最近、屁がくさい。
いや、屁というものは元来くさいものである。問題は程度だ。最初に異変に気づいたのは、トイレでゴキブリが死んだときだった。ひっくり返って、脚をそろえ、即死であった。あの生命力のかたまりのようなやつが。
次は庭で起きた。十メートル先を飛んでいたセミが、ぽとりと落ちた。数日後には、二十メートル先の電線の鳩が気絶して落下し、しばらくして何事もなかったように飛んでいった。
僕の放屁の殺傷力は、日ごとに強化されていった。
「パパのおなら、もう毒ガスじゃん」娘はそう言い残し、部屋から出てこなくなった。妻は換気扇の下以外での放屁を禁じた。だが換気扇ごときで防げる規模ではもはやなかったのだ。
集合住宅の隣人が「最近ベランダの鉢植えが枯れる」とこぼしているのを聞いた夜、僕は決意した。街中では、暮らせない。
幸い、登山とキャンプが趣味である。道具は一通りそろっていた。
テント、寝袋、浄水器、ナイフに飯盒。妻は止めなかった。むしろ手際よく、米を炊きおにぎりを握ってくれた。
「治ったら帰ってきてね」
語尾に、かならずしも治らなくていい、という響きが混じっていた気がするのは、僕の被害妄想だと思いたい。
山での暮らし
山の暮らしは、意外にスムーズだった。
なにしろ屁で狩りができるのだ。猪の通り道に立ち、風向きを読み、一発。五十キロの獣が、鼻面を押さえるようにしてもんどり打つ。木にいる鳥は丸ごと落ちる。銃や罠より確実で、しかも免許がいらない。娘の言うとおり、まさに毒ガス、死のガスであった。
僕は屁で狩り、焚き火で焼き、沢の水を飲んで暮らした。人類は武器を手にするまで狩りができなかったというが、僕には武器など必要がない。この体が武器なのだ。進化なのか退化なのか、考えると眠れなくなるのでやめた。
ひと月もすると、様子が変わってきた。
屁をした場所から、生き物が消えるのだ。半径五十メートル。獣も、鳥も、虫の一匹すら戻ってはこない。朝、目が覚めても鳥の声がしない。葉擦れの音と、沢の音だけが聞こえる。
森の真ん中で、僕の周囲だけが静かだった。狩りをするたび、静寂の円は増えていった。僕は山を移動し続けた。死の沈黙に、自分自身が追い立てられていた。
焚き火の前である晩、これからの人生を思って悲嘆に暮れていたら、林の奥からライトの列が近づいてきた。防護服にガスマスクの男たちだった。
先頭の一人だけがスーツ姿で、名刺を差し出した。肩書はどこの省庁ともつかない、聞いたことのない研究機関のものだった。
「お迎えに上がりました」その男は言った。数日前から衛星が、この山の異常な生態変化を捉えていたのだそうである。
こうして僕は、国家に雇われた。
歩く化学兵器
研究施設での日々は、屈辱と快適が半々だった。個室は立派で、飯はうまい。そのかわり毎朝検便があり、屁は一日三回、測定室で「提出」する。提出という言葉を屁に使う日が来るとは思わなかった。測定室の向こうでは白衣の男たちがモニターに群がり、僕が一発提出するたび、おお、と低くどよめいた。
原因は、十日ほどで特定された。
腸内から未知の菌が見つかったのである。硫黄系の化合物を産生する能力が、既知のどの腸内細菌と比べても桁ちがいだという。
主任研究員は興奮を隠さなかった。「この菌はどこから入りましたか。心当たりは?」
あった。
ぬか床である。
我が家のぬか床は十年ものだった。十年間、毎日かき混ぜてきた。ところが一年ほど前から様子がおかしくなった。異臭がするのだ。ぬか床特有の発酵の匂いではない。もっと剣呑な、地の底から来るような臭いだった。
妻と娘は即座に食べるのをやめた。捨てなさい、と妻は何度も言った。でも僕にはできなかったのだ。なにせ十年のつき合いである。調子を崩した友を、臭いからといってそう簡単に捨てられるか。
毎日かき混ぜていれば、そのうち機嫌を直してくれる。そう信じて、家族が箸をつけなくなったきゅうりを、毎晩一人で食べ続けた。あの献身がこの腸を育てていたのである。
