神隠しと隠れんぼ——異界を捨てた日本人

かくれんぼ

子どもの頃、「神隠しにあうぞ」と言われると、僕は本気で怖かった。黄昏時に外で遊んでいると、そのうち何かにどこかへ連れ去られてしまうような気がしたものだ。

どこへ? わからない。ただ、夕闇の迫る校庭や公園などに一人で立っていると、その何かがすぐ近くまで来ているようで、家に向かって一目散に走って帰ったことが何度もある。

黄昏時は「逢魔おうまが時」とも言う。昔の人たちは物の怪に遭遇したり災厄をこうむったりする時間帯だと信じていたからだ。その時間、子どもが隠れんぼをすると神隠しにあいやすいとも考えられていた。

黄昏時の語源は「誰そ彼時」。薄暗くて誰がいるのかよく見えないという意味である。

神の存在確認としての神隠し

昔の村落社会では、誰かが突然いなくなるようなことがあると、口々に「神隠しにあった」と言った。天狗、山姥やまんば、狐、河童——。神さまのみならず、こうした狐狸妖怪の類いに連れ去られたのだろうと。

民俗学者の小松和彦氏によれば、昔の村社会は、失踪事件が起きると神隠しにしようと待ち構えていたそうだ。神を信じていたからだ。信じているのに、神は姿を現わしてくださらない。失踪という不思議な出来事は、見えない神の存在を確認するのにうってつけだったのだ。

神隠しは、退屈な日常に興奮と陶酔、スリルをもたらす事件であったと、小松氏は指摘する。僕らがホラー映画やお化け屋敷を楽しむのと同じであり、神隠しという言葉にどこかしら甘美な響きがあるのもそのためだという。

だから神隠しにあった人たちが連れ去られる場所も、希望と絶望が混在するメタファーであった。物の怪に殺されてしまった、食べられてしまった、そんな悲惨な末期を思い描く一方、存外、楽園で享楽にふけっているのかもしれないぞと想像することもあったのだ。

ここまで書いてきて、ふいに思い出した。そういえば僕にもひとつ、神隠しの記憶があったことを。小学生の頃の話である。

隠れんぼ

カブトムシがいる、と学校で隣の席の子が言った。それでその日の放課後、祭りのときくらいしか来ない神社へ、幼なじみ三人と出かけた。

鎮守の森は日中でも薄暗い。樹液の出ている幹を一本一本確かめていったけれど、カブトムシなど一匹もいなかった。誰かが「おるわけないやん」と笑い、誰かが「隠れんぼでもしよか」と言った。

僕が鬼になった。社殿の柱に手をついて額を押しつけ、十数えた。目を開けて振り返ると、三人の姿はもうどこにもなかった。

蝉の声が、急に遠くなった。塀の向こう側の道を大人が二人か三人歩いているのが見えたが、神社の内と外では別の時間が流れているようで、妙に現実味に欠けていた。目の前には社殿があり、背後には手水舎があり、少し離れた場所には社務所もあるが、人っ子一人いない。僕一人、ぽつねんと佇んでいる。

本当に異界に迷い込んだような気がしていた。みんな手の届かないところへ行ってしまい、二度と戻ってこないのではないか。あるいは僕だけがみんなのところへもう戻れないのではないか。そんなふうに思うと、喉の奥が熱くなってきた。

「みーっけ!」

最初の一人を見つけたとき、声がうわずった。そいつの顔を見たとたん、世界がもとの色を取り戻した。蝉が元気に鳴いている。夕方のあかね色の光が境内を明るく染めている。二人目は手水舎の裏に、三人目は狛犬の後ろにいた。見つけるたびに心強くなっていった。あと一人だ。

ところが最後の一人がどうしても見つからなかった。やがて近所の家々に灯りがともりはじめた。仕方なしに僕らは走って家へ帰り、親を連れてきた。何事かと社務所から出てきた神主さんも捜索隊に加わった。

そいつはすぐ見つかった。社殿の床下のいちばん奥のあたりで、膝を抱えて眠り込んでいた。

引きずり出されるなり、その子はまくしたてた。床下の柱の陰に自分と同じ年頃の女の子がいて、「やっと代わってくれる子がきた」と言って這い出していった。すれちがうとき腕を触られたら体が動かなくなったと。

それを聞いて、また始まった、という顔を皆がした。そいつは近所でも有名なほら吹きだったからだ。

「黙らんかい!」

その子の父親が一喝した。「皆さんにこれだけ心配かけといて何を言い出すかと思たら。神社で消えた言うさかい、誘拐か神隠しかいうて大騒ぎやったんや。それやのに、お前はまたそんなしょうもない作り話をして」手に持った懐中電灯を振り下ろす仕草をした。

