土鍋でつくる、ということ——風邪の夜のお粥と、1200年つづく「やさしさ」の話

おかゆ

娘が熱を出すたびに、土鍋を引っぱり出す。

小さいころから変わらない。高校生になったいまも。米を研いで、水を多めに張って、弱火でゆっくり炊きあげる。仕上げに塩をひとつまみ。梅干しをひとつ、小皿に置く。それだけ。

最初のころは凝ったお粥をつくっていた。しらすを入れたり、白身魚を入れたり、刻んだ大根やねぎを加えたり。栄養をつけてもらおうと思ったからだが、毎回、怒られた。

「パパ、シンプルでいい」

——そうか。

いまは何も入れない。塩と梅干しだけ。それが正解らしい。

お粥は、1200年前から日本の台所にあった

日本でお粥が食されてきた歴史は古い。奈良時代の文献にすでに記録があり、1200年以上にわたって日本人の体を支えてきた。

禅寺では今も、朝の食事はお粥から始まる。一汁一菜の原点は、静かな朝の粥椀にある。余計なものを削ぎ落とした食卓——それが禅の食の美学だった。

正月7日の七草粥、小正月(1月15日)の小豆粥——。行事のたびにお粥が登場するのも、単なる習慣ではない。正月の食べすぎで疲れた胃腸をいたわる七草粥は、先人たちの知恵だ。1年の豊作を占う小豆粥は、農耕民族としての祈りそのものだった。

産後の体に。病みあがりに。旅館の朝、静かに供される白い椀に——。お粥はいつも、体が弱っているとき、あるいは体を整えたいときに、そっと傍らに置かれてきた。

なぜ、体が弱るとお粥が食べたくなるのか

熱が出たとき、胃腸が疲れているとき、体が自然とお粥を求める。気のせいではない。

お粥は米を大量の水で長時間炊く。その過程で米のデンプンが十分に糊化(α化)され、消化酵素が働きやすい状態になる。ふつうのご飯と比べて、胃腸への負担が格段に小さい。体が炎症と闘っているとき、消化に使うエネルギーを最小限に抑えてくれる。

水分も同時に補給できる。発熱で失われた水分を、食事といっしょに穏やかに取り戻せる。点滴のような、食べ物の形をした水分補給だ。

「消化にいいから食べさせる」——。お母さんたちがなんとなくやってきたことには、ちゃんと理由があった。

はやま

お粥に梅干しを合わせるのも、理にかなっています。梅干しのクエン酸は疲労回復を助け、殺菌作用もある。塩分が電解質の補給にもなります。シンプルな組み合わせが、実は体に必要なものをきちんと届けてくれています。梅干しについてはこちらもどうぞ。

「シンプルでいい」という娘が正解

しらすを入れても怒られ、大根を入れても怒られ、最終的に塩と梅干しだけに落ち着いたのは、娘が正しかったからだと思う。

具だくさんのお粥は、もはや雑炊だ。消化器官を休ませるという目的からすれば、素材が多いほど胃腸に仕事をさせることになる。薬膳の考え方でも、病中のお粥はシンプルであるほどよいとされている。余計なものを入れない、削ぎ落とされたやさしさ。

それに——。熱でぼんやりした頭で食べるとき、白くてあたたかいものが、ただそこにある、ということ自体に意味があるのかもしれない。味より先に、その白さと湯気が「だいじょうぶだよ」といっている。

土鍋で炊く理由

電気炊飯器にもお粥モードはある。でもわたしは土鍋を出す。

土鍋はゆっくり温まり、ゆっくり冷める。その均一で穏やかな熱が、米をじっくりと糊化させ、甘みを引き出してくれる。炊飯器のお粥と土鍋のお粥は、同じ材料でも別のものだと思う。

でもそれより、土鍋を出してガスにかける、という行為そのものに意味があるような気もしている。時間をかけて、ゆっくり炊く。その時間が、親が子にしてやれることのひとつだと感じるから。

カレイの煮つけ、という刷り込み

わたしは風邪をひいても食欲が落ちない。高熱が出ていても、何でも食べられる。だから子どものころ、母がつくってくれるお粥は正直なところ物足りなかった。家族が食べているしっかりしたおかずがうらやましくて仕方なかった(笑)

ただ、カレイの煮つけは別だった。

熱が下がるとかならず、やわらかめのご飯とカレイの煮つけとみそ汁が出てきた。それが母の「回復食」の定番だった。べつに特別な料理ではない。でも何十年も経ったいま、風邪をひくとカレイの煮つけが食べたくなる。ご飯と、みそ汁と、梅干しとともに。

刷り込みだろう。体が弱ったとき、あの味が「回復のサイン」として記憶に刻まれている。体が覚えている。

子どものころ風邪をひいたとき、お母さんがつくってくれたものを、大人になっても食べたくなる——そういう食べ物が、誰にもひとつはあるのではないだろうか。

お粥は、愛情の最小単位だ

妻も風邪をひくとお粥を頼んでくる。娘も熱が出るとお粥を待っている。

食べないのは自分だけだが、つくることはできる。土鍋を出して、米を研いで、弱火にかけて、待つ。その時間に、何かが宿っている気がする。

お粥は、手間がかかるのに地味だ。豪華でもなく、映えもしない。でも病気の体に椀を差し出すとき、それ以上のものは何もいらない。

1200年前の誰かも、熱を出した子どものそばで、同じように土鍋を火にかけていたはずだ。道具も材料も変わっていないし、その気持ちも、たぶん変わっていない。

はやま

土鍋でお粥をつくるコツは、弱火でふたをずらして炊くこと。吹きこぼれを防ぎながら、蒸気を逃がしてゆっくり炊きます。米1に対して水7〜10が目安(やわらかさの好みで調整を)。炊きあがったら火を止めてそのまま5分蒸らすと、よりなめらかになります。