ある晩、ふと思い立って数えてみた。この家に神さまは何柱いるのか。
ちなみに神さまは一人、二人ではなく、一柱、二柱と数える。理由には諸説あるが、とにかく柱である。家を支えるものと同じ単位なのが、なんだかいい。
まずトイレ。厠神という神さまがいる。便所をきれいにしておくと器量のいい子が生まれる、という言い伝えを聞いたことがある人も多いだろう。一柱。
台所には竈の神さま。荒神とも呼ばれる火の神だ。二柱。水回りには水神。三柱。納戸には納戸神という神さままでいるらしい。衣類と布団のあいだに四柱。
まだいる。玄関。門はないが、ここは内と外を分ける境目だ。境には神さまが立つ。五柱。部屋の柱。神さまを柱で数えておきながら、その柱に神さまがいないというのも変な話だ。どれが大黒柱かはわからないが、一本くらいには居ついていてほしい。六柱。
我が家はマンションだ。庭はない。あるのはベランダのプランターがひとつきり。でも、ひとにぎりの土にだって地の神のかけらくらいは宿っているだろう。七柱。
神棚はない。代わりに冷蔵庫の上で、いつ買ったのかも忘れたえべっさん(恵比寿)と大黒さんが福々しく笑っている。まとめて九柱。
米びつの中。米一粒に七人という話は以前書いたから今日は割愛する。あれを入れると人口が爆発する。
数え終えて、僕は唸った。
名前も知らない神さままで入れたら、けっして広くない我が家にざっと見積もって十柱以上。完全な過密都市である。
「で、その神さまたちは家賃を払ってるの」
妻が言った。
「掃除当番にも入ってないよね」
娘がおどけてかぶせてくる。
我が家の女性陣は、神さまにも労働と納税を求めるのか。
それにしても、こうして家じゅうの神さまを見渡すと、面白いことに気がつく。場所によって濃さがちがうのだ。
玄関も柱もベランダもぽつんと一柱ずつ。ところが水回りと火の回りだけは、厠に、流しに、竈にと神さまが折り重なっている。
偶然ではないと思う。昔の家では、そこがいちばん危険な場所だったからだ。火事を出せば家が滅ぶ。水が汚れれば疫病にやられる。命にかかわる場所にこそ、ご先祖たちは神さまを重ねて置いた。
冷蔵庫の上の福の神があとから来た居候だとすれば、水と火の神さまはこの家の古株なのだ。
監視カメラのない時代、ご先祖は「見られている」を発明したのだ。
トイレに神さまがいると思えば、掃除の手が少し丁寧になる。竈に神さまがいると思えば、寝る前に火の始末を確かめる。八百万の神さまとは、暮らしのいちばん大事な場所に灯した、小さな見守りの灯だったのではないか。
その仮説を披露した数日後、トイレ掃除は僕の担当になった。
「神さまに気に入られたいんでしょ」
信仰にはときどき家事がついてくる。
- 台所の神さまは怒ると怖い——生活の中の小さな異界
- 神さまになる予定だった椅子が、今朝、捨てられかけた
- 神さまの山は、傷ついていた。——武甲山、父と娘の秋の記録
- 恐ろしいものほど丁重に——怨霊信仰と祟り神
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