その瞬間、その子は両手で頭の上をガードしながら、どすんと尻もちをついた。

「いてっ!」

それを見て、みんな笑った。僕も笑ってしまったが、ちょっとだけ引っかかることがあった。そいつはそんな込み入った作り話ができるほど、器用ではなかったのだ。それから神主さんの顔が少しこわばっている気がしたからだ。

そのあと、そいつは僕らとあまり遊ばなくなっていった。それまで本なんかに見向きもしなかったのに、「いまこの本読んでるから、また今度な」と言って、誘いを断ることが多くなった。気がつけば成績は上のほうになっていたし、先生に褒められていた。両親は「あの子もやっと落ち着いてくれた」とうれしそうだった。

それでもたまに一緒に遊ぶことがあった。けれど以前とはなんとなく雰囲気がちがっていた。笑い方も話し方も同じだったが、目つきがなんとなくだが、前とはちがって見えたのだ。

宮崎駿監督が神隠しを描いた理由

この話は神隠しのような話であって神隠しそのものではないが、こうしたものも含め、日本の神隠しにはさまざまなバリエーションがある。そのあたりは、柳田国男の『遠野物語』や『山の人生』がくわしい。

神隠しを超えて、怪異や神話の世界にどっぷりと浸かりたければ、泉鏡花や大江健三郎の諸作品がある。でも、神隠しの話をするなら避けて通れないのは、やはり『千と千尋の神隠し』だろう。もちろん個人的にではあるが、最後にお金を払って劇場で見た映画で思い入れがある。だからこのまま続けよう。

宮崎駿監督はパンフレットの中で、この映画を「雀のお宿」や「ねずみ御殿」の直系の子孫と位置づけ、日本の伝統文化——伝承、行事、意匠、神事から呪術にいたるまでのユニークさを強調していた。「ただ知られていないだけ」と。

舞台の世界観を和洋折衷にしたのも、それによって映画の世界が新たな魅力と説得力を獲得し、僕らがこの島国の住人であると再認識することにつながると思ったからだという。

「ボーダーレスの時代、よって立つ場所を持たない人間は、もっとも軽んぜられるだろう。場所は過去であり、歴史である。歴史を持たない人間、過去を忘れた民族はまたかげろうのように消えるか、ニワトリになって喰らわれるまで玉子を産みつづけるしかなくなるのだと思う」(宮崎監督)

神隠しに限らず、僕らが生まれ育ったこの国のことを——歴史と物語、伝統文化、習俗、宗教思想を学ぶ大切さを宮崎監督は説いていた。当時はピンとこなかったが、この年になるとよくわかる。断っておくがナショナリズムではない。生まれ育った土地への素朴な帰属意識と愛国心だ。

かつて神隠しをテーマにした長編小説を書いたことがある。子どもがこの世とあの世の狭間の国に迷い込む物語だ。自国の伝統的な自然観や死生観、伝統文化などを知っていくうち、どうしても書いてみたくなったのだ。

子どもが生まれたというのも背中を押した。宮崎監督はインタビューで、十歳の小さな友人たちのために千と千尋を作ったと語っていたが、僕も十歳になった娘をイメージしながら書いていた。完成直前に寝込んでしまったのでそれどころではなくなったけれど、最近思い立って手を入れ直して完成させた。でも娘はもう高校生だ。神隠しの話など、読んではくれないだろう。

日本人が神隠しと共に捨てたもの

娘はともかくとして、現代の大人たちは神隠しを捨ててしまった。これは同時に異界を捨てたことを意味する。

失踪事件がなくなったわけではない。いまでも何万人もの人たちが毎年姿を消している。変わったのは、解釈の仕方だ。誘拐、殺人、家出、事故、自殺——。人間の社会の理屈ですべてが説明できると考えるようになったのだ。神隠しの代わりに蒸発という便利な言葉が生まれた。神は消え、人間だけが残った。

都市化が進み、村落の共同体が瓦解し、異界に対する共通の想像力を持つ場所そのものが失われた。神隠しは、こうした場所なしには生きられなかった。

近代合理主義の立場からすれば、これは迷信からの解放なのかもしれない。でもそれだけだろうか。

一人で山を歩いていると、何かに見られていると感じることはよくある。昔の人々はそれを気のせいだと思わなかった。木立のあいだから、川の対岸から、岩の向こうから何かがこちらを覗いている——。それを神やそれに付随するものの気配として受け取っていた。どちらの感受性が豊かかといえば、火を見るより明らかだろう。

そうした感受性こそが自然に対する畏敬と感謝の念につながり、ひいては他者への思いやりを育て、この国の精神文化の礎を築き上げてきたのではないだろうか。

いまでも僕らは年中行事やお祭り、神社を訪れたときなどに自然と背筋が伸びるような感覚を覚える。

それは——まだ失われていないものの残響なのかもしれない。