僕が観たかっただけなのに——ライオンキングが娘に火をつけた日

劇場に来ている親子

娘を連れて行ったのは、僕が観たかったからだ。

劇団四季のミュージカル『ライオンキング』。ディズニーの映画版が好きで、舞台にも興味があった。家で娘に映画を見せたことはあったが、まったく関心を示さなかった。だから、娘のためになんて気持ちはさらさらなかった。

ところが——。

開演後すぐ、舞台の床からドライアイスの白い煙があふれ出し、客席の足元に広がりはじめた。一階の通路を、ゾウやキリンやシマウマが行進してくる。僕らのすぐ脇を、巨大なパペットの動物たちが通り過ぎていく。すると娘が僕の腕をばんばん叩きながら言ったのだ。

「パパ! 見て! パパ!」

見てるよ、と思いながら、その腕の力に驚いていた。同じライオンキングでも、映画と舞台でこうも反応が変わるのか。

映画と舞台は何がちがうのか

テレビ画面やスクリーンの向こうで起きていることと、目の前で起きていることは根本的にちがう体験なのだろう。生の舞台にはリモコンがない。その瞬間にしか存在しない役者の声が、音楽が、動物たちの気配がリアルタイムで客席に届く。子どもはそれを全身で受け取っている。なんのフィルターも通さずに。

観劇後しばらく、娘は会う人にかならずライオンキングの話をしていた。面白いのは、魅了されたのが主役ではなく悪役だったことだ。「スカー、かっこいい」と、ぶつぶつつぶやいていた。

コンサートは敗退

気をよくした僕はそのあと、日本フィルの親子向けコンサートにも連れて行った。娘は終始、爆睡していた。何が子どもの心を動かすかは親には決められないのである。でも連れて行かなければ、動かないものもわからなかった。爆睡もひとつの答えではある。

娘はまだ覚えている

ライオンキングの日は、昼前に家を出た。浜松町の蕎麦屋で僕はきのこ蕎麦、娘はきつねうどんを食べ、近くの書店で絵本を何冊か買った。四季劇場で舞台を観て、夕方には帰ってきた。なんでもない一日のようでいて、娘の記憶にはしっかり残っている。

感受性を育てたいとか、本物の芸術に触れさせたいとか、そんなことはこれっぽちも考えていなかった。僕が観たかっただけの一日が、あれほど深く娘の心を打ったのだからわからないものである。

アラジンにも行こうと思っていたのだが、すっかり忘れていた。

娘はもう高校生である。

……まあ、いつか。