかで、両親のどっちにも似る時期があるそうだよ」

笑って答えながら、内心、かなり傷ついていました(笑)

台所の「言霊」の話

言葉には霊力が宿るという「言霊ことだま」について前に話したことあったよね? 言葉には口にしたことを成就する力がある、だから嘘ばかりついてるとその力が消えてしまうよって。

おもしろいのは、食べ物の名前にもそういう考え方があらわれてるということ。たとえば「するめ」を「あたりめ」という。あれは 「する」という言葉には「お金を失う」という悪い意味もあるから、縁起のいい「当たる」という言葉に言い換えて「あたりめ」となったんだ。

「梨」を「有りの実」と呼んだりするのも同じ。そういう日常のちょっとした言葉遣いのなかに、家族の幸せを願う昔の人の思い、神道の知恵が隠れていたりするんだ。

「へえ。おもしろいね、ほかにもある?」娘が食いついてきました。

わたしは心のなかで小さくガッツポーズ。ネタを仕込んできた甲斐がありました(笑)

内宮へ
宇治橋も、社殿と同じく20年に一度、造り替えられます

この橋を渡ることは、日常の世界から聖なる世界へ足を踏み入れるという儀式的な意味合いもあります。あのビートたけしさんも以前、正宮の前で「頭が真っ白になった」と語っていました。

平安時代の歌人、西行法師はここを参拝した際にこんな歌を詠みました。

——「なにことのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」

この歌は、五十鈴川や神域の凛として気高い空気に触れたとき、わたしたち日本人が受ける感動や素朴な信仰心のありようを象徴していると思います。

宇治橋を渡ってしばらく歩くと、参拝前に心身を清める場所があります。清流で知られる五十鈴川、そのほとりで参拝客は手を洗ったり口をすすいだりしています。

そのときでした。記憶が全部よみがえったのは——。

ここ、来たことある! と。

そうなのです。小学校の修学旅行で来ていたのです。ついいましがたで完全に忘れていましたが(笑) 修学旅行では奈良の大仏にも行ったもので、そちらの印象が強くて、伊勢参りのことはすっかり記憶から飛んでいました。

五十鈴川
五十鈴川。投げ銭をしないでください、と書いてあるのに、投げ銭をしている人がいました。川底で小銭がきらきら輝いています

神道においてもっとも重要な概念のひとつに、「穢れけがれ」と「はらえ」——清潔さを尊ぶ精神というものがあります。

「穢れ」とは、生命力が枯渇した状態、あるいは罪や不浄な状態を指しており、忌み嫌われます。「祓」というのは、水で身を清めたり儀式を行なったりして、その穢れを払い、本来の清らかな状態に戻すことをいいます。

神社に参拝する際に手水舎で手を洗うのも、この「祓」を簡略化したものです。

というわけで、わたしたちも川のそばでしゃがみこんで、しつこいくらいによく手を洗いました。都会に暮らしていると、「穢れ」にまみれているような気もしないでもないから(笑)

そこから少し行けば、内宮の本殿である正宮に着きます。ここは天照大神の荒御魂をまつる場所。ひと言でいうと神さまが人間の世界にあらわれた状態です。つまり、すぐ目の前に天照大神がいらっしゃる。

そういうと、娘が階段を駆けあがっていきました。そして、わたしのほうを振り返って首を振る。「何も見えないよ」

正宮の中心の正殿は、四重の垣根に囲まれていて、本当に何も見えませんでした(笑)

内宮
階段の上に見えるのが本殿です。四重の垣根もさることながら、巨大なたれ布が視界をふさいでいるので、内部がどうなっているのかほぼわからない。娘が不平を漏らすのもわかる(笑) 神さまに聞こえるよ、といったら、ぎゅっと口をつぐんでいました。かわいい

二拝二拍手一拝。

内宮にはほかにも子安神社や風日祈宮かざひのみのみやなどがありますが、そちらには寄らず、神楽殿でお守りなどを買って、駐車場へ戻りました。

表参道
表参道は、相変わらず混んでいます。修学旅行でしょうか。高校生の姿もちらほら

参道を抜け、人混みから解放されたあたりで、娘がへたり込んでしまいました。疲れたのでしょうね。

道路でへたり込む娘
おつかれさまでした。今日は一日パパにつきあってくれてありがとう。あしたはとことん君につきあうからね

この日の予定はこれでおしまい。明日は志摩スペイン村のパルケエスパーニャへ行きます。

というわけで、車で志摩のスペイン村のホテルへ。着いて驚いたのが、そのホテル、閑古鳥が10羽くらい鳴いていました(笑) 宿泊プランに素泊まりしかなかったのもうなづけます。

