台所の神さまは怒ると怖い——生活の中の小さな異界

なべのふた

「うちの台所って、絶対に神さまがいるよね」

ある日、妻がぶすっとした顔で言った。いきなりなんだ。返答に困っていると、妻が理由をまくし立てた。

包丁を無造作に扱うと指を傷つける。換気扇を汚れたままにしていたら油跳ねで火傷させる。鍋を焦がすと焦げた臭いを三日くらい残す。賞味期限切れの食べ物を捨てたらかならずコバエが湧く。冷凍庫の食材を雑にガサガサやったらエビの角で指を突く。ぜんぶ台所の神さまの仕業にちがいない。

「見てよ」

妻が右手の甲を僕の目の前にぐいと差し出した。甲に小さな水膨れができ、人差し指と中指に絆創膏が巻いてあった。血が少しにじんでいる。

ただの不注意じゃないか。そう思ったが、更年期の影響かもしれない。僕は笑って、「なかなか想像力がたくましい」と言い残し、自室に引っ込んだ。

数日後、娘が「台所の神さまってほんとにいるね」と真顔で言ってきた。娘までなんだ。でも今回は返答を用意してある。

「昔から台所にはかまどの神さまがいるって言われてる。でもうちは竈がないから、神さまはいないんじゃないか」

「ううん、絶対いる」

娘は首を大きく振って言う。

「昨日の夜ね、夜中に喉が渇いて起きて台所に行ったんだ。ジュースをコップに入れようとしたら、食器棚のお皿がカタッって鳴ったの。前にも同じことがあった。コップに水を入れたときは、そんなことない」

「夜中に甘いものはやめとけと神さまが言ってるってこと? お前の虫歯の心配してくれるなんてやさしいね」

「でも怒ると怖い。ママが言ってた」

ふふと笑いながら、僕は思った。言われてみれば、確かに水回りには何やら意志のようなものがある気がしないでもない。

風呂場の排水口がそうだ。詰まったゴミをそのままにしておくと、翌朝のシャワーでかならず冷たい水を一発だけ浴びせてくる。あれは風呂場の神さまのしつけだろうか。

トイレの神さまは気難しい。掃除をさぼると便座が妙に冷たくなる。ウォシュレットの水圧が急に強くなる。たぶん「もっと丁寧に扱え」という、神さまの意思表示だろう。

洗濯機の神さまはもっと手厳しい。靴下を片方だけ隠す。「靴下とパンツは下洗いせよ」というメッセージにちがいない。平謝りに謝るとそのうち返してもらえるが、とんでもない場所からひょっこり見つかる。前回は、娘の通学カバンだった。

そんなことを考えていたら、家中に見えないものの気配がすっと立ち上がってきた。怒らせると怖い神さまが家の中にいるなら、外の世界にはもっと怖い神さまがいるにちがいない。

その日の深夜、喉が渇いて目が覚めた。台所でジュースを飲もうとしたら、鍋のふたがコトンと揺れた。皿ならまだしも、鍋のふたはさすがに動かない。生唾をごくりと飲み込んだ。

翌日、思い立って神道の影の側面について調べてみることにした。

最初に見つけた記事に、丑の刻参りという言葉があった。