ほら、頭の上にも一匹——Gの子どもから全力で逃げてきた高校生

父と娘

うちの娘は虫が触れない。カブトムシもだめだ。

夏休みに山へ連れて行っても、娘にとってのカブトムシは黒くて大きい飛ぶ虫でしかなかった。まあ、チョウチョが好きな女の子もいれば、そうでない子もいる。親としては、そういうものだと受け入れてきた。

ある夜のことだ。

妻は飲み会で留守だった。僕はベランダで一服していた。夏の夜のベランダというのは格別である。昼間の熱がゆるみ、川面を渡ってくる風に涼が混じる。河川敷で花火に興じる若者たちのにぎやかな声や笑い声が聞こえてくる。

そのときだった。ドドドドと娘が走ってきた。ただごとではない形相である。掃き出し窓をがらっと開けて、真っ青な顔で言った。

「シンクにGの子どもがいた」

娘はゴキブリという言葉を口にするのもいやなようで、Gと言う。聞けば、めずらしく自分の食べた夕飯の皿を洗おうとしていたらしい。それ自体がもう事件であるが、蛇口のそばに小さな先客がいたというのだ。

僕は思った。殊勝な心がけに天はゴキブリで応えたのか。日頃の行ないのほうを精算されたのだとしたら、気の毒なことだ。うっしっし。

「パパ、逃げる前に早くやっつけて」

父が介入するわけにはいかない。これは天の意思なのだ。

「自分で退治しなよ」

「無理!」

即答だった。もう高校生である。あと数年で家を出るかもしれない人間が、体長一センチの子ゴキブリから全力で逃げてきた。この子は将来どうするのだろう。僕は煙を吐きながら思った。一人暮らしの部屋にGが出たら、そのたびに電車で帰ってくるのだろうか。

そんなことを考えながら、ふと視線を上げた。

するといたのだ。

娘のすぐ上——掃き出し窓のこちら側、ベランダの天井に巨大なゴキブリが張りついていた。堂々たる成体である。家の中を覗き見るようにきょろきょろしている。娘が見たやつの親だろうか。

こういうとき、親には二つの選択肢がある。黙って娘を家の中へ下がらせ、事態を穏便に処理する道と、もうひとつの道である。

僕は迷わなかった。なにしろこれは天の意思なのだ。

「夏は虫の季節だからね。ゴキブリもたくさん出る。ほら、お前の頭の上にも一匹」

親ゴキブリ、かどうかは知らないが、僕はそいつを指さした。

娘が見上げた。一人と一匹が近距離で見つめ合った。

「ぎゃああああ!」

——ご町内の皆さま、あの夜の悲鳴は我が家です。申し訳ありませんでした。

回覧板に書きたいくらいだった。

あまりの大声に、僕は椅子ごとひっくり返りそうになった。娘は文字通り飛びのいて、あっという間に家の奥へ姿を消した。

結局、大小二匹とも退治したのは僕である。駆け込む先が父とは、頼られたものだと一瞬いい気分になりかけたが、考えてみればその夜は家に僕しかいなかった。選ばれたのではない。残っていただけだ。

あれ以来、娘は皿を洗わない。シンクにはGが出る、というのが理由だ。生まれて初めての自発的な皿洗いは、こうして幕を閉じた。娘はあの日、恐怖と引き換えに、皿洗いを拒否する大義名分を手に入れたのだ。

ゴキブリなんかより、そちらのほうがよっぽど始末が悪い。