おかえり、ベートーベン(短編小説)

おかえり、ベートーベン

うちの街には、ちょっと変わった幼稚園がある。

プレス機の音が路地に鳴り響くような下町なのだが、線路の向こうの紡績会社跡地に大手ゼネコンの家族寮ができてからは、園児の半分がエリート転勤族の子となった。残りの半分ほどは、町工場や商店の子だ。

しかし変わっているのは立地ではない。クラスの名前なのだ。

モーツァルト組、バッハ組、ベートーヴェン組——。いまの園長が就任した年に、ひばり組やすみれ組から改名された。園名もバロック幼稚園に変えようとしたそうだが、役所の担当者がバロックはバッハだけで、モーツァルトやベートーヴェンは古典派だと説得し、そのままになったらしい。

——幼児期に本物に触れた子は、本物になります。

保護者会で、園長はそう宣言したらしい。娘がバッハ組にいたから、僕はこの話を妻経由で聞いた。会場の後ろのほうで、鉄工所のおかみさんたちが下を向いて肩を震わせていたそうだ。

園長は還暦すぎの上品な人だ。真珠のブローチをして、朝礼でピアノを弾く。エリートの子どもたちを預かっているという自負があるのだろう。寮の母親と工場の母親とでは、おじぎの深さが十五度ちがう。八百屋のおばちゃんの目測だから、多少の誤差はあるにしても。

一度、娘の同級生のお父さんが働いている鉄工所に園から申し入れがあったという。お昼寝の時間に旋盤の音が響くと、情操教育に差し障りますので——。親方は「うちの旋盤はハ長調だ」と言ってはねのけたらしい。

この街の商店街には関所がある。向かい合って建つ、八百屋と肉屋の店先だ。

午後二時すぎ、園児たちがぞろぞろ帰ってくると、店番のおばちゃんたちが声を張り上げる。

「あら、おかえり! ベートーベン組の健太くん」

「おかえり、モーツァルト組。今日も天才かい」

言うまでもなく、園長をコケにしているのである。「ヴェ」の発音に濁りをきかせる園長に対し、おばちゃんたちは断固としてベートーベンで通した。下町に「ヴ」は存在しない。豆腐屋のおばちゃんに至っては最後まで組の区別がつかず、全員をベートーベンで通した。大先生を一人覚えれば済むからだそうだ。

ところが、コケにされていることを子どもたちは知らない。名前を呼ばれた健太くんは、誇らしげに「ただいま!」と返す。おばちゃんたちは商売柄、顔と名前を覚えるのが早い。工場の子も、寮の子も、分けへだてなく呼ばれる。越してきたばかりの転勤族の母親は、我が子の名前が三日で八百屋と肉屋と豆腐屋に知れ渡っているのを知って目を丸くする。

寮の子は、二年か三年でいなくなる。辞令一枚で、学期の途中だろうがあっさり消える。

圭くんもそうだった。ベートーヴェン組。父親の転勤で、次は九州だという。三つ目の幼稚園だと母親がため息をついていた。お別れの日、圭くんは園ではけろりとしていたのに、八百屋の前まで来て急に泣いた。わけを聞いて、おばちゃんたちが黙った。

「もう、名前を呼ばれないから」

どこへ越しても知らない子になってしまう子が、この町でだけみんなに名前を覚えてもらっていたのだ。

あれから二十年ほど経つ。園長はとうに引退したが、クラス名はいまも作曲家のままだ。ゼネコンの寮は建て替えで消えて、跡地はマンションになった。

去年の夏、八百屋の前にスーツの青年が立った。出張の途中だという。「僕、昔この街に」と言いかけたところで、腰の曲がったおばちゃんが弾けるように言った。

「あら、おかえり! ベートーベン組の圭くん」

圭くんはトマトをひと袋だけ買って、新幹線に乗って帰っていったそうだ。

園長は子どもをモーツァルトのような、後世に名を残す大人物にしたかったのだと思う。なれた子がいたかどうか僕は知らない。

けれど、二年しかいなかった子の名を二十年後に呼んでくれる場所は、世界中でこの街の商店街だけである。