僕はふだん偉そうなことを言っている。無添加がどうの、一汁三菜がどうの、出汁は昆布とかつお節から引くのがどうの。
その僕が年に数回、ファストフード店の扉を押す。
まず、注文の仕方を忘れている。レジに並ぼうとしたら、いまはタッチパネルらしい。画面の前でまごつく僕の後ろに、小学生が慣れた顔で並んでいる。先を譲った。敗北である。
席に着いて、包み紙を開ける。あの薄い紙の、かさりという音。湯気。ポテトの匂い。一口かじって、僕は毎回のように同じことを思う。
——うますぎるやろ。
あれは料理というより設計だろう。塩と油とでんぷん。人間の脳のどこを押せば喜ぶか、知り尽くした味がする。台所で出汁を引いている人間が勝てるわけがないのだ。向こうは科学で来ている。こちらは昆布である。
ただ、僕がハンバーガーを食べるとき、味わっているのは味だけではない。
子どもの頃、ハンバーガーは特別な日の食べ物だった。町にまだ店が少なくて、食べられるのは年に一度か二度。母に連れられて街へ出た日だけだった。薄っぺらい、いまから思えばずいぶん小さなハンバーガーがまぎれもなくごちそうだった。包み紙を開ける音まで覚えている。
体にいいか悪いかという物差しだけでは、食べ物は測れない。あの薄いバンズのあいだには、昭和の僕の一日が挟まっている。思い出というのは添加物の中でいちばん強力で、しかも表示義務がない。
だから僕は、食べると決めた日は堂々と食べる。おいしいおいしいと思って食べる。体に良くないと思いながら食べれば、どんなものも本当に体に悪くなる。罪悪感という調味料だけは、使わないことにしているのだ。
先日、妻が留守の昼に娘と目が合った。どちらも何も言っていないのに何かが成立した。
「行く?」
「行く」
共犯である。娘はポテトを一本ずつ、何かの儀式のように食べた。僕はハンバーガーを三口で食べて、もうひとつ買い足した。帰り道、娘が言った。
「ママには内緒ね」
うなずき合って、玄関を開けた。妻が鼻をひくつかせた。
「……ポテトの匂いがする」
揚げ物の匂いというのは、五時間は消えないのである。共犯者は一瞬で寝返った。
「パパが行こうって言った」
僕は一人で罪をかぶった。悔いはない。ポテトは揚げたてだったのだ。
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

