日本語で「い」をつけてそのまま形容詞になる色は、赤、青、白、黒の四つだけと書いたことがある。
では緑や紫、茶などその他大勢の色は、いったいどこからやって来たのだろう。昔の人たちは身のまわりのものを指さし、片っぱしから色の名前にしていったのだ。
緑はもともと色の名前ではなかった。芽吹いたばかりの、若くてみずみずしいものを「みどり」と言った。だから生まれたての赤ん坊を「みどりご」、つやのある美しい黒髪を「みどりの黒髪」と呼んだのだ。
ちなみに緑という色は、ずいぶんと長く青に間借りしていた。その名残から、いまも緑色の信号を僕らは青信号と呼んでいるのだ。
こうして指さし大会の幕が切って落とされた。
夕焼けの赤は、赤い染料に用いられた草の名から「茜色」。高貴な紫は、群ら咲きという、これまた草の根の染料から。桜色、桃色、山吹色、萌黄……。さらに動物も動員。鶯色、狐色、それから鼠色。
日本の色見本帳はよく見ると、半分くらい植物図鑑と動物図鑑の様相を呈している。
江戸時代、庶民は派手な色を身につけるのを禁じられた。贅沢はいけないというお達しである。赤も紫もお上がだめという。皆ふてくされ、さぞかし毎日が味気なくなったのではないか。そうはならなかった。
江戸の人々は、着衣に使える茶色や鼠色をこまかく分け始めたのだ。
この茶色はほんの少し赤みがかっている。この鼠色には少し緑が入り込んでいる。微妙なちがいをひとつひとつ見分け、名前をつけていった。
利休鼠、銀鼠、鳩羽鼠……。その数、実に四十八茶百鼠。四十八も百も数えきれないほどという意味であるが、それにしたってただの灰色にこれほどの名を用意した文化が他にあるだろうか。
僕はこの話がとても好きだ。何かを失った人たちが、それを嘆くのではなく、手元に残ったものの中に豊かさを見出していく。ふだん味気ないと思い込んでいるものにも、まだ気がついていない魅力が隠されているのかもしれない。
今日の曇り空にはどんな名がついているのだろう。昔の人たちのように世界を眺められたら、僕らの暮らしもいまよりずっと華やぐにちがいない。
- 素足のことば——和語と漢語と外来語
- 腹で決めて、胸で泣く——和語の言葉遣づかいから感情の居場所を読み解く
- 空は、嘘のふるさと——和語の名づけの遊び心と愛嬌
- 式神はオフレコで——やまとことばの老学者への夢のような取材
- 七つ前は神の内——お宮参りと七五三、それから初詣
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

