都会育ちのオシャレリアンが、直売所の虫に敗北した日——旬を食べることの意味

オシャレリアンと父

小さな頃、実家の畑で野菜を収穫するたび、妹とそろって大騒ぎしていた。キャベツをめくると青虫がいる。菜っ葉を洗おうとすると、何かがうごめいている。そのたびに二人してぎゃあ! 悲鳴を上げて、母に「取って!」と泣きついていた。

それから何十年かたったある秋、登山帰りに立ち寄った直売所で、野菜を買って帰った。袋を開けた娘が、悲鳴を上げた。

「む、虫! 虫虫虫、虫がいる!」

都会育ちの自称オシャレリアンな娘は、小さい頃から虫が大の苦手だ。部首に虫がいる漢字でさえ毛嫌いしており、「蜜」「虹」「蛙」くらいしか書けない……いや、書きたがらない。

「虫がついているのは、農薬をあまり使っていない証拠だよ。安心だし、体にもいいんだぞ」そう言って娘をたしなめていて、ふと思い出した。そういえば母も昔、まったく同じことを言っていた。

言葉は親から子へ、子から孫へ受け継がれていく。旬のものを食べるという知恵も、きっとそうやって伝わってきたのだろう。

はやま

娘が大騒ぎした直売所の野菜は、その夜にいただきました。虫がついていたことも含めて、おいしかったですよ(笑)

旬のものがなぜおいしいか

旬の野菜がおいしいのには科学的なわけがある。

冬に収穫されるほうれん草やブロッコリーは、寒さにさらされることで糖度が上がる。植物は低温から身を守るため細胞内に糖を蓄えるのだ。だから霜が降りたあとのほうれん草は、格別にうまいのだ。夏のトマトが甘いのにも理由がある。強い日差しをたっぷりと浴びて光合成を繰り返した結果、糖分とうま味が凝縮されるのだ。

旬の野菜がおいしいのは気のせいでも思い込みでもなく、植物が季節に応じて成分を変化させているからである。

旬のものは栄養価が高い

栄養価にも差がある。

文部科学省の食品成分データベースによると、ほうれん草に含まれるビタミンCは、冬採りのほうが夏採りに比べて大幅に多いことが示されている。同じほうれん草でも、旬かどうかで体に届く栄養ががらっと変わる。

野菜は収穫後、時間が経つにつれて、ビタミン類などの栄養価が徐々に低下していく。スーパーに並ぶ野菜は、産地から流通を経て店頭に届くまでに数日かかることも多い。旬の野菜を地元の直売所で買うのが、栄養という観点から考えるともっとも理にかなっている。

夏野菜は体を冷やし、冬野菜は体を温める

旬のものを食べることで、その季節に合った体を作ることができる——東洋医学では昔からそう考えている。これは現代の栄養学の視点からも裏づけられている。

たとえば、夏野菜のきゅうりやなす、トマトなどはカリウムを多く含み、利尿作用がある。汗をたっぷりとかく夏に、余分な水分と熱を体の外へ逃がしてくれるのだ。一方、冬野菜の大根やごぼう、れんこんといった根菜類は、体を芯から温める働きがあるとされる。

季節が変わるたびに旬の野菜も変わる。体が必要としているものを、土地の自然があらかじめ用意してくれている。先人たちが身土不二——人間の体と土地は切り離せない——という言葉に込めた、暮らしの知恵である。

朝採り野菜と直売所

山登りのついでに麓の直売所や農協に立ち寄ることがある。朝採り野菜が、手書きの値札とともに並んでいる。

土のついたにんじん、虫食いの跡がある葉物、形のふぞろいなじゃがいもやさつまいも。スーパーの棚にあるものとは見た目も量もまるでちがう。それがうれしい。小躍りして買って帰り、当夜早速いただくと、いつもの野菜とは味も香りも食感もまったくちがうからである。

旬のものを選ぶ。鮮度の高いものを手に入れる。それだけで食卓はぐんと豊かになる。

大地ともに生きていく日

正直言うと、いまのところ野菜はスーパーで買うことがほとんどだ。旬のものを選ぶようにはしているが、収穫からどれくらいの日数が経過しているかはまったくわからない。

いつか田舎に移り住んで、自分で畑を耕したいと構想を練っている。種をまき、水をやり、虫に悩まされ、収穫し、心を込めて調理して、その日の食卓に供する。それが食べるということのいちばん自然な形だと思うから。

それから娘——。東京で生まれ育った彼女にも、自然をもっと身近に感じてほしいと思う。いまや立派なオシャレリアンに成長したことは父も認めざるを得ないが、もともと種も畑も田舎者なのだ。

せめて「蛍」「蝶」くらいは、すっと書けるようになってほしい。

……オシャレリアン、何それ。