チェックインして、食事ができる場所を求め、車で周辺をうろうろしましたが、驚くくらい食べるところがない。いや、スマホで調べるとあるにはあるのですが、このあたりは海鮮料理が中心で、娘は大の苦手。

結局、わたしはうなぎ専門店でうな重を買い、娘はうなぎもだめなので、コンビニでおにぎりとおかずとカットフルーツ。持ち帰ってホテルで食べました。

はやま

そのうなぎが、飛びあかるほどおいしかった。三河産のうなぎです。東京で暮らすようになって知りましたが、関東のうなぎはふわふわしています。焼く前に蒸すから。関西は蒸しません。最初から最後まで炭火で焼くだけ。だから身が引き締まる。歯ごたえがある。香ばしい。正直、関東よりはるかにうまい。好みの問題ですが、関東で生まれ育った妻も同意見です。実家でうなぎを食べたとき、驚嘆していましたから。うなぎってこんなにおいしかったのかと(笑)

三日目:志摩スペイン村(パルケエスパーニャ)

きょうは娘が楽しみにしていた、志摩スペイン村のテーマパーク「パルケエスパーニャ」に来ています。お伊勢さんだけで、父の旅行につきあってくれるわけがありません。これを餌に、あのピンクのジャンパーを釣りあげました(笑)

パルケエスパーニャのメインゲート前にあるドン・キホーテの像
パルケエスパーニャのメインゲート前。ピンクジャンパーをドン・キホーテが出迎えてくれます

来てみて驚いたのですが、がらがらでした。駐車場もすかすか。最近はこのころ(2019年)とは打って変わって、かなり盛況で、休日などは大混雑しているそうです。

志摩スペイン村
パルケエスパーニャ。エントランスを抜けてすぐのエスパーニャ通り

わたしも初めてきましたが、とにかく広い。東京ディズニーランドなどと違い、土地をぜいたくに使っています。でもたぶん、そう感じたのは空いていたからでしょうね。

娘にうながされるままにウォーターライドやシアター系のアトラクションなどをいろいろと楽しんだあと、たどり着いたのは円形劇場のような建物でのショー。座ってひと息つきます。

志摩スペイン村
「コロシアム」のショーの様子です。着ぐるみのキャラクターショーや、スペイン人エンターテイナーによるショーなどを上演していました

そこからまたお子さまコースターに乗ったり、レーザー銃みたいもので、次々に標的を倒していく屋内型アトラクションとか、3Dシアターとか、メリーゴーランドとか、なんとかクルーズとか……いろいろ行きました。

ただし娘は怖がりなので、絶叫系にはそっぽを向いていましたね。僕も最近は高所恐怖症ぎみでしたので、ちょうどいい。昔はあんなに絶叫マシンが好きだったのに(笑)

散歩道を歩いていると、どこからか童話を読む声が聞こえてきました。

志摩スペイン村
クエントスの森は、全長305mの散歩道

『オオカミと3匹の子ヤギ』『キツネがつくった王様のおふれ』『働き者のガチョウと怠け者のキツネ』『月をチーズだと思ったオオカミ』の4つの童話を聞きながら散策できるようになっています。

スペインのお話でしょうか。知らない話だからか、娘は熱心に聞いていました。

このあと、3Dトリックアートを体験できる屋内施設へ行きました。写真も撮りました。それがこちら——。

志摩スペイン村
台所がテーマの「コシーナ」、航海をテーマにした「コロン」、闘牛がテーマの「トロス」の3館があります。これは台所の3Dアートで、まあ撮影用ですね。それにしても、なかなかの演技派ぶり(笑)

きれいなチューリップが咲いていました。都会にあるテーマパークや遊園地と違い、志摩の大自然のなかにありますから、とにかくのびやか。人が少ないのも手伝って、疲れません。癒やされます。

志摩スペイン村
チューリップの花壇からその向こうに広がる山々を眺める娘。写真だけ見ると、本当に海外に行ってきたかのよう

メインの広場に戻ったら、パレードが始まっていました。子どもはこういうものを熱心に見ますね。娘も最後まで飽きずに見ていました。

志摩スペイン村
パレードです。スペインの人形で飾られた山車が一定間隔を置いて次々にやってきます

パレードが終わったので、「そろそろ帰るか」というと、娘は首を振り、意志を持って歩きだしました。

ついていくと——。

そこにはパルケエスパーニャが誇る絶叫マシン「ピレネー」の雄姿が。

「乗りたいの?」と聞くと僕をじっと見る。まさかね。「見るだけか?」と聞くと、「うん。見たいの。パパが乗ってるところ」と不敵な笑みを浮かべるではありませんか。

わたしの高所恐怖症を知っているくせに。つまりわたしは挑戦状をたたきつけられたということか。

挑発に乗るものかと思いましたが、わたしも20代のころは絶叫マシン命でした。あちこち遠出して乗りに行っていました。関西の有名な絶叫マシンはほぼ制覇してきた。だから正直いって、せっかくここまで来たのだから、話の種に乗っておくべきではないのか、という葛藤も人知れずあったのです。

