「名選手、必ずしも名監督ならず」という言葉がある。
まさかこの格言を、わが家のリビングで、しかも娘の「分数の割り算」や「中1の数学」を前にして痛感するとは思わなかった。
僕は理系出身で、数字にも言葉にもそこそこ強い。一方、妻は完全なる文系で、理系科目は苦手だ。となれば、塾なしで受験期を迎えるわが家で、娘の学習監督を務めるのは僕の役目のはずだった。
小学校時代、読書感想文や自由研究を一緒に作り込み、学校代表に選ばれたこともある。
——よし、この調子で数学もいける。
そう意気込んでマウンドに上がったのだが、中2の夏、僕は娘から激しいボイコットを受け、事実上「解任」されることになる。
原因は、僕自身の「スパルタ気質」にあった。
独学の亡霊
実は、人に何かを教えるのが昔から苦手だ。ずっと独学で生きてきたからだ。
執筆も編集も、新しいテーマに挑むたび本を買い込み、ひたすら読み、理解し、身につけてきた。 それが僕のスタイルであり、プライドでもあった。
だから無意識のうちに、娘にも同じ基準を求めてしまった。
「勉強は、自分で頭から血が出るほど考えるものだ」「聞く態度がなってない!」と本気で怒り、泣かせてしまったこともある。
いま思えば、なんとも大人気なかった。
「教えてもらってるのに、その反抗的な口調はなんだ」
「ふつうに喋ってるだけ。誤解だよ」
「ゴカイもバカガイもあるか」
「パパのいってること、意味不明。怖いし」
そんなやりとりを最後に、中2の秋、娘は僕の前で一切教科書を開かなくなった。
寂しい。そして切ない。
だが塾に行っていない以上、誰かが娘の「わからない」を受けとめなければならない。
僕がクビになったあと、信じられないワンポイントリリーフがマウンドに立った。
理系科目が大の苦手の、妻である。
脂汗のリリーフ
中3の受験期、わが家のリビングでは奇妙な光景が広がっていた。
娘が持ってきた数学の問題集を前に、妻が文字通り「脂汗」をかきながら格闘しているのだ。
「ええっと……まず括弧のなかを先にやるんだっけ? いや、これ本当にわかんないわ……」
二人で頭を突き合わせ、ああでもないこうでもないと騒いでいる。
元スパルタ監督の僕はというと、遠くのキッチンから「いや、そこは因数分解を使えば……」という言葉をごくりと飲み込み、ただ見守るしかない。口を出そうとすると、妻と娘が同時に「シーッ」と手を出してくる。完全に戦力外通告である。
できることといえば、夜な夜な口コミを読み、評判のいい参考書をポチり、リビングの隅にそっと置いておく「サイレント支援」だけ。
ところが不思議なことに、リビングの空気は僕が教えていたころよりも、ずっと温かく、そして円滑だった。
妻は何も「教えて」いない。 ただ、娘と一緒に「うわあ、難しいね」「あ、解けたかも」「やっぱり無理だ」と一喜一憂しているだけ。
娘も、妻となら笑顔で粘り強く向き合っていた。
その姿を見て、僕はハッとした。
名選手と名監督は、別物だ
勉強の得手不得手と、「教えること」の適性はまったく別物だ。
現役時代に打率4割を誇った天才打者が、打てなくて悩む二軍選手に「どうして真ん中のストレートが打てないんだ? 来た球に合わせればいいだけだろ」といってしまうようなもの。
自分でできてしまった人間は、相手の「わからないところもわからない」という泥沼に寄り添うのが難しい。
娘が求めていたのは、名プレイヤーによる完璧な解説ではなかった。自分の「わからない」をそのまま受けとめ、一緒に脂汗をかいてくれるチームメイトだったのだ。
親が完璧な先生になる必要はない。正論でねじ伏せるより、「わかんないね」と頭を抱えるほうが、ずっといい。
今夜もリビングでは、妻と娘が脂汗をかき、時々、笑い声が響いている。
元監督は、淹れたてのコーヒーをそっと差し入れながら、名コンビの奮闘を、台所という特等席から眺めている。
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