祠に手を合わせる杜氏たち——日本酒とみりん、醸造の主役は菌である

杜氏と祠

若いころ、バーテンダーのアルバイトをしていたことがある。

スコッチ、バーボン、カルバドス——。お客さんにさらっと説明できるよう、洋酒の知識を一生懸命仕入れた。日本酒や焼酎は「おじさんの飲み物」くらいにしか思っていなかった。今となっては恥ずかしい話だが、当時はそれがかっこいいと信じていた。

そんな価値観が変わったのは、酒蔵の取材をするようになってからだ。

全国あちこちの老舗の蔵を訪ね歩いた。江戸時代から続く蔵、明治の建物がそのまま残る蔵、小さな山あいにひっそりと建つ蔵——。どこも個性があって、どこも空気が違った。

けれど、どこにもひとつ共通していたことがある。敷地の一角に、小さな祠があったのだ。

水の神様に、毎朝手を合わせる

酒蔵の祠は、水の神様を祀っています。

杜氏に話を聞くと、「毎朝、手を合わせています」という。「この水が枯れたら、うちの酒はおしまいですから」

敷地内に古い井戸があって、そこから汲みあげた水を飲ませてもらいました。

ハッとするほど、うまかった。

少し甘みがあって、なめらか。飲んだあとに余韻を引く。その蔵が何百年も続いてきた理由がわかる気がしたものです。

日本酒の原料は、米と水と米麹だけです。シンプルだからこそ、水の良し悪しがそのまま酒に出る。いい蔵のある土地には、決まっていい水がある。その水の恵みに感謝して、人間は神様に手を合わせる。

そういう場所で飲む酒は、格別でした。

はやま
はやま

試飲させていただくのですが、毎回飲みすぎてしまって、ほろ酔いでお話を伺うという(笑)

醸造の主役は、人間ではない

取材で一番驚いたのは、蔵付き酵母の話でした。

日本酒を醸すとき、工場で大量生産するメーカーは培養した酵母を外から添加します。でも老舗の蔵は違う。酵母を添加しない。その蔵に何百年も棲みついている菌——蔵付き酵母が、自然にタンクに入り込んで、米を酒に変えていくのです。

同じ米を使っても、蔵が違えば酒の味は変わる。水と、その蔵に棲む菌が違うから。反対に、その蔵の菌が生きているかぎり、何百年前と変わらぬ味の酒が生まれ続ける。

なんとなくロマンを感じました。

醸造の物語において、主役は菌。人間は脇役なのです。

まず麹菌が米のデンプンを糖に変える。塩麹の記事でも書いたように、麹菌は本当によく働きます。仕事を終えると、バトンを酵母に渡す。今度は酵母が糖をアルコールに変えて、酒になる。乳酸菌も脇で働いて、雑菌が入り込まないよう環境を整える。

人間にできるのは、その環境を整えることだけです。いい水を守り、温度を管理し、タイミングを見極める。主役の菌たちが気持ちよく働けるよう、杜氏たちは季節を問わず蔵に通う。

お酢も味噌もしょうゆも、基本は同じ。発酵食品の物語において、人間はいつも脇役。主役は目に見えないくらい小さな菌たちなのです。

日本酒の種類と選び方

日本酒は原材料と製法によって、いくつかに分類されます。ここを押さえておくと、選ぶとき迷わずにすみます。

純米酒系——米と水と麹だけ

「純米」とつくものは、米・米麹・水だけで造られた日本酒です。余計なものが入っていないの、という意味で、発酵食品本来の姿に最も近い。

  • 純米酒:米の旨みがしっかりと出た、飲み応えのある酒。燗にしてもおいしい。
  • 純米吟醸:精米歩合60%以下の米を使用。華やかな香りが特徴。
  • 純米大吟醸:精米歩合50%以下。フルーティーで繊細な香り。冷やして飲むのが一般的。

