家族が寝静まった台所で、グラスを傾けながら、棚のCDを眺める。数えたことはないが、千枚近くあると思う。
学生のころは、ネットもサブスクもなかった。音楽の情報はもっぱらFMラジオで、気に入った曲を繰り返し聴くにはCDを買うしかない。洋楽にのめりこみ、毎日むさぼるように聴いた。ギターの練習も始めた。
ビートルズもよく聴いた。アルバムは全部持っている。ジョンのソロも含めて。ストーンズは数枚買ったが、すぐに聴かなくなった。だからストーンズがビートルズのライバルだという話を聞くたび、僕は背中がむずむずしたものだ。売り上げの桁を並べれば、同じ土俵に乗せること自体に無理がある。比べるのが野暮なのだ。
それより気になっていたのは、ジョン自身がミックをどう見ていたか、だった。
この記事に書いていること
写経していたら憑依してきた
ある日、仕事で、一九七一年に『ローリング・ストーン』誌へ載ったジョンのインタビューを、ぶつぶつ声に出しながらタイプしていた。ミックについて問われたジョンは、こんなふうに語っていた。
——彼は僕らを真似しているだけだ。ビートルズとストーンズでは、音楽的にも影響力でもクラスがちがう。おなじクラスだったことは一度もない。僕はストーンズを悪く言ったことなど一度もないのに、ミックはビートルズが大きすぎるのが気になってしかたがないんだ。これからも悪口を言いつづけるだろうし、僕には腹の立つことだ。「平和は金になった」などと言うが、僕たちは平和で金儲けなんかしていない。
ボロカスである。
写経のようにタイプしているうちに、ジョンの言葉と自分の言葉の境目がだんだん薄れてきた。憑依のような感覚だ。そうして、ひと塊の感情がそのまま僕のなかへ流れ込んできた。
解散直後のジョンは自信家を装いながら、不安とプライドとナルシシズムの渦のなかで窒息しかけている。その不安をまぎらわすためにミックを利用している。罪悪感。本当は、ミックのことが好きなのだ。仲良くありたいのだ。
なんだ、このふたり、ライバルでいいじゃないか、と思った。怒りながらも、ジョンはミックをひとりの人間として対等に見ている。ストーンズのファンキーな音楽やスタイルが好きだ、とも言っている。自我の嵐の奥に、澄んだ目がある。そこが、ジョンらしい。
天才は、自分が天才だと思っていない
ジョンにかぎらず、本当に突出したミュージシャンのインタビューを読んでいると、ひとつ気づくことがある。
彼らは、自分の才能を「自分のもの」だと思っていない節があるのだ。
デイヴィッド・ボウイも、マイケル・ジャクソンも、そんなことを語っていたと思う。自分が特別なのではなく、ただそこに漂っているものをキャッチしているだけだ、と。この世界――自然でも、宇宙でも、神と呼んでもいい――と、何かの拍子にシンクロできたとき、音楽が降りてくる。自分はその受け皿にすぎない、と。
謙遜ではない。
本当に、そう感じているのだ。だから、世界から授かったものを世界に還そうとする。ジョンの「イマジン」も、マイケルの「ヒール・ザ・ワールド」も、その衝動から生まれた音楽だ。
頭とテクニックでつくる人たち
一方で、頭とテクニックで音楽をつくる人たちがいる。計算があり、戦略があり、マーケットを意識している。それ自体は悪いことではない。すばらしい音楽もたくさん生まれる。
ただ彼らは往々にして、自分は特別な人間だと信じている。才能は自分のものであり、他者よりすぐれた自分がいる、と。
ミックがジョンの悪口を言いつづけたのも、つきつめれば、そういうことだったのかもしれない。ミックは天才的なパフォーマーだ。けれど彼の才能は、どちらかといえば磨き上げたものに見える。ジョンの才能は、どこか降りてきたように感じる。
その差は、音楽そのものより、その人と世界との関係に現われる。
料理も、たぶん同じだ。うまいものをつくろうと力めば力むほど、なぜかおいしくない。肩の力が抜けているとうまくいく。台所に立つ者なら、一度は覚えのあることだろう。自分がつくっている、という気構えが薄れたとき、何かがそっと手を貸してくれる。
自我を手放したとき、何かが流れてくる
グラスの氷が、小さな音を立てて崩れた。棚に並ぶジョンのCDの背を眺めながら思う。
あの声は、本当にジョンひとりのものだったのだろうか。それとも、彼という受け皿をただ通り抜けていっただけなのか。ジョンは瞑想にのめりこんでいた。自我の壁を薄くしようともがいていたのかもしれない。マイケルは子どもたちへの愛を語りつづけ、ボウイは最後のアルバムを自分がもうすぐ死ぬと知りながら静かに完成させた。
その嵐を生き抜いた先に、澄んだ何かがある。それを音楽と呼ぶのか、愛と呼ぶのか、神と呼ぶのか――。言葉は、なんだっていい。
もう一杯だけ、つくろう。ジョンの一枚を、ひさしぶりに聴きたくなった。
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

