台所に立って、鍋に水を張る。昆布を沈めながら、「そういえば最近、昆布の値段が上がったな」と考える。弱火にかけて、しばらく待つ。やがて台所に、ふわっとした海の香りが満ちてくる。
その瞬間、値段のことなんてどうでもよくなってしまう。眠い朝でも昆布の香りを胸いっぱいに吸い込むと、「ああ、今日もなんとかなるだろう」と思える。
味見する。……うまい。どうして、こんなにうまいのか。
妻の昆布が、すべての始まり
百年以上前、今日の僕と同じように台所で昆布を眺めていた男がいた。
明治40年(1907年)の春である。
東京帝国大学の化学者だった池田菊苗は、妻の貞が買ってきた一束の昆布を眺めながら、ある既視感にとらわれていた。
この味、どこかで感じたことがあるぞ——。
思い当たったのは、8年前のドイツ留学だった。ライプチヒ大学で学んでいた池田は、そこで生まれて初めてトマトやアスパラガス、チーズ、肉料理を口にした。驚いたのはその味だ。日本では味わったことのない、でもなぜか懐かしい、体がほっとする味だった。
それが今、目の前の昆布出汁の中にある。
昔から皆が知る四つの基本味のどれとも異なる味——その正体を突きとめようと、池田は実験室にこもった。
12キロの昆布から、わずか30グラム
何度も試み、何度も失敗する。助手を巻き込みながら試行錯誤を重ねたすえ、1908年2月、池田はついに答えを手にした。
12キログラムの昆布を煮出し、煮詰め、結晶化させて取り出した物質——その重量わずか30グラム。米袋ひとつ分以上の昆布から、たったスプーン2杯分の結晶。家でやったら翌月のガス代の請求書を見るのが恐ろしいことになる。
その正体は「グルタミン酸」という物質だった。池田はこの味に「うま味」と名前をつけた。のちに某うま味調味料として商品化され、日本中の食卓へ届けられることになる。
池田はこんな言葉を残している。「学術上より見れば、余の発明は頗る簡単なる事柄なりし」。要するに「たいしたことじゃない」ということだ。世界を変える発見をしておきながらこの謙遜ぶり。好人物である。
そう感じたのは僕だけではなかったようで、ドイツからの帰り道、ロンドンに数か月滞在した池田は、下宿先でひとりの文学青年と出会う。夏目漱石だ。
若き日の漱石はロンドン滞在中、異国の慣れない食事に辟易し、日本の妻へ宛てた手紙の中で現地の食生活への愚痴を繰り返しこぼしては、胃を痛めていた。そんな彼に、池田は熱っぽく語ったのかもしれない。ヨーロッパの料理と、日本の昆布出汁の底に流れる、まだ名のない件のほっとする味について。
漱石は、この風変わりで博学多識な化学者にすっかり感銘を受けた。のちに愛弟子となる寺田寅彦へ宛てた手紙の中で、「御蔭で幽霊の様な文学をやめて、もっと組織だつたどっしりした研究をやらうと思ひ始めた」と興奮気味に書き残している。漱石にとって、池田との出会いは文学的にも重要な転換期となった。
偶然か、必然か
「妻が買ってきた昆布がきっかけだった」——池田自身がそう書き残しているので、これが通説となっている。だが近年、これに異を唱える説もある。
池田は京都の出身である。幼い頃、京都の静かな台所で、当たり前のようにやさしい昆布出汁を味わい育った。体に染み込んでいたその繊細な記憶が、ドイツの地でトマトやアスパラガスを口にした瞬間に「……あれだ」と、時空を超えて響き合ったのではなかろうか。
妻の昆布は、直接のきっかけというより、彼の中に眠っていた「食卓の記憶」を呼び覚ます最後のスイッチだったのかもしれない。
妻が買ってきた上質な昆布を見ても、僕のような凡人は「今夜はおいしい湯豆腐かな」と呑気に晩酌の準備を始めて終わりだ。偉大な発見への道は、どうやら遠そうである。
日本人は千数百年間、知らずに知っていた
池田菊苗が「うま味」と名づけるはるか昔から、僕らの祖先はその味を使いこなし、受け継いできた。名前も知らぬまま。正体もわからぬまま。それでもたしかに「おいしいぞ」と感じながら。
母が娘に伝え、娘がまたその娘に伝え、出汁は途絶えることなく日本の台所で生き続けてきた。池田の発見は、その「知らずに知っていたもの」に初めて名前をつけた瞬間だった。
「うま味」はいまや世界共通語
「うま味」は今、世界の料理人たちの共通語になっている。
ミシュランの星付きシェフたちが「umami」を競い、食の研究者たちが「fifth taste(第五の味)」として論文を書く。「tsunami(津波)」「emoji(絵文字)」と同じように、日本語がそのまま国際語になった数少ない言葉のひとつだ。
「umami」が世界に認められるまでには、池田の発見から実に80年近くかかった。1985年にハワイで開かれた国際シンポジウムでようやく学術的に認められ、21世紀に入って舌の上にうま味受容体が発見されたことで、世界への普及が決定的なものとなったのだ。
一足飛びにはいかなかった。一人の化学者の執念が、100年の時を超えて、世界中の台所を地続きにしたのだ。
今日の味噌汁が、昨日と違って見える
昆布を鍋に入れるとき、たまに思う。
千年以上前の誰かもこの味を感じていた。京都に暮らしていた幼い池田菊苗も、ドイツのレストランで初めて見る料理に舌鼓を打った若き化学者、池田菊苗も——。うま味は見つかったのではなく、ずっとそこにあったのだ。
僕らが作る味噌汁の中に、名前がつくはるか昔から——。
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