子どものころ、水を張った田んぼに裸足で入った。
足の裏に、ぬるっとした感触が広がる。冷たい泥。水面に映る空。アメンボが逃げていく。カブトエビがゆっくり浮かんでは沈む。
気持ちよかった。
理由なんて考えなかった。ただ、気持ちがよかったのだ。
大人になって、キャンプに行くたびに裸足になる。テントを張り終えたら、まず靴を脱ぐ。それだけで、何かがほぐれる気がする。登山中、森のなかを歩いていると体の芯から静まる感覚がある。海で砂浜を踏むたびに、大地から何かをもらっている気がする。
あの感覚は、気のせいではなかった。
森に入ると、体が変わる
1982年、林野庁が「森林浴」という言葉をつくった。
日本語として生まれたこの言葉が、いまでは「Shinrin-yoku」として世界の医学・健康分野で使われている。「umami」と同じように、日本語がそのまま国際語になった言葉のひとつだ。
森のなかで樹木が発散している揮発性物質を「フィトンチッド」という。もともとはロシアの生化学者が1928年に命名した言葉で、「植物が殺す」という物騒な意味を持つ。樹木が虫や細菌から身を守るために放出する化学物質で、人間の体に入ると、免疫細胞の一種「NK細胞(ナチュラルキラー細胞)」を活性化することがわかっている。
NK細胞は、がん細胞やウイルスに感染した細胞を攻撃する、体の最前線の守り手だ。
日本医科大学の研究によれば、2泊3日の森林浴でNK細胞の活性が約50%上昇し、その効果は1か月以上続いたという。月に数日、森を歩くだけで、免疫力が底上げされるのだ。ストレスホルモン(コルチゾール)も下がる。血圧も下がる。心拍数も落ち着く。
森は、薬だ。
はやま
足の裏は、第二の脳だった
足の裏には、全身のなかでもとくに高密度な神経終末が集まっている。
親指の腹ひとつに、数百個の感覚受容器が密集している。土の凹凸、温度、湿度、地面の傾斜——。靴を履いていると感知できないこれらの情報が、裸足になった瞬間から脳へ送られ始める。
この感覚入力は「固有感覚(プロプリオセプション)」と呼ばれ、体のバランスを保つだけでなく、脳の感覚野や小脳を活性化させる。現代人は一日の大半を靴を履いて過ごす。その間、足裏の神経は仕事をしていない。
「裸足になると、足裏でとらえた情報が脳のふだん使わない場所に届く感じがする」——その感覚は、神経科学的に正しい。
子どものころ、田んぼの泥があんなにも気持ちよかったのは、感覚器官が全開になっていたからかもしれない。大地と足の裏が直接つながっていた時間。大人になった体にも、その回路はまだ残っている。
アーシング——大地とつながる、古くて新しいセルフケア
「アーシング(Earthing)」または「グラウンディング(Grounding)」と呼ばれる健康法がある。
裸足で地面に触れることで、地球の表面に存在する「自由電子」が体内に流入し、体内の活性酸素(フリーラジカル)を中和するという考え方だ。活性酸素は老化や炎症の引き金とされているので、大地の電子が天然の抗酸化剤になるというわけだ。
「電子が体に入る?」と思うかもしれない。
地球の表面はわずかにマイナスの電位を持っている。素足で土や草の上に立つと、体と大地のあいだに電位差が生まれ、電子が体内へ移動する。物理的には、ごく自然な現象だ。ゴム底の靴は、この電子の流れを完全に遮断している。現代人が一日中履いている靴が、人間と大地のあいだに立ちはだかっている。
研究の蓄積はまだ途上だが、炎症の軽減、睡眠の改善、ストレス軽減などの効果が複数の論文で報告されている。砂浜がとくに気持ちいいのは、濡れた砂が電気をよく通すからかもしれない。海辺に行くと妙に元気になるのは、潮風や景色だけが理由じゃなかったのかも。
はやま
日本人は、ずっと知っていた
「土から力をもらう感覚」は、日本人にとって新しいものではない。
神社の参道に敷かれた玉砂利を踏む感覚を、思い出してほしい。あのゴロゴロとした感触は足裏の感覚受容器を目覚めさせ、体のスイッチを入れる。「なんとなく気持ちが整う」のは、空間の神聖さだけが理由ではないかもしれない。
禊(みそぎ)は水で体を清める儀式だが、川辺や海辺で素足のまま行なわれてきた。大地に素足で立ち、冷たい水に触れる。体と自然を直接つなぐ行為が心身を整えるという感覚は、科学より何百年も先に、日本人の体が知っていたことだ。
農作業で土に触れる暮らし、畳の上を素足で歩く生活、夏の川遊び——。現代より土と体の距離がずっと近かった時代の人たちは、意識せずアーシングをしていた。「なんとなくの気持ちよさ」に、まだ名前もついていないころから。
靴を脱いで、10分でいい
キャンプに行くたびに、わたしは裸足になる。
テントを設営して、焚き火の準備をして、それから靴と靴下を脱ぐ。足の裏が地面に触れた瞬間、「あ、来た」という感覚がある。うまく説明できないが、スイッチが入るような、逆にスイッチが切れるような、そういう感覚。
登山中は、さすがに靴は脱がない(笑)。でも森のなかを歩いていると、体の芯から静まる感覚がたしかにある。フィトンチッドをたっぷり吸い込みながら、何千個もの神経終末が地面の情報を拾いながら、体はしっかり仕事をしている。
近くに自然がないなら、公園の芝生でかまわない。雨上がりの土の上でもいい。
たった10分――。
靴を脱いで、大地に立ってみてほしい。
子どものころ田んぼで感じたあの感覚は、大人の体にも、まだ残っている。
はやま
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

