暁、東雲、曙——夜明けだけが、いくつもの名を持っている

夜明けの名

光と闇が入れ替わる時間に、昔の人たちはやけにこだわっている。

夜明けは一日のうちでいちばん短く、もっともはかない時間帯だ。このうつろいのひとときにだけ、丹精して磨き上げた言葉を惜しみなく並べている。

空が白み始める少し手前は、あかつき。もとは明時あかときで、明けが近いときの意だ。

そこから東の空がほのかに色を持てば、東雲しののめ。少し明るんでくると、あけぼの。清少納言が「春はあけぼの」と書いた淡い時間である。そうして朝ぼらけ——朝がやってくる。

実はこれ以外にも、月のない明け方を暁闇あかつきやみ、月が残っている明け方を暁月夜あかつきづきよ、相手が誰なのか見分けがつきにくい時間帯を彼は誰時かはたれどきと呼ぶなど、他にもいろいろとある。

空が徐々に明るくなっていくというそれだけの現象に、昔の人はいくつもの名をつけた。長くなるのでここには書かないが、夕暮れの呼び名も夜明けと同じくらい豊かである。

それなら、一日の大半を占める昼と夜はどうなのか。

昼には、真昼、昼下がり、昼間、昼日中ひるひなか明昼あかひるなどがある。夜なら、日が暮れてすぐのよい、そのあとに夜半よわ、夜中、夜更けなどの言葉が用意されている。だが見ての通りだ。夜明けと比べると、どちらもなんだか素っ気ない。

日が高く昇り、世界がはっきり見える時間帯や、暗くて何も見えない時間帯に先達たちはあまり関心がなかったようである。

ここまで書いた翌朝、僕はほんの少しだけ早起きして、夜明けの空を見上げていた。いくつもの名を拝命した空が、暗がりからゆっくりと色を帯びていく。

昔の人たちが愛したのは、一日のうちでもっとも短くてはかない、このひとときだったのだ。