では、その菌はどこからぬか床に入ったのか。問診を重ねたすえ、研究班がたどり着いたのは二年前の山行だった。
県境の山の、地図にない秘湯である。難所を巻いていたら、偶然、沢に湧く硫黄泉を見つけたのだ。臭いは草津温泉をはるかにしのぐ強烈なものだったが、浸かってみると極上の湯であった。
帰りにその沢沿いで山椒の実を摘んだ。ぬか床に山椒を入れると味が締まる。ぬか漬けをやる人間なら誰でも知っている。その山椒にたまたま火山性土壌の菌がついていたらしい。
菌はぬか床の中で乳酸菌と手を結び、十年ものの栄養豊富な環境で力を蓄え、毎晩通ってくる僕の腸に移り住んで繁殖した——というのが研究班の見立てだった。
つまりあの異臭は、ぬか床の不機嫌などではなかった。政権交代だったのだ。
問題はここからだった。菌は僕の腸内でしか安定して生きられない。培養はことごとく失敗した。残る菌の供給源は、世界にひとつ。我が家の台所の、あのぬか床だけであった。
研究班は色めき立ち、黒い車を連ねて僕の自宅へ直行した。
妻は玄関先で、きょとんとしてこう言ったそうだ。
「ああ、あれなら夫が出て行ってすぐ捨てました。我慢の限界をとうに超えていましたから」
燃えるごみの日に出したという。清掃工場の焼却炉は八百度を超える。国家を挙げて確保に向かった菌株は、可燃ごみの袋に入って、とうの昔に灰になっていた。
主任研究員はその場にしゃがみ込んだという。妻は、しゃがみ込むスーツの男たちに麦茶を出しながら、何かまずかったですか、と聞いたそうである。何もまずくない。君はたぶん、世界を救ったのだ。
静かな軍縮
その後、僕は組織の上の人間に呼ばれ、今後の方針を告げられた。
兵器化は断念する。培養できない兵器は兵器ではない。
かといって、唯一の保菌者である僕を野に放てば、それ自体が近隣諸国への刺激となる。歩く化学兵器の、唯一の保有国ということになるからだ。他国の諜報機関による争奪戦が始まる可能性も高い。よそに奪われるくらいなら破壊してしまえという国もあるだろう。
よって国家は僕を治療する。保有ではなく、廃棄だ。
「つまりこれは軍縮である」上の人間は真顔で言った。
僕の腹を挟んで、国際政治が動き出していた。
だが治療計画の中身を知らされたとき、僕は笑いをこらえるのに苦労した。
各分野の専門家十数名が検討を重ねた結論はこうだ。
規則正しい和食の一汁三菜。毎朝の味噌汁。健全なぬか床で漬けた、普通のぬか漬け。発酵食品で正常な腸内細菌を送り込み続け、例の菌の勢力を削いでいく。
要するに、腸内の政権をもう一度ひっくり返すのである。国費を投じた極秘の軍縮計画が、飯をきちんと食って早寝早起きしろ、という話だった。おばあちゃんの知恵袋に、機密指定がついた瞬間である。
効果の判定は、例によって屁で行なわれた。
測定室の隅に、ケースに入れた試験体が置かれる。最初の月はゴキブリが死んだ。二か月目、ゴキブリは生き残り、コバエが落ちた。三か月目、コバエも平気になった。
白衣の男たちは、僕の屁が弱るたび、どこか残念そうにどよめいた。半年目の朝、計器の針はぴくりとも動かず、僕の屁は晴れてただの臭い屁に戻った。
退所の日、主任研究員が見送りに来て、周囲に気づかれぬよう僕にこっそり耳打ちした。
「例の秘湯にはもう行かないでください。隣国の工作員があなたを監視しています。どこからか情報が漏れたようでして」
僕はうなずき、腹の中で舌打ちした。帰ったらあの秘湯でゆっくり汗を流そうと思って、この三か月耐えてきたからだ。
帰宅
我が家に戻ると、台所に新しいぬか床が据えてあった。妻が新床を用意しておいてくれたのだ。まだ若い、素直な匂いがする。
ひさしぶりに家族で食卓を囲んだ。娘も戻っている。
ただし僕の椅子は、換気扇にいちばん近い席に替わっていた。家族会議の決定だそうである。異議は申し立てなかった。
ぬか床に山椒の実は二度と入れない。それだけは決めている。
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