醸造アルコール添加のもの

「純米」とつかないもの(吟醸、大吟醸、本醸造など)には、醸造アルコールが添加されています。香りを引き立てたり、製造コストを下げたりする目的で添加されるもので、必ずしも「悪い酒」ではありません。ただ、原料が米だけではないということは知っておいてください。

迷ったら「純米酒」を選ぶ
原材料が「米(国産)、米麹」のみのもの。これが日本酒本来の姿です。

みりんは、日本酒の兄弟だった

みりんの話をするとき、わたしはいつも「日本酒の兄弟」と表現します。

本みりんの原料は、もち米・米麹・焼酎(または醸造アルコール)の三つだけ。この三つを合わせて熟成させると、麹の力でもち米のデンプンが糖化し、ゆっくりとアルコールと独特の甘みが生まれる。アルコール分は約14%。れっきとした「お酒」です。

製造工程は日本酒と非常に似ています。麹が主役を張り、アルコールが生まれ、時間をかけて熟成する。その過程で生まれるアミノ酸と糖の複合体が、煮物や照り焼きに深みと照りをもたらします。砂糖では出せない、複雑なうまみです。

本みりんと、みりん風調味料の違い

スーパーの棚には、「本みりん」と「みりん風調味料」が並んでいます。値段がかなり違います。この二つ、中身はまったく異なります。

本みりんは前述の通り、もち米・米麹・焼酎を発酵・熟成させたものです。アルコールが含まれるため、酒類として販売されます。

みりん風調味料は、水飴や砂糖、グルタミン酸(化学調味料)などを合わせて本みりんの風味を再現したものです。発酵のプロセスはなく、アルコールもほぼ含まれません(1%未満)。酒税がかからないぶん安価ですが、発酵によって生まれる本みりん固有の旨みや照りは出ません。

本みりんの原材料表示
「もち米、米麹、醸造アルコール」または「もち米、米麹、焼酎」のみ。これが本物です。

みりん風調味料の原材料表示の例
水飴、糖類、米、米麹、食塩、アミノ酸等……といった表示が続く。

料理に使うみりんを本みりんに替えるだけで、煮物の味が一段、深くなります。煮崩れしにくくなる効果もあり、一度使うともとには戻れません。

知ることが、守ることになる

若いころの自分に、あの酒蔵で飲んだ酒の味を教えてあげたい。

洋酒が悪いわけではありません。でもわたしは、取材をとおして日本の醸造文化の深さを知るまで、自分たちの足元にある宝物に気づいていなかった。スコッチの産地や製法にはくわしくても、日本酒の蔵付き酵母のことは何も知らなかった。

自分の国の伝統や文化を深く知ることで、それを大切に守っていきたいという気持ちが育まれていく——。水の神様に手を合わせる杜氏たちの背中を見ながら、そんなことをぼんやりと考えていました。

何百年も続いてきた酒を絶やさないために、彼らは今日も蔵に通い、水に感謝し、菌たちが気持ちよく働ける環境を整えていることでしょう。

今夜は熱燗にします(笑)

はやま

酒蔵取材の帰り道、駅のホームで飲んだ缶ビールが、いつもより少しさびしく感じました。それ以来、家では日本酒を飲む機会が増えました。もちろん、ビールもワインもスピリッツはいまでも大好きです。そう、ただの呑兵衛です(笑)

まとめ

  • 老舗酒蔵は蔵付き酵母を使う。何百年も蔵に棲みついた菌が、今日も変わらぬ酒を醸している
  • 発酵の主役は菌。人間にできるのは、菌が気持ちよく働ける環境を整えることだけ
  • 日本酒は「純米酒」を選ぶのが基本。原材料が米・米麹のみのもの
  • 本みりんは日本酒の兄弟。もち米・米麹・焼酎を発酵・熟成させたお酒
  • みりん風調味料との違いは原材料表示で確認できる
  • 知ることが守ることにつながる