かんながらの道——日本人のルーツをたどりながら山岳信仰と狼の地、御岳山を歩く

御岳山 大岳山

「この村の葬式は神道式だから、にぎやかにやるんだよ」

木地師きじしの老人が言った。もうすぐ百歳だというのにいまだ現役で、その日も作業場の機械を使って、慣れた手つきで木材を切っていた。

キューンと大きな音が響きわたるなか、老人の言葉だけがなぜかはっきり聞こえた。

「ん? 何式ですか?」

「神道」

「……しんとう? どんな字ですか」

「神の道。かんながらの道」

そのとき僕は三十代半ばだった。取材で地方を旅して回っていて、その老人とは偶然立ち寄った工房で出会ったのだった。木地師というのは、質の良い木材を求めて移動生活を送る、昔の木工職人たちのことを言う。

神道もかんながらの道というのも、初めて耳にする言葉だった。だから何度も聞き返した記憶がある。老人と別れてすぐ、鞄から電子辞書を引っ張り出して調べてみた。神道とは日本の民族的信仰体系、つまり宗教のひとつということであった。

帰宅後も気になって本を数冊、続けざまに読んだ。読めば読むほど、これまでなぜ一度も耳にしなかったのか、誰も教えてくれなかったのかと訝しさが募っていった。周囲の僕より教養のある知人に聞いても、誰一人知らなかった。

やがて、その理由がわかった。

明治維新以降、神道は天皇中心のナショナリズムに組み込まれ、国民を精神的に統合するための国家宗教——国家神道として再定義された。それが軍国主義と結びつき、先の大戦につながっていったのだ。

終戦後、国家神道はGHQによって廃止され、神道という言葉を口にする人もほとんどいなくなってしまったのだった。

だが、言葉を知らなくても神道はずっと僕らのそばにあった。

お盆になればご先祖さまをお迎えする支度をする。正月には門松や鏡餅を用意し、おせち料理をいただく。子どもが生まれたら、お食い初めやお宮参り、七五三といった行事を進んで行なう。

初詣や合格祈願で神社に自然と足を運ぶし、拝殿の前に立つとかならず手を合わせる、頭を下げる。誰も見ていなくてもお天道さまが見ていると感じるし、桜の季節にはこぞって花見をする。飲食店ではおしぼりが出てくるし、他の国と比べるとトイレは異様なくらい清潔だ。

こうした日本人の生活様式の根底に脈々と流れているのが、神道の思想なのだ。

神道(かんながらの道)

辞書には宗教とあったが、神道は日本人の生活文化と習俗そのものである。経典も戒律もない。室町時代の神道家、吉田兼倶かねともはこう言っている。

——神道に書籍なし。天地をもって書籍となし、日月をもって証明となす。

神道の中心にあるのは、八百万やおよろずの神さまだ。いわゆるアニミズム——人間や動物、植物、山や川、岩、雷や風にも霊魂が宿り、そこに優劣はないという思想である。ご先祖さまの魂も子孫のそばにいて、神さまとして僕らを見守ってくれている。

ちなみにアマテラスオオミカミやスサノオノミコトといった、日本神話の神々も八百万の神さまだ。木地師の老人に聞いた「かんながら」は「神さまとともに」という意味で、八百万の思想そのものを指す言葉だった。

西洋の宗教が善と悪の戦いを軸に据えているのとも対照的だ。神道には善悪の二項対立はない。自然を征服すべきものと見る西洋の自然観ともちがう。温暖な気候と豊かな水源に恵まれたこの国の人々は、昔から自分たちが自然に生かされていると体で感じていたのだろう。自然への畏敬と感謝の念が、神道という思想の根底にある。

アニミズムだ、善悪の二項対立だと小むずかしいことを書いたが、神道が教えてくれることはとても単純である。

自然を大切にして、他人を思いやり、みんなで楽しく生きる——ただそれだけなのだ。日本人が礼儀正しく、清潔で、他人への気遣いがあると世界で評されるのは、それが体の隅々に染み込んでるからに他ならない。

御岳山みたけさんを歩いたのは、そんなことを考えるようになって十年以上経ったあとのことだった。

ケーブルカーを横目に参道を登る

御岳山は、奥多摩にある標高九二九メートルの低山だ。

山頂には武蔵御嶽むさしみたけ神社が鎮座し、古くから山岳信仰の霊山として知られている。現在は麓からケーブルカーで一気に登れるため、登山客だけでなく参拝客や観光客も多い山である。

もちろん僕はケーブルカーは使わず、参道を歩いて登ることにした。

ケーブルカー

平日だったこともあり、参道に人影はなかった。中世から近世にかけて参拝客でごった返したという茶店も、いまは立て札が名残を留めるのみ。汗をかきながら一時間ほどかけて登り切ると、山上の集落が現われた。

