一時期、厳しめの糖質制限をやっていた。グルテンフリーと並ぶ、闘病時代の実験のひとつだ。
小麦をやめるのも大ごとだったが、米をやめるのはそれとは別の重さがあった。一汁三菜からご飯を抜いてみればわかる。ただのおかずの集まりである。主役のいない舞台の上で、味噌汁と漬物が顔を見合わせている。僕の茶碗は、棚の奥で長期休暇に入った。
始めてみると、糖質は米とパンだけの話ではなかった。じゃがいも、かぼちゃ、れんこん。果物。みりん。せっかく無添加の本みりんを選んでも、糖質制限の目で見ればあれは琥珀色の砂糖水だ。バナナにいたっては、角砂糖に換算するとここには書きたくない数になる。
僕は調べた。徹底的に調べたのだ。食品成分表とにらめっこして、おもな食べ物の糖質量を手作業で一覧表にした。気づけば、大抵の食べ物の糖質量が頭に入っていた。人間糖質データベースの誕生である。
データベースには欠点がひとつある。黙っていられないのだ。
家族の食卓でつい換算する。妻がケーキを切れば角砂糖に換算し、娘がジュースを注げば角砂糖に換算する。聞かれてもいないのに発表する。我ながら、いやなおっさんである。妻の目は、日に日に冷たくなっていった。
ある晩、娘がぽつりと言った。
「パパ、最近おいしいって言わなくなったね」
箸が止まった。
数字はまちがっていなかった。糖質の摂りすぎが体に良くないことも本当なのだろう。ただ、数字で飯を食っていたあの頃の僕は、飯の味を覚えていない。あの頃の食卓の記憶には味がないのだ。数字しかない。
食べ物を数字で見るというのは敵情視察だ。食卓は戦場ではないのに。
だからゆるめた。数えるのをやめたわけではない。声に出すのをやめたのだ。ひさしぶりに茶碗を棚から出し、炊きたてのご飯を一膳、ゆっくり食べた。
甘かった。米とはこんなに甘いものだったのか。糖質制限がくれたいちばんの収穫は、たぶんこれだ。米の甘さを知るために、僕は長いあいだ米を断っていたらしい。
なお、僕が手作業でまとめた糖質量の一覧表は、いまも我が家で現役である。おもに僕のビールを止めるために。
「それ、角砂糖でいうと何個分だっけ?」
妻はいい笑顔で換算してくる。データベースを育てたのは僕である。
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※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

