あぶないセルフケア——マムシ酒はまだ物置きの奥で僕を睨んでいる

マムシ酒と物書き

「自分をもっと大切に」という名の現代病に感染したことがある。

いきさつはこうだ。締め切り、締め切り、また締め切り。朝起きたら首が九十度曲がったまま固まり、妻に「ゾンビみたい」と冷たい目で見られる日々が続いた。

決定打は「パパ、最近老けたね」という、娘の容赦ない一言だった。

——これはいかん。いかんぞ。セルフケアをせねば。

そう決意し、知り合いの鍼灸師に相談してみた。そこから自然療法、伝統療法の深みにはまっていった。普通ならジムの入会案内でももらってくるであろうところを、僕が手を出したのはマムシ酒であった。

生臭いマムシ酒

「マムシって、あの毒蛇の?」妻が眉をひそめた。

「効くんだって。体力増進、滋養強壮、疲労回復。万病に効くとまで言われてる。昔からある薬用酒で、じいちゃんも飲んでた。がんで逝ったけれど」

「だめじゃん」

瓶の中のマムシと目が合った。とぐろを巻いたまま、僕を睨んでいる。お前に飲まれる筋合いはない、とでも言いたげな表情である。目をそらして勢いよくコップに注いだ。

正直、まずい。味がどうこうより、とにかく生臭いのだ。

ところが翌日は朝から妙に元気だった。原稿がはかどる。効いているのか。

あくる日の夜中、トイレに起きてきた娘が、台所でマムシ酒の瓶を眺めながらにやにやしている僕を見て凍りついた。

「パパ、絶対にヤバいもの飲んでる!」

妻の「もうやめなさい」という一言で、マムシ酒は物置き部屋の奥深くに追放されてしまった。効果は確かにあった気がする。でも家族に対する精神的な副作用が強すぎた。

森の奥で腐った酵素ドリンク

次に挑戦したのは、百種ほどの野草や野菜、海藻を長期発酵させたという酵素ドリンクだ。

自然派ショップで、自信たっぷりの説明書きがぶら下がった瓶を見つけた。店員が「凝縮された自然の生命力をそのまま受け取れますよ」と言うから、つい買ってしまった。

ふたを開けた瞬間、強烈な発酵臭が台所に充満した。

妻は何も言わずマスクを着用した。

「そんなに臭い? まあ、臭くないこともないか。でもパワーがすごいらしい。じいちゃんもがんが見つかったあと、自分で作って飲んでた。ほどなく逝ったけど」

「だめじゃん」妻がくぐもった声で言う。

「これ、絶対に虫の死骸の味がするよ」娘が予言した。家の中に虫が一匹いるだけで外まで響く悲鳴を上げる子が、なぜ虫の味だけは知っている。

健康のためだと自分に言い聞かせ、朝晩欠かさず飲むことにした。

味は……。説明を避けよう。森の奥で腐った何かを、森に無断で飲んでいるような感覚だった。

それでも三日目あたりから、不思議と体が軽くなった。若い頃のように内側から熱が湧いてきた。足先の冷えがうそみたいに収まった。

喜んだのも束の間だった。

四日目の深夜、猛烈な腹痛に襲われて、トイレで悶絶する羽目になったのだ。凝縮された自然の生命力というものを甘く見ていた。

翌朝、青白い顔をして起きてきた僕を見て、妻が言った。

「酵素のパワーに負けたみたいだね」

悔しいが、そのとおりだった。

熊胆には手が届かず、散歩と銭湯

それでも僕はあきらめなかった。どくだみ茶、梅肉エキス、黒にんにく、キャベツ湿布……。片っぱしから手を出し、最後は究極の万能薬として知られる熊胆ゆうたんに……といきたかったのだが、値段を見て目玉が飛び出そうになった。二百グラムで軽自動車が買える。

振り返ってみると、効いたと感じるものもあるにはあったが、続けるのがむずかしかった。

マムシ酒は元気になるが、家族に迷惑をかける。酵素ドリンクも体が温まるが、とにかく臭いがきつい。やはり家族がいやがる。

それから僕は毎朝三十分の散歩と、週に一度の銭湯通いを始めた。湯船で手足を伸ばすと、体の芯からほどけていく。湯にマムシや野草のエキスは溶けてはいない。ただの水道水だ。それがいちばん効いた。

派手な万能薬で我が身をさんざん痛めつけたすえ、水道水にたどり着く。ずいぶんと遠回りをしたものだ。

いまでも物置き部屋の奥にはマムシ酒がある。目が合うと、相変わらず飲まれる筋合いはないという顔で睨んでくるが、本当に原稿を落としそうになったときの切り札として捨てないでいる。

最近、娘が僕をしげしげと見てこう言った。

「パパ、最近ちょっとだけ若返ったね」

ちょっとだけ、というのが正直でいい。