平将門の首塚——墓を訪ねる仕事でいちばん怖かった場所

東京の夜景

墓ばかりを訪ね歩く仕事をしたことがある。

歴史に名を残した人々の墓をエリアごとに巡り、散策マップを作る。そこに眠る人物の来歴を綴り、ついでにルート上のグルメスポットまで紹介する。

墓と団子を同じ地図に載せるという、なかなかどうして罰当たりな企画だった。取材には妻を連れて行った。妻は当時、専業主婦であったし、なにより新婚ほやほやだったからだ。

訪ねる先は大抵、文豪の墓だった。太宰治が入水した玉川上水のほとりにも立った。彼が愛人とともに身を投げた、あの川である。晴れていたか曇っていたか、いまとなっては思い出せないが、やけに陰鬱な空気が漂っていたことは覚えている。天候か時間帯か、あるいは川のほうに理由があったのか。

そんな文豪づくしの本に一か所、毛色のちがう場所が紛れ込んでいた。大手町の高層ビルの谷間にぽつんと残る古い塚、平将門の首塚である。

この記事に書いていること

平将門の首塚

昼下がりだったと思う。周囲では何万人ものサラリーマンが働き、車の流れも途絶えることがない。それなのにその一角だけ、空気がちがっていた。

生ぬるいのに、うなじがすっと冷える。背筋がぞくぞくする。妻と二人、口数が少なくなっていく。理屈抜きに体が「長居はするな」と言っていた。僕は写真とメモを大急ぎで取り、逃げるようにその場を離れた。

平将門は十世紀、坂東の地で反乱を起こし、みずからを新皇、つまり新しい天皇と名乗った男である。むろん朝廷が黙っているはずはない。将門は討たれ、その首は京へ運ばれて、日本史に記録された最初のさらし首になった。

ここからが妙な話である。

京でさらされた将門の首は腐りもせず、目をかっと見開いたまま、夜な夜な歯ぎしりをして、「わが胴はどこだ、つなげて今一戦」と叫んだと伝わっている。

ある夜、首はついに宙へと舞い上がり、胴を求めて東の空へ飛んで行ったそうだ。力尽きて落ちた地が、いまの大手町にある将門の首塚だったという。その距離、三百キロか四百キロ。首は東へ飛んだのだ。

伝説だと笑うのは簡単だろう。だが、笑えない記録がそのあとに続く。

曰く因縁

関東大震災のあと、焼け野原になった一帯に大蔵省の仮庁舎を建てることになった。塚はいったん取り壊された。すると、時の大蔵大臣、早速整爾はやみせいじがほどなくこの世を去り、工事の責任者だった技師もそのあとを追うように亡くなった。さらに関係者の不幸が相次ぎ、これは将門公の祟りだと囁かれるようになる。

役所はたまらず、昭和二年、塚を元に戻して盛大な鎮魂祭を開いた。神田明神の宮司が祭主を務めたという。

国家の中枢が、千年前の武将の霊に頭を下げたのだ。

とどめは戦後である。焼け跡の区画整理を進めていたGHQが、この塚もまとめて更地にしようとした。ところが作業中、アメリカ軍のブルドーザーが理由もなく横転し、運転手が投げ出されて命を落とした。

掘り返された土の中から、半ば埋もれた古い碑が現われた。それが将門の首塚だとわかり、計画は取りやめになった。

日本の怨霊が、進駐軍のブルドーザーを撥ね返したのだ。以来この塚は、坪単価が目もくらむような大手町の一等地にありながら、誰も手をつけられないまま、いまもそこにある。

ただ、将門の話が今日のように膨れ上がったのは戦後になってからだと聞いたこともある。それでも腑に落ちないことがある。

祟りの物語がそれほど新しいものなら、なぜ人々はいまだにあの塚を壊せないのか。

地上げのプロも進駐軍も手を引いた。空気を読んだといってしまえばそれまでだが、僕はもう少し深いものがそこにあると考えている。

御霊信仰

日本人は、怨霊を封じ込めない。祟る霊を鎖で縛って地の底に押し込めるのではなく、これ以上ないほど手厚く祀り上げて、守り神に昇進させてしまう。

将門もそうだ。朝敵として討たれた男が、いまや神田明神——江戸の総鎮守に祀られ、勝負事にご利益のある神として、参拝客が手を合わせている。反逆者が江戸の守り神になった。これを御霊信仰という。

前に丑の刻参りの話を書いた。あれは負の力にすがる儀式だ。将門塚はちょうどその反対側にある。

負の力を鎮め、味方につける。恐ろしいものを消し去ろうとするのではなく、敬い、なだめ、こちらの側に迎え入れる。

敵を味方に変えてしまうこの度量の大きさこそ、この国が長い時間をかけて見出した、神道ならではの目に見えないものとの折り合いのつけ方なのだろう。

ようやく合点がいった。

あの昼下がり、ビルの谷間で足がすくんだのはたぶん、心霊がどうこうという話ではなかった。将門を千年祀り続けてきたあの畏れの作法が、僕自身の体の奥にも細く流れていたのだ。

余談だが、あの取材ではうまいものをさんざん食べた。文豪の墓の帰りには、団子も蕎麦もよく喉を通った。でも首塚の帰りだけはなぜか、何も食べる気が起きなかったことを、最後に書き添えておく。