祠に手を合わせる杜氏たち——日本酒とみりん、醸造の主役は菌

杜氏と祠

二十代の頃、バーテンダーのアルバイトをしていたことがある。

スコッチ、バーボン、カルバドス——。お客さんにさらっと説明できるよう、洋酒の知識を一生懸命に仕入れた。日本酒や焼酎は、おじさんの飲み物くらいにしか思っていなかった。いまとなっては恥ずかしい話だが、当時はそれがかっこいいと信じて疑わなかった。

そんな安っぽい価値体系が変わったのは、酒蔵の取材をするようになってからのことだ。

全国あちこちの老舗の蔵を訪ね歩いた。江戸時代から続く蔵、明治の建物がそのまま残る蔵、山の懐にひっそりと建つ小さな蔵——どれも個性があって、どこも空気がちがっていた。

ひとつ共通していたことがある。敷地の一角に、小さな祠があったのだ。

水神さまに毎朝、手を合わせる

酒蔵の祠は、水の神さまを祀っている。ある杜氏に話を聞くと、「毎朝、手を合わせています」という。「この水が枯れたら、うちの酒はおしまいだから」。祠の近くに古い井戸があったので、汲みあげた水を飲ませてもらうことにした。

ハッとするほど、うまかった。

どことなく甘みがある。なめらかである。カルキの強い水道水のように喉につかえない。飲んだあとに余韻がある。その蔵が何百年と続いてきた理由がわかる気がした。こう思ったくらいである。

——井戸水相続税というのがあってもよさそうな気がする。

日本酒の原料は、米と水と米麹だけ。単純だからこそ、水の良し悪しがそのまま酒に表われる。水どころに酒どころというが、良い蔵のある土地には、決まって良い水がある。その水の恵みに感謝して、人々は神さまに手を合わせるのである。

酒蔵の取材には試飲がつきものだ。僕は酒は好きだが、酒に弱い。毎回ほろ酔いで話を聞く羽目になった。ただそういう場所で飲む酒は、これまた格別であった。

醸造の主役は、人間ではない

いちばん驚いたのは、蔵つき酵母の話だった。

日本酒を醸すとき、工場で大量生産するメーカーは培養した酵母を外から添加する。老舗の蔵はちがう。蔵に何百年と棲みついている菌——蔵つき酵母と呼ばれる——が、自然にタンクに入り込み、米を酒に変えていくのだ。

だから同じ米を使っても、蔵がちがえば酒の味も変わる。蔵つき酵母と水がちがうからだ。言い換えると、蔵の菌がある限り、何百年前と変わらぬ味と香りの酒が生まれ続けるのである。

醸造の物語においては、主役は人間ではない。菌だ。

酒の醸造は、麹菌が米のでんぷんを糖に変えながら、同時に酵母が糖をアルコールに変えていく。そうやって酒は出来上がる。乳酸菌も酵母とともに働いている。雑菌が入り込まないよう見張り役を務めるのだ。

人間にできるのは、環境を整えることだけである。酒造りに向く清澄な水を守り、温度を管理し、タイミングを見極める。主役である菌が気持ちよく働けるよう、杜氏たちは季節を問わず面倒をみる。

すべてを思い通りにコントロールしようとはせず、相手を信じ、環境を整えて待つ。それは酒造りだけでなく、日々の暮らしや家族との関係、ひいては生き方そのものにも通じる知恵なのだと、僕は思う。

お酢も味噌も醤油も、基本は同じだ。発酵というシナリオにおいて、人間はいつも脇役である。

酒の種類、選び方

日本酒は原材料と製法によっていくつかに分類されるが、僕が選ぶのはいつも同じ。純米と名のつくものだ。カメラはニコン、万年筆はセーラー、ジーンズはリーバイス、これと同じで、僕は昔から一度決めたらずっとそれ。若い時分はそれが自分なりのこだわりでもあったけれど、この年になると単に考えるのが億劫という理由のほうが勝っている気もする。

話が逸れたが、純米酒というのは、米と米麹と水だけで醸した酒だ。つまり昔ながらの酒である。米のうま味がしっかりと出た、飲みごたえのある酒で、燗にしてもうまい。

その仲間に、精米歩合がさらに低い純米吟醸と純米大吟醸がある。精米歩合というのは、米の外側をどれだけ削り取っているかを表わす数字で、低いほど雑味のないすっきりとした味わいが楽しめる。純米大吟醸などは米の半分以上をそぎ落とす贅沢さで、それだけ繊細でフルーティな酒に仕上がる。きんきんに冷やしていただくともう、欣快の至りである。

純米以外では、吟醸、大吟醸、本醸造などがある。こちらは醸造アルコールが添加されている。製造コストを下げたり、香りを引きたてたりする目的だが、別に悪い酒というわけでもない。ただ僕はどぶろくの夢を見て以来、米だけの酒にぞっこんなのである。

どぶろくの夢については塩麹の記事に書いたので、ここでは割愛する。

日本酒の兄弟分、みりん

みりんは、日本酒の兄弟分と言っていい。みりんの原料は、もち米と米麹、焼酎または醸造アルコール、この三つ。これらを合わせて熟成させると、麹菌の力でもち米のでんぷんが糖に変わり、ゆっくりアルコールと独特の甘みが生まれてくる。アルコール分は約14%。れっきとした酒である。

作り方は日本酒とよく似ている。時間をかけて熟成していくなかでアミノ酸と糖の複合体が生まれ、煮物や照り焼きに深みと照りを与えてくれる。みりんのうま味は、砂糖では出せない複雑なものである。

みりんに関しても、僕の選択はワンパターン。本みりん一択である。みりんには、本みりんとみりん風調味料の二種類があるが、値段はかなりちがう。中身が異なるからだ。

本みりんの原材料は前述の通りで、酒として売られているが、みりん風調味料はアルコールをほとんど含まない。原材料も水飴や砂糖、化学調味料などを加えて本みりんの風味を再現している。発酵のプロセスはない。酒税がかからないから安価ではあるものの、発酵によって生ずる本みりん特有のうま味はないし、照りもない。

そんなこととはつゆ知らず、昔は安価なみりん風調味料を使っていたから、本みりんに変えたときはちょっと驚いた。煮物の味が一段深くなったし、なにより煮崩れがしにくくなったからだ。

知ることは、守ること

一人暮らしを始めたばかりの頃、料理に興味が湧いておいしい筑前煮を作ろうと四苦八苦していたことがある。でも満足のいくものが作れず、そのうち料理をすること自体を放り投げてしまった。あの頃の僕に教えてやりたい。本みりんとみりん風調味料のちがい、そして酒蔵で飲んだ酒の味わいを。

洋酒が悪いわけではない。ただ取材を通じて日本の醸造文化の深さを知るまで、僕は自分の足元にある宝に気づいていなかった。スコッチの産地や製法にくわしくても、蔵つき酵母のことは何ひとつ知らなかった。

生まれ育った国の伝統と文化を深く知ることで、それを大切に守り継ぎたいという気持ちが育まれていく——。水の神さまに手を合わせる杜氏の背中を思い出しながらそんなことを考えていたら、無性に喉が乾いてきた。

よし、こないだ蚤の市で買った徳利で、熱燗でも一本つけるかな。