吐く息が、まっ白な朝だった。
取材で茶農家を訪ねたのは、もう十年以上も前だ。茶畑を案内してもらい、斜面を登りながらつと振り返ると、朝露に濡れる茶樹の向こうに富士山がどんと構えていた。
しばらく呆けたように眺めた。空気は冷えびえと澄んでいた。
あの朝の景色をいまでも時々思い出す。
緑茶の奥深さ
それまで僕は、お茶にほとんど頓着していなかった。煎茶と番茶のちがいすら知らず、緑茶なら風味はどれもたいして変わりはないだろうと店の棚から適当に選んでいた。
だが、その思い込みはあっけなく崩れた。
製造現場を見せてもらい、職人に話を聞いて、お茶ひとつとってもこれほど奥が深いのかと舌を巻いたのだ。
浅蒸し茶と深蒸し茶
それまで知らなかったのが、浅蒸しと深蒸しである。
煎茶の製法をざっというと、摘みとった生葉を蒸して、揉んで、乾燥させる。これが荒茶。そのあと大きさごとに分類し、火入れとブレンドを経て製品になる。
浅蒸しと深蒸しというのは、最初の蒸し時間の長さで決まる。
浅蒸し茶の蒸し時間は、わずか十秒から三十秒。山間部など日照時間が短く、寒暖差の大きい土地で育った茶葉に向く。生育には時間がかかるが、土の養分をたっぷり吸い上げ、葉はやわらかい。お茶を淹れたときの色——水色は明るく澄んでいて、香り高い。
深蒸し茶はいまの主流で、一分から二分ほど蒸す。日照時間の長い平地で育つ固い葉に向いている。深く蒸すことで繊維が細かく砕け、成分が湯に溶け出しやすくなるからだ。水色は濃く濁り、香りも控えめだがコクがある。
蒸し時間の差は、たかだか一分半。それだけで湯呑みの中身ががらっと変わるのである。
僕は浅蒸し茶が好きだ。上等なものはアミノ酸が豊富で、特級の海苔を思わせる独特の風味がある。渋いのにうま味が強い。少し値が張るのが玉に瑕だ。
職人の仕事
荒茶を製品に仕上げる工程で、もっとも職人の腕が問われるのが火入れとブレンドだとも聞いた。
火入れは加熱による仕上げ乾燥で、香りの骨格をつくる。温度と時間のさじ加減で、茶の風味は大きく変わるという。ブレンドは複数の茶葉を合わせ、味と香りのバランスを整える作業である。
職人は茶葉を手に取って、目で見て、鼻で嗅ぎ、口で確かめながら判断する。どの葉をどんな割合で組み合わせるか。数字ではなく、長年の経験と勘が頼りという。
「ああでもない、こうでもないと、毎年頭を抱えています」
職人はそう言って笑っていた。
毎年同じ味を届けるため、毎年ちがったことをやる。職人の技というのは、突き詰めるとその一点に集約されるのかもしれない。
祖母の番茶
取材を終えた帰り道、祖母のことを思い出していた。
遊びに行くと、飲み物はいつも決まって番茶だった。番茶は摘採時期を過ぎた葉や茎から作る緑茶で、煎茶の低級品という位置づけだ。煎茶も摘んだ時期で一番茶から三番茶まであり、つまり緑茶というのは収穫時期が早いほど高級品ということになる。
でも番茶はカフェインが少なく、味わいもすっきりとしている。子どもの僕には飲みやすかった。何よりうれしかったのは、茶柱が立ちやすかったことだ。大人も子どもも湯呑みの茶柱を周囲に見せて笑顔になった。縁起がいい。きっといいことがあるぞ。あの家の面々は皆、本気でそう信じていたようだった。
最近は急須で緑茶を淹れる家庭が少なくなっている。確かにペットボトルのお茶を買うほうが手間がない。けれど茶柱はペットボトルの中には立たない。
あれはあながち迷信でもないのだろう。茶柱が知らせていたのはこれから訪れる幸運ではなく、ささやかだが確かなものがいま手の中にあるということだったのだ。
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