御師の村と、神代ケヤキ

この集落は江戸期以来、御師おしと呼ばれる祈祷師たちが切り盛りする宿坊の村である。玄関先の注連縄しめなわが、ここが信仰の地であることを静かに物語っている。

集落から門前町へと抜ける中間地点に、樹齢千年というケヤキが立っている。高さ三十メートル、幹周り八メートル強のこの大木にはツタウルシが絡みつき、見上げているとその威容に圧倒されて言葉を失ってしまう。

神代ケヤキ

千年である。

平安時代の終わりからこの地に暮らす祈祷師とその家族、次々に訪れる参拝客を見守り続け、いまなお鮮緑の葉を茂らせている。八百万の神さまを信じた人たちの気持ちが、理屈抜きにわかる。この老木に魂が宿っていないはずがない。

武蔵御嶽神社とお狗さま

門前町を抜けると、長い階段の上に立派な大鳥居が見えた。手水舎ちょうずやで身を清め、階段を一歩ずつ登っていく。少し息が上がった頃、三百段ほどの石段をようやく登り切った。

鳥居は神さまの領域と俗世の境界である。僕はこれから神の世界に足を踏み入れる。そう思うと背筋が伸びる。

武蔵御嶽神社

武蔵御嶽神社は、御岳山の山頂にある。本殿が祀るのは、クシマチ、オオナムチ、スクナヒコナといった神話の神々だ。拝殿は朱塗りの立派なもので、翡翠色の龍と、迫力のある虎が彫り込んである。

二礼二拍手一礼。僕はこの日の山行の安全を祈願した。

拝殿

拝殿の手前に二体の狛犬が並んでいた。獅子ではない。日本狼だ。おいぬさまと呼ばれる神の使いである。この山でヤマトタケルが道に迷ったとき、白狼が導いたという伝説が残っている。かつてこの地域では人間と狼は共存して暮らしていたそうだ。

お狗さま

そういえば以前に登った秩父の武甲山でも狼の狛犬を見かけた。山岳信仰にゆかりのある神社では、狼が神さまの眷属けんぞく(家来)として祀られていることが多い。狼は大神とも書く。田畑を荒らす猪や鹿を追い払う守り神として、山間の人々に篤く信仰されてきた動物なのだ。

本殿の奥には、さまざまな神さまを祀る社がいくつも並んでいた。アマテラスオオミカミ、イザナギ、イザナミ、ニニギ、天神さま(菅原道真公)、徳川家康公……。これこそが八百万の世界なのだ。善神も荒神も分け隔てなく受け入れる。このおおらかさが、神道の性格をよく表わしていると思う。

廃墟と神隠し

武蔵御嶽神社をあとに、僕は大岳山おおだけさんへと続く登山道を歩き出した。大岳山は標高一二六七メートルであるが、ここからなら標高差は三百メートルと少しだ。

登山者の姿はほとんどなかった。山道は静まりかえっている。修験者たちが往来した古い信仰の道である。

鎖場をいくつか越え、山腹を巻いていくと、杉林に囲まれた一角にいきなり山荘が現われた。

大岳山荘跡

廃墟であった。

地図には大岳山荘跡とあったが、建物は残っている。だが壁板はあちこち腐って朽ちている。ガラスの引き戸や窓も一部が割れ、一部は雨風が吹き込まないようビニールシートで補修されている。

ガラス戸の奥は暗い。開けた場所ではあるが、周囲に人の気配はまったくない。

突然、何かに見られているという感覚に襲われた。

山荘の二階の窓の奥——真っ暗な場所から何かが僕を注視している。気のせいだ。そう思っても背中がヒヤリとする。両腕が粟立つ。怖気を振り払おうと、ガラスに映る自分に向かって、「まったく臆病なんだから。何もいないよ」と大きな声で言ってみたら、今度は自分の影まで怖くなってしまった。

神隠しにあってもここなら不思議はないぞ、と本気で思った。

大岳神社と、お狗さまのご利益

大岳神社

踵を返して、反対側の坂を駆け上がると大岳神社があった。

といっても、農家の稲倉ほどの小さな拝殿があるのみ。周囲には注連縄の張られた大岩と老木がある。ご神体だろうか。もちろん神職の姿などあるはずもない。だがそのぶん霊気がみなぎっている感じがする。ここにも狼が祀られている。

賽銭を入れ、柏手を打ち、ふと思う。お狗さまの利益りやくとはなんだろうか。あとで調べたら、盗難除けと魔除けであった。

大岳山の山頂から奥多摩を一望

大岳神社から岩場や鎖場を十五分も登れば、奥多摩三山のひとつ、大岳山の山頂である。

大岳山(1267メートル)の山頂

手前から奥まで、視界いっぱいに奥多摩と丹沢の山々が重なり合ってどこまでも続いている。残念ながらこの日は朝からずっと薄曇りで、黄砂も多く、眺望は霞んでいた。それでも裸眼で富士山を望むことができた。

