わが家には、夜な夜な目にする光景がある。
妻が居間で、歯ブラシをくわえたまま、電子コミックに夢中になっている。娘は娘で洗面所に座り込んでスマホに穴が開きそうなくらい熱心に、インスタなどを見ている。
いったい歯磨きはどこへ行ったのか。もはや「ながら歯磨き」というより、「漫画やインスタついでに歯を磨いている」に近い。
スマホをタップする指だけは異様なくらい俊敏で、その集中力をどこか別の場面で使ってほしいと、夫として父として思わなくもない。
「ながら歯磨き」は、脳の注意力を散漫に
歯磨きは本来、脳が休む時間である。自動化された動作だから、前頭葉はひと息つける。
ところが、そこに漫画が割り込んでくると、脳は一気にマルチタスクを強いられる。
歯を磨く。漫画を読む。歯を磨く。ストーリーを理解する。歯を磨く。感情移入する。ページをめくる、あるいはスクロールする。
脳の注意力はこのとき、食パンにバターを塗り広げたように薄く引き伸ばされる。
妻と娘の歯磨きは、もはや口腔ケアではなく、脳に対する、ある種の懲罰のようにさえ思える。
「ながら洗濯」で暮らしが粗雑に
妻は洗濯物を畳むときも、スマホで漫画を読んでいる。だからいつも、僕のTシャツは裏返しのままである。
シャツ類にいたっては、畳むことを最初から放棄している。僕の懸垂マシンにハンガーごと引っ掛けておしまい。
たまに懸垂をしたくなっても、シャツやジャケットが十も二十もぶら下がっている。それを見てそっとため息をつき、自分にこういい聞かせる。これは妻のために買ったハンガーラックだったのだ、忘れたのか、と。
裏返ったTシャツに片方だけ行方不明の靴下、しわの寄ったタオル——。生活の粗雑さを物語るそれらはしかし、「妻が今日も全力で生きたあかし」でもある。
僕はそう思うことにしている。
「ながら歩き」で、思考は浅く
歩くという行為は本来、脳を「深い思考モード」へ切り替える役割を担っている。
だが、スマホを見ながら歩くと、脳は「浅い情報処理モード」を維持しようとする。
SNSのタイムラインで細切れの情報を次々に処理していると、その合間に通知が届き、メッセージを読んで返信して、またタイムラインへ。
脳は常時、心の外側へ引っ張られ、内側の深い思考に沈む前に表面の波にさらわれてしまう。
「ながら歩き」は、人生の「深み」を奪うのである。
生活の密度は、生活の豊かさ
歯磨きも、洗濯も、歩くことも、もともとは「心を整える時間」だった。
そのことを少し意識するだけで、生活の密度は驚くくらいがらっと変わる。
歯磨きの泡の感触や香り、日光を浴びた洗濯物の温もりやにおい、歩くときの足裏の感触や足音、そして家族の気配——。すべて「ながら行動」が見えなくしているものだ。
もっとも僕だって、歯磨きの最中にブラッシングだけに集中しているかというとそうでもない。
今夜にしても「地下鉄の電車はどこから入れたんだ」という、昭和の国民的謎がふいに降りてきて、脳が格闘しているうちに、すすぎまで終わっていた。
いつものように裏返ったTシャツをひっくり返しながらいま思う。「散漫」で「雑」で「浅い」——そんな暮らしもまた、家族の生活の一部ではあるのだと。
でも、ほんの少し意識を変えるだけで、生活はもっと豊かなものになるのではないかとも思う。
懸垂マシーンに居並ぶシャツを見て、理想と現実との相克を思い知り、僕は苦笑した。
——まあ、これも平和のあかしだ。
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