大地に忠実であれ——ニーチェと能動的なニヒリズム

ニーチェと葉山

深夜の台所で一人、グラスに酒を注ぐ。

開け放った小窓から、やわらかい風が河原の草の匂いを運んでくる。

氷が小さく鳴った。こんな夜には決まって思い出す場所がある。筑波山の中腹にあるキャンプ場だ。

山登りを始めて、時々テント場に一人で寝るようになった。他の登山者が少ない夜などは、テントの中で横になると不思議な安堵感に包まれることがある。途方もなく大きな力、あるいは意志——そういうものの存在を身近に感じるのだ。

筑波山に泊まった日、僕の他には誰もいなかった。寝袋に潜り込んでしばらくすると、がさがさと何かが近づいてくる音がした。心臓が飛び出しそうになった。いま考えると猪か鹿だったのだろうが、その日は初めてのテント泊だったから生きた心地がしなかった。やがて何かの気配は消えて、虫の声と草の匂いだけが残った。あの安堵の感覚を味わったのはそのときが最初だった。

その感覚に名前をくれた人

その感覚に名前をくれた人がいる。ニーチェだ。

実は、彼と僕には共通点がある。『意志と表象としての世界』を偶然手に取り、読んで虜になったという経験だ。ニーチェは下宿先の古本屋でショーペンハウアーと出会い、僕は神田の古本屋の棚でそれを見つけた。時代も場所もちがうけれど、同じ本に打ちのめされた。それを知って僕は、気の合う友人のような親近感を覚えた。実際に会ったら、理屈っぽくて面倒くさい人かもしれないが。

ニーチェの言葉で、僕がいちばん好きなのがこれだ。

——大地に忠実であれ。

『ツァラトゥストラ』に出てくる一句だ。ニーチェがどういうつもりで書いたのかはよく知らない。たぶん神や宗教に運命を預けるな、いまここにある現実を生きろ、そんなところだろう。でも僕は、この言葉を別の意味で受け取った。

そう、テント場の夜の感覚だ。大地に忠実な時間——その時間が積み重なり、僕の中で何かがゆっくり確実に変わっていった。やがてこう思うようになった。土に根を張った暮らしこそが本当の生き方で、本物の満足も充実もそこにしかないのではないか——。

山の上から夕日を眺める登山者

古代インド思想と仏陀

彼は古代インド思想に強い関心を寄せていた。仏陀を尊敬していたそうだ。キリスト教が嫌いで、ヨーロッパはまだ仏教を受け入れるほど成熟していないという趣旨の話も書いている。

僕も一時ヨガに傾倒し、仏陀の本も何冊か読んだ。仏教そのものはピンとこなかったが、仏陀の言葉には含蓄があるし、東洋の哲学は本物だとも感じている。その点でもニーチェとは気が合う。

能動的なニヒリズム

彼の思想に「能動的なニヒリズム」というのがある。僕らの存在にあらかじめ決まった意味などない。神も救いを保証してなどくれない。それでも自分の力で人生を思い切り生きてやろうではないか。そういう態度のことだ。

ニヒリズムというと虚無的な響きがあるが、ニーチェが目指したのはその先だ。無意味とわかったうえで、それでもやる。

忘れられない言葉がある。

三十代の頃、作家を志して習作を書きながら、生活費は雑誌の仕事で得ていた。ある日、女性写真家に取材した。僕より一回り年上の、知的で物静かな人だった。戦争が終わり放置された地雷原で、手足や命を失った子どもたちを撮り続けていた人だった。

取材が終わり、吉祥寺の小さなカフェで雑談していたとき、彼女は唐突にこう言った。

「あなた、まだ何かを成し遂げなきゃならないって思ってるでしょ」

どきっとした。どうしてわかるのだ。いや、それよりなぜ彼女はいきなりそんなことを言ったのか。そのときはわからなかった。でも、いまならなんとなくわかる。彼女も同じような道を歩んできたのだろう。

意味などなくてもやってみる

二十代の後半、それまで勤めていた会社を辞めて上京し、出版の世界に飛び込んだ。文筆で生きていきたいという気持ちが抑えきれなくなった。自分の人生には何か深い意味があると信じて疑わなかった。

過労がたたったのか、そのあと体を壊した。長い闘病生活のなかで、それまで後生大事に抱えていた自己実現の欲求が跡形もなく消えてしまった。もういい。あるがままでいい。何を成し遂げる必要もない——。

ある種の諦念だったのだと思う。ただ不思議と気持ちは軽かった。あの写真家の女性の問いかけにも、いまなら笑って首を振るだろう。

後悔もない。僕が倒れたのを知って、もっと反対していればと親は嘆いた。でもあの遠回りがなければ、いま立っている場所には来られなかった。自分が生まれ育った国の食文化や伝統文化、自然観や死生観、心と体のこと、哲学……。何も知らないままだったろう。そうしていま、こうして書いて暮らしている。

意味なんかなくてもやってみるし、その価値はある。ニーチェの言う「能動的なニヒリズム」を、僕はそんなふうに使っている。

ニーチェも山を愛していた

最近知ったのだが、彼も山を愛していたという。

スイスのシルス・マリアという山岳地帯に毎夏のように滞在し、よく一人で山を歩いていたらしい。『ツァラトゥストラ』の着想も、その山歩きの途中で得たそうだ。それなら「大地に忠実であれ」は、実際に土を踏みしめて山を歩いていた人間の言葉だ。僕の解釈も存外まちがっていないのではないだろうか。あの理屈っぽくて面倒くさそうな人は、テント場の僕とわりあい近いところにいたようだ。

ただし決定的にちがう点がある。彼は酒を飲まなかった。その理由がおかしい。一杯のワインかビールを飲むだけで、人生が「涙の谷」になってしまうのだそうだ。

無理やり飲ませたらどうなったのだろう。涙を流して感情をさらけ出し、理屈を抜きにして腹を割って語りあえたのかもしれない。

そんなことを想像して、僕はグラスに残る酒をごくりと飲み干した。

氷を足す。

ウォッカとソーダを注ぐ。

小さな泡がシュワシュワ立ちのぼる。

この台所の窓から見えるのは、コンクリートに覆われた都会の街並みだ。でもいつか僕は、土とともに生きる暮らしへ回帰するつもりでいる。

——大地に忠実であれ。

ニーチェに背中を押してもらいながら。