持参した弁当を食べ、バーナーに点火する。水を入れたコッヘルを乗せて、チタン製のマグカップにドリップバッグをセットした。湯が沸いた。コッヘルから直接、熱湯を注ぐ。これが難しい。コーヒーケトルのありがたさを毎度、痛感する。

いつもの台所の香りを嗅ぐと気持ちがすっとゆるむ。初めて来る場所なのに、匂いとは不思議なものだ。

しばらく、コーヒーをすすりながら、目の前の空と山々の境界あたりをぼうっと眺めていた。

ロックガーデンとアニミズム

来た道を戻り、途中の分岐で、行きとは別のほうへ折れた。

綾広の滝

綾広の滝は、蔵王権現ざおうごんげん祓戸大神はらえどのおおかみを祀る行場である。苔に覆われた岩の間を、十メートルほどの高さから清冽な水が勢いよく落ちてくる。どどどっという音が腹を揺さぶる。

厳かである。空気はピンと張り詰め、それでいてひんやり湿っている。滝つぼの手前には簡素な鳥居があり、注連縄がゆらゆら揺れていた。

蔵王権現は修験道のご本尊だ。祓戸大神は神道のはらえを司る神である。祓えというのは、穢れや災厄といった不浄を取り除くための神事というか呪術というか、その類いのものである。いまも宿坊で頼めば、この滝に打たれてみそぎを行なうことができるようだ。

滝壺に落ちた水が沢となって下流へと続く。沢に沿って、緩やかな下り坂を進んでいった。

ロックガーデン

ロックガーデンと名づけられたエリアに入る。

大小の苔むした岩を縫うように清流が走り、草木が渓谷を埋め尽くしている。足元の水音と、さわさわと葉のこすれる音に調子を合わせて山鳥がさえずっている。

ロックガーデン

足元に注意しながら歩いていたが、ふと写真を撮ろうと思い立って足を止めた。一眼レフを手にして顔を上げたら、そこに八百万の世界が広がっていた。

沢の両岸はブナやミズナラが覆いかぶさるように枝を伸ばしている。沢の中央に巨岩がふたつ、双子のようにどしんと並んでいる。その先に沢を横切るようにして大きな倒木が横たわっていた。

そのすべてが、輪郭に白いオーラをまとっていた。蒸気だろうと霊気だろうとなんでもいい。

——生きている。

そう感じたのだ。

万物に霊魂が宿る、そう信じた昔の人たちの感覚が肌でわかる気がした。いや、わかるというのではない。いまここに何かがある。いる。

まるで『もののけ姫』の世界と言いたいところだが、むしろ逆だろう。あの作品の中にある自然界は、こうした光景を実際に目の当たりにしたからこそ描くことができたのだろう。その昔、修験者たちがこの山の山頂を切り拓き、移り住んだというのも腑に落ちる。

そのときだった。

山鳥の鳴き声がぴたりとやみ、周囲が静寂に包まれた。直後、雲の切れ間からまばゆい光がさあっと差し込み、一面を鮮やかに染め上げる。それまでずっと薄墨を流したようだった無彩色の世界が、目の覚めるような緑の庭園に変わっていた。

息をのんだ。

写真のことを思い出してカメラを構えた。ファインダーを覗き込んだ。すると周囲を照らしていた光は、ふたたび雲間に吸い込まれるようにしてあっさりと消えていた。

七代の滝

しばらく放心していたが、日が暮れてきたので、景勝地として名高い七代の滝まで急ぎ足で下りた。

それから長尾平分岐へと戻り、帰りはケーブルカーで下山した。車窓からの眺めは思ったより平凡だった。こんなことなら歩いて下りればよかったと少し後悔した。

かんながらの道

帰りの車の中、僕は木地師の老人のことを思い出していた。あれから十数年が経つ。百十歳を超えて、まだご存命であろうか。たぶんいまでもかくしゃくとして、木工ろくろで椀や盆を作っておられるのではないか。なんの根拠もないが、そう思った。

神道とは、生き方の哲学に近いものだと思う。自然を大切にし、すべての命に等しく敬意を払い、他者を思いやる。その根底にあるのは、八百万の感覚だろう。

樹齢千年のケヤキを首が痛くなるまで見上げ、廃墟の前で人ならぬものの視線に怯え、苔と水と光の中に息づく魂を感じとる——。そんな体験が積み重なって、かんながらという言葉は今日、これまでより少し僕の体の中に溶け込んだ気がしている。