しばらくフェンスの前に立って、遠くを見るふりをしながら、心を決めました。

「わかった」とひとこと言い残し、肩で風を切って乗り場へと向かいます。

志摩スペイン村
パルケエスパーニャが誇る絶叫マシン「ピレネー」。コース全長1234m、最高地点45m、最高速度100km/h、最高重力加速度4.3G。乗車時間3分15秒。吊り下げ型コースターでは日本一。開業当時は、世界最長、最速、最高だったそうです

吐きそうでした。

大人ですから、ぐっとこらえました(笑)

出口から青ざめた顔であらわれたわたしを見て、「だ、大丈夫?」と、娘は心配そうに背中をさすってくれました。

「大丈夫だよ……。パパ、こういう『祓』も体を張ってやるんだよ」そんな強がりをいいつつ、心のなかでは「もう二度と乗るもんか」と誓っていました。

そうしてパルケエスパーニャをあとにしました。

今夜は、車中泊を予定しています。

まずは伊勢湾岸自動車道に乗って、「刈谷ハイウェイオアシス」というサービスエリアへ。温泉と観覧車があることで有名です。フードコートで食事をして、天然温泉に浸かり、遊び疲れた体をゆっくりとほぐしました。

もちろん観覧車にも乗りました。それから車に戻って、おやすみなさい……。

翌日も基本的に地道を走って帰りました。気になったお店や施設があったら寄り道。道の駅や農作物の直売所を見つけたら、地場の朝どれ野菜や果物、地元のおばちゃんたちの手作り味噌やお漬物をどっさり購入。

そんなこんなで、気がつけば静岡を抜ける前に日が暮れようとしていました。

帰り道、高速から富士山
午後6時。サービスエリアを出たのは朝です。それがいまだに静岡県内。正面には富士山

まとめ、というかこの旅で感じたこと

今回の旅は、わたしたち日本人のルーツをたどる旅になるだろうと、最初に書きました。

でもいま、そういう感覚はわたしのなかにない。なぜだろうと帰り道、そして帰宅後も考えていて気がつきました。

わたしたちの体に染み込んでいる神道の思想は、体系化・パッケージ化された「宗教」とは異なるものだということに——。

神道という言葉が文献(日本書紀)に初めて登場したのは、6世紀後半のことです。それ以前は宗教という意識すらなく、空気や水と同じように当たり前にそこにある生活習俗だった。

アニミズム(万物に神が宿るという思想)を中心とした自然観、宗教観、死生観は、縄文時代からありました。自然そのものがご神体であり、巨岩、山、立派な大木などが神の降臨する場所とされた。

お祭りのときはその聖域に集まって、終われば解散。常設の建物は必要なかった。昔、和歌山の那智の滝に行ったことがありますが、建物ではなく自然そのものを拝むという古いしきたりをいまに伝えています。ほかにもそういう場所はたくさんある。

現在の「鳥居があって本殿がある神社」は、4~7世紀にかけて大和王権(皇室)が日本を統一していく際、統治のために神話を整理し、仏教というライバルが登場したあとに完成したものです(そういう説が濃厚)。

仏教(仏の道)という外来の教えが入ってきたことで、それと区別するために神道(かんながらの道)という概念が生まれた。

つまり伊勢神宮ができるずっと前、日本に皇室が誕生するはるか昔から、日本人のなかに息づいていた自然観や死生観、宗教観こそがわたしたちのルーツなのです。それは「神道」という言葉を超えたところにあるもの。生活そのものといってもいい。

伊勢神宮でわたしのルーツが見つからなかったのは当然だったのです。

とはいえ、あの土地に満ちる、背筋が自然に伸びるような厳粛な空気は本物でした。伊勢神宮にはぜひ行ってみてください。できれば、足を使って。ゆっくり時間をかけて歩くほどに、感じるものが深くなります。

帰りの車のなかで、娘はシートを倒して眠ってしまいました。寝顔を横目に、窓の外の暗い山並みを眺めながら思ったのです。この子の体にも、縄文の昔からつながる何かが、きっと流れているんだろうなと。