尾頭付きの鯛が、どこにも売ってない……。
一軒目のスーパーには切り身しかなかった。二軒目も同じ。三軒目、四軒目。気づけば夕暮れの住宅街を自転車で疾走していた。五軒目でようやく出会った。頭も尾もそろった、朱塗りのように赤い真鯛が、発泡スチロールのトレイに横たわっていた。
娘のお食い初めのために——。
はやま
お食い初めとは——生後百日の祈り
お食い初めは、赤ちゃんが生まれておよそ百日目に行なう儀式。「百日祝い」とも呼ばれる。その本質をひと言で言えば、「この子が一生、食べ物に困りませんように」という願いだ。
赤ちゃんの口に食べ物を運んでやる「真似」をすることで、その祈りを身体に刻みこむ。実際に食べさせるのではなく、「食べさせてあげられる親でありたい」という、親の覚悟の表明でもある。
起源は平安時代にさかのぼる。『土佐日記』を書いた紀貫之の時代にはすでに記録があり、宮中の「百日の祝い」として行なわれていた。庶民に広まるのは江戸時代以降だが、形を少しずつ変えながら千年以上の時間を生き延びている。
なぜ、百日なのか。昔の乳児の死亡率は、現代とは比べものにならないほど高かった。生後百日を無事に生き抜くことは、それだけで奇跡に近かった。だから百日という節目に盛大に祝った。それは親たちの安堵であり、感謝であり、これからも生き続けてほしいという切実な願いだった。
現代では乳幼児死亡率は劇的に改善された。それでもこの儀式の意味は色あせない。子どもが生まれてからの百日が、親にとってどれほど濃密で、どれほど不安と喜びに満ちた時間であるかを、経験した者は知っている。
正式なスタイルは一汁三菜——台所に宿る知恵
お食い初めの膳の基本は、一汁三菜だ。
赤飯、鯛の焼き物、煮物、お吸い物、香の物——これが正式な組み合わせとされている。それぞれに意味がある。赤飯の赤は邪気を払う色。煮物は「さまざまな縁が集まるように」。香の物は「香り高い人生を」。そして一汁三菜という日本の食の原型そのものが、長寿と健康の知恵の結晶だ。
その型が千年以上受け継がれてきたという事実に、あらためて驚かされる。
お吸い物には、出汁がある。昆布と鰹節から引いた一番出汁は、赤ちゃんの口に入るものとして、これ以上ふさわしいものはないだろう。化学調味料とは無縁の、自然の旨みそのもの。出汁というものの本質についてあらためて考えると、お食い初めの膳はまさに和食の哲学をひと皿に凝縮したものだとわかる。
脚付きの漆器を使うのが正式なスタイルだが、現代では手軽なセットも普及している。形より心、ともいえるが、準備を通じて自分自身がこの儀式の意味を噛みしめていく過程には、たしかな価値がある。
なぜ「尾頭付き」でなければならないのか
鯛を五軒探し回りながら、ずっとこれを考えていた。
切り身ではいけないのか。スーパーには立派な鯛の切り身がいくらでもならんでいる。なぜ、わざわざ頭から尾まで揃ったものでなければならないのか。
答えは、「ひとつの命として完結している」ということにある。
尾頭付きとは、生き物としての全体性の象徴だ。頭があり、胴があり、尾がある。始まりから終わりまで——。それをまるごと祝いの席に乗せるのは、「この子の人生も、そのようにまっとうされますように」という祈りのかたちなのだ。
鯛が選ばれるのは「めでたい」という語呂合わせだけではない。鯛は長寿の魚であり、老いても赤い色を保つ。その姿そのものが縁起物とされてきた歴史がある。
五軒も梯子したかいが、あった(笑)
歯固めの石——氏神様の境内で
お食い初めに欠かせないものが、もうひとつある。歯固めの石だ。
石のように丈夫な歯が生えるように、という願いを込めて、小石に箸を当て、その箸を赤ちゃんの歯茎にそっと触れさせる。石は氏神様の境内からいただいてくるのが正式とされている。
それで、近所の神社へ向かった。ご祈祷をお願いし、境内の小石をひと粒いただいた。そのとき、神主さんと少し話をした。
はやま
炎の夜に、この一帯だけが焼けなかった
境内の木々が、午後の日差しを受けて静かに揺れていた。
神主さんはしばらくその木を見つめてから、ぽつりと話し始めた。
「この一帯だけ、焼けなかったんです」
太平洋戦争末期、東京の空襲でこの一帯も炎に包まれた。周囲の街は次々と焼け落ち、夜空が赤く染まった。ところが——この神社とその周辺だけは、火が届かなかったという。
「氏神様がお守りくださったのだと、昔からそう言い伝えられています」
神主さんはそう言って、静かに境内の木を見た。
わたしもしばらく、その木を見ていた。この木は、あの夜も立っていたのかもしれない。炎の中で、この空間だけが静かだったのか。
信仰というものは、「科学的に証明できるかどうか」という問いの手前にある。焼け残ったことに理由があったのかどうか、わたしにはわからない。ただ、そこに人の祈りが何百年も積み重なってきたという事実は消えない。何代にもわたって手を合わせてきたその場所で、わたしは娘のために祈った。
お食い初めという儀式は、そういう時間の堆積のうえに成り立っている。千年前の親たちも、同じように子どもの命を願った。空襲の焼け跡で子を育てた人たちも、きっと同じ思いで百日を祝った。
そのことが、境内に立ったとき、にわかに実感として迫ってきた。
都市の神社にカブトムシがいる理由
帰り際に神主さんが教えてくれた話には、続きがある。
夏になると、この境内にカブトムシが出る。都市部の神社の境内は、周囲の開発から切り離された「緑の孤島」として機能することがある。老木が朽ちれば腐葉土になり、カブトムシの幼虫の住み処になる。コンクリートに囲まれた街の中に、そうした小さな生態系が静かに息づいている。
ファーブルと昆虫採集について書いた記事でも触れたが、子どもが虫を追いかける姿の中には、人類が何万年もかけて培ってきた「観察する力」の原型がある。都市の片隅で、それがいまも生きている。
神社の境内に生き物がいることは、この場所が長い時間をかけて守られてきたあかしでもある。空襲の炎が届かなかった境内で、命が循環しつづけている。
儀式は、未来への手紙
お食い初めを終えたあと、何かが変わった気がした。
千年前の親たちと同じ形で祈ったということも、たしかにある。一汁三菜の膳を整え、五軒梯子して手に入れた尾頭付きの鯛を焼き、神社の石に箸をあてる。その一連の所作のなかに、気づかぬうちに先人たちの知恵と祈りが流れ込んでくる。
「食べ物に困りませんように」という言葉の純粋さが、この時代にはかえって新鮮だ。飽食の時代にあっても、人はなにかを失い、なにかに怯え、なにかに祈る。その祈りに千年以上の歴史があるということが支えになる。
もちろん娘はそのときのことをなにも覚えていない。でもいつかこの記事を読むかもしれない。あの日、スーパーを五軒はしごして鯛を探し、神社で空襲の話を聞き、カブトムシのことを考えながら、その子の百日を祝ったことを。
儀式とは、未来のだれかへの手紙なのだ。
はやま
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