テレビで甘酒の特集が放送されるたび、妻がスーパーへ走る。「飲む点滴なんだって」と言いながら、紙パックの甘酒を両腕に抱えて帰ってくる。それを冷蔵庫の奥にどんと入れ、三日続けて飲む。ところが四日目には存在を忘れてしまう。
僕はこっそり賞味期限を確認し、冷蔵庫の手前にそっと移動させておく。誰にも気づかれない、小さな家庭内工作だ。
これが、我が家の甘酒との長年のつき合い方だった。
ある冬の晩、僕は炊飯器で米麹の甘酒を仕込んだ。翌朝、ふたを開けた瞬間に立ちのぼる甘い香りに、台所の空気がふっとやわらいだ。小鍋でさっと温め、湯気の立つカップを妻と娘に差し出す。
一口飲んで、二人は声をそろえて言った。
「……わ」
二人の「わ」は、驚きと喜びが半分ずつ混ざった声だった。
そのあと妻は、ごくごくと一息に飲み干していく。おいおい、それはスポーツドリンクではないぞ。一晩かけて僕が、いや麹菌が醸してくれた貴重な嗜好品だ。そう喉元まで出かかったが呑み込んで、娘のほうを見た。
娘は湯気を目で追いながら、ちびりちびりと味わっている。口に含んでから、少し考えるように甘さを確かめる。さすがは僕の娘だ。品と嗜みを持ち合わせている。
「どう?」と聞く。もちろん答えはわかっている。でも聞きたい。
「うん。紙パックのと全然ちがう。おいしい」
「ふふ。そうだろそうだろ。うふふ」年甲斐もなく、はしゃいだ声が出た。
娘が笑い、妻が「そんなに?」と呆れた顔をする。こういう朝は、なんだかいい。
この記事に書いていること
江戸の夏は、甘酒の季節
意外なことに甘酒はもともと夏の飲み物だ。俳句の季語でも夏に分類されている。江戸時代には甘酒売りが街を歩き回り、暑さに疲れた人々に甘酒を売っていた。いまで言えば、かき氷の屋台みたいなものだ。
なぜ夏なのか。滋養強壮のためである。江戸の夏は過酷だった。冷房がない。重労働。熱中症で命を落とす人も少なくなかったという。そんな時代にブドウ糖とアミノ酸を素早く補給できる甘酒は、夏を乗り切るための大切な栄養源だった。
飲む点滴というのは現代の表現だが、江戸の人たちはそのことを体で知っていた。甘酒の歴史はさらに古く、『日本書紀』にも登場する。日本人は千年以上、この発酵飲料とともに暮らしてきたのだ。
米麹と酒粕、二種類の甘酒
甘酒には米麹を使うものと酒粕を使うものの二種類がある。
米麹の甘酒は、米麹と米を一晩発酵させて作る。アルコールを含まないので、子どもでも妊娠中でも飲める。甘さの正体は、麹菌が米のでんぷんを分解して作るブドウ糖だ。砂糖を入れなくても、しっかり甘い。ビタミンB群や葉酸、オリゴ糖も含む、優秀な栄養ドリンクである。
それにしても麹菌は、あっちこっちで本当によく働く。日本酒、みりん、味噌、醤油、お酢……。日本の華やかな発酵文化は彼らがいなければ花開かなかった。
一方、酒粕の甘酒は、酒のもろみを搾ったあとに残る酒粕を湯に溶かし、砂糖を加えて作る。少量のアルコールを含むので、飲むと体がぽかぽかする。子どもやドライバーには向かないが、寒い夜にはこれがまたうまい。生姜を少し加えると、さらに体が温まる。

ご存じの通り、日本酒も麹菌を使って作ります。簡単に言うと、甘酒の糖分を酵母で発酵させてアルコールに変えたのがお酒。だからお酒は甘酒みたいに甘くない。もろみというのは発酵が終わった直後のどろどろした液体で、絞ると透き通った日本酒になります。
米麹の甘酒は、飲む点滴
うちの妻が愛してやまないのは米麹の甘酒のほうだ。といっても、江戸の庶民のように暑さや重労働に喘いでいるわけではない。
毎日帰宅するとエアコンの効いた部屋で夕飯を食べながら、洗濯物を畳みながら、お菓子を食べながら、歯を磨きながら、スマホで数独パズルを何十問と解いている。それで脳のブドウ糖が枯渇し、飲む点滴を求めているのだと思う。そのエネルギーを何かもっと有意義なことに使えば……と思わないこともないが、むろん口が裂けても言えない。言えないのだが、甘酒を飲むと妻の数独の正解率が上がる——気がする。本人は否定しているが、僕はひそかに統計を取っている。
米麹の甘酒が「飲む点滴」と呼ばれるのは、本物の点滴の主成分であるブドウ糖とアミノ酸を豊富に含んでいるからだ。消化の負担も小さく、体が弱っているときでもスムーズに栄養補給が行なえる。ただし糖質は多い。飲みすぎには注意が必要だ。
米麹の甘酒の作り方:炊飯器
炊飯器の保温機能を使って手軽に作れる。ポイントはひとつだけ。温度を六十度前後に保つこと。麹菌は暑がりで、七十度を超えると働けなくなる。ふたを開けて布巾をかけるのは、彼らのための日陰作りみたいなものだ。
材料(作りやすい量)
- 米麹(乾燥):200g
- ご飯(冷やご飯でも可):200g
- 水:400ml
作り方
- 水を60℃程度に温め、炊飯器にご飯と一緒に入れてよく混ぜる。
- 温度計で60℃であることを確認し、米麹を加えてさらに混ぜる。
- 炊飯器のふたを開けたまま、濡れ布巾をかけて保温モードにする。
- 10時間保温したら完成。途中で数回かき混ぜると、甘さが均一になる。
炊飯器の保温温度は機種によって異なる。麹菌は70℃を超えると酵素が失活してしまうので、ふたを開けて布巾をかける方法で60℃前後をキープするのがコツ。
出来上がった甘酒は冷蔵庫で5日ほど保存できる。そのまま飲んでも、温めても、ヨーグルトや豆乳に混ぜてもおいしい。砂糖の代わりに料理の甘みとして使う手もある。
酒粕の甘酒の作り方:鍋
こちらはもっと手軽だ。酒粕を買ってくれば、10分で出来上がる。
材料(2人分)
- 酒粕:50g
- 水:400ml
- 砂糖:大さじ1〜2(好みで調整)
- 塩:少々
- 生姜(すりおろし):お好みで
作り方
- 鍋に水を入れて中火にかける。
- 酒粕を小さくちぎって加え、混ぜながら溶かす。
- 砂糖と塩を加えて味を整える。
- 沸騰直前で火を止め、好みで生姜を加える。
酒粕はそのまま鍋に入れると溶けにくい。あらかじめ少量の湯に浸けてやわらかくしておくか、手でちぎって小さくしてから入れると溶けやすい。
アルコールを含むので、子どもには米麹の甘酒。大人のほっとひと息には酒粕の甘酒。そんな使い分けが、我が家では定着している。
おわりに
甘酒は、日本人が千年以上かけて育んできた発酵文化のひとつだ。スーパーの紙パックを買うのも悪くはない。けれど、一度くらいは手作りしてみることをおすすめしたい。
炊飯器に仕込んで一晩——。翌朝、ふたを開けたときの甘い香りは、なんともいえない幸福感を運んできてくれる。妻と娘に飲ませたときの「わ」という表情は、いまもしっかりと覚えている。あれ以来、紙パックの甘酒は、我が家の冷蔵庫から消えた。
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