友だちの親は、といわれて動揺した話――わが家の時価総額は、今夜のチキンソテーに宿る

チキンソテーと娘と父

「子どもの友だちが夏休みにヨーロッパ旅行に行ったそうなんです。うちはそんな余裕がなくて、なんだか申し訳なくて」

相談の席で、そういわれた。

「お母さん、それは少し違うかもしれませんよ」

よその家のキラキラと比べる必要はない。目に見えるイベントより、日々の食卓の安心感のほうが、子どもの心を確実に育てる。

相手の表情がふっとゆるむ。

——これが、食生活アドバイザーの仕事だ。

父はいつも、迷子になる

「裕子ちゃんち、今度ハワイに行くんだって」

夕食のテーブルで、娘がスープをすくいながらいった。

「へえ、いいね」と返す。

「あとね、満くんのパパ、新しい外車買ったんだって。ピカピカでかっこよかった」

悪気のない報告。だが、台所で鍋をかき混ぜていた僕の耳には、別の意味で届く。

——で、うちは?

その沈黙を読みとった瞬間、胸の奥がざわついた。

「……そうか」

それが精一杯だった。相談者には迷いなく本質を語れるのに、わが子の前では言葉が出てこない。

——アドバイザーとしての説得力、家庭内ではまったく機能していないのではないか。

——娘のなかの「父の時価総額」、よそのパパに負けていないか。

そんな情けない問いが、ふっと頭をよぎる。

目に見える「ごちそう」、見えない「滋味」

「ごちそう」はハレの日の食事だ。旅先の会席、誕生日のケーキ、特別なフルコース。華やかで、誰の目にも豊かさがわかる。

一方の「滋味」はケの日の食事。味噌汁の湯気、ご飯の匂い。派手ではないが、体の奥に静かに積み重なる。

大人になって恋しくなるのは、たいてい後者だ。ハワイの思い出は色褪せても、母の味噌汁の味は色褪せない。

わが家の時価総額

娘はときどき、よその家の話を持ち帰る。そのたびに僕は少し揺れる。
だが、台所に立つと、思い直す。

わが家にはハワイも外車もない。あるのは、だしの匂いのしみた鍋と、茶碗と、それを囲む家族の顔だけだ。

それは、日々こつこつ積みあげてきた無形資産である。株価のように上下するものではない。その価値は、誰にも算定できない。

フライパンの上で鶏肉がじゅうじゅうと音を立てる。にんにくとオリーブ油の香りが広がる。

「ハワイは遠いけど、今夜の焼き加減は、世界一だぞ」

皿に盛った黄金色のチキンソテーを見て、娘の目がぱっと輝いた。その笑顔を見たとたん、胸のざわつきはすっと消えた。

よその家の豪華なフルコースに合わせる必要はない。他人のものさしを手放したとき、目の前の「いつもの食卓」の密度が、何よりの贅沢になる。

わが家の時価総額は、誰が決めるものでもない。大好物を頬張る娘の笑顔がここにある。

その瞬間、わが家の株価はいつも最高値を更新している。