磯の鮑の片思い——最中、桜餅、練り切り、落雁に完敗する男

和菓子いろいろ

和菓子が好きだ。惚れているといってしまっていい。

でも信用はしていない。

気まぐれで、少しばかり意地悪なところがあるからだ。

最中|天井の壁紙剥がし

筆頭は最中もなかだろう。

初めて食べた人は皆、同じ目に遭う。皮が上あごに貼りつくのである。最中の皮は食べ物というより、あれはもう口内施工用の壁紙ではないか。しかも仕事がすこぶる早い。

噛んだ瞬間、口の中の水分という水分が吸い上げられてしまう。気がつくと、舌先で天井の壁紙剥がしをさせられている。そんなとき誰かに話しかけられても答えられない。最中の機嫌を取るのが先である。

間の悪いときに限って僕の口をふさぐ。先日も夕食のあと、最中を頬張った瞬間に、娘が「ねえ」と切り出した。

「ちょっと進路のことで相談があるんだけど」

すわ、我が家の一大事だ。僕はできる限り真剣な表情で言った。

「あぼ」

「あ、いいや」娘は、隣の部屋へと立ち去った。

娘の話は最中よりずっと大事なはずなのに、僕は天井の壁紙を剥がすことで精一杯だった。

桜餅|食べる派と剥がす派の攻防

桜餅には宗派がある。

葉っぱを食べる派と剥がす派だ。この二派は三百年ものあいだ戦い続けているが、いまだ和平のきざしはない。

「桜の葉の塩気と香りこそ、桜餅の心だ」食べる派は言う。

「ただの包装紙だろ」剥がす派は言下にこう切って捨てる。

ちなみに僕の家系は食べる派で、妻の家系は剥がす派である。妻の実家で僕以外の全員が、桜の葉をこともなげにゴミ箱に投げ捨てる様子を目にするうち、とうとう衝動を抑えきれず「食べ物を粗末にするな」と叫んでしまったことがある。

すると全員が立ち上がって、僕の口に桜の葉を押し込んできた。あわや窒息というところで目が覚めた。汗びっしょりだった。

だから独身の知人にはかならずこう助言する。「いいか。結婚前に相手の実家がどちらの宗派かだけはよく確認しておけ」

練り切り|美しすぎるという罪

練り切りは、別の意味で手強い。

職人が白あんを使って、手作業で着色し、朝顔や鮎、もみじなどを精巧にかたどっている。あまりに美しくて食べる気がしない。さまざまな角度から愛で、写真を撮り、角度を変えてはまた撮る。

先日、いただきものの紫陽花あじさいの練り切りを三十分ほど惚れぼれと眺めていた。自室の窓辺に置いて、一眼レフで写真を撮っていた。

そこへ娘が現われた。

「パパ、何してるの?」

「紫陽花の撮影」

「……食べ物だよね?」

「うん、まあ」

「じゃあ食べていいよね?」

返事も待たず、娘はひょいと紫陽花をつまんでかじった。半分なくなっていた。

紫陽花は一個しかない。僕はごくりと生唾を飲み込んだ。

「おいしい」

「そ、そりゃ良かった。紫陽花だからね」声がうわずった。残りの半分が気になって仕方なかった。まさか一人で食べたりは……。

娘はなんのためらいもなく残り半分を口に放り込み、すたすたと部屋を出て行ってしまった。僕は膝から崩れ落ちそうになった。

職人が丹精した花鳥風月がたった二口ふたくちで消えた。その喪失感に僕は「二口の無常」と名をつけた。だが、なんの慰めにもならなかった。さっさと食べておかなかったことを悔やんだ。

落雁|口腔内の砂漠化現象

きわめつけは落雁だ。

落雁は仏壇の華であり花である。いつ食べたらいいのか、誰に聞いても首をかしげる。

うちには、実家のお下がりの落雁が定期的にやって来る。帰省のたびに母が持たせるのだ。断るとバチが当たりそうで受け取るが、さりとて食べる機会はない。

我が家のタッパーには、蓮や菊をかたどった砂糖のかたまりが、乾燥剤とともに年々溜まっていく。それを大掃除のたびに妻が発見し、「これ、いつの?」と聞いてくる。「ご先祖さまに聞いてくれ」と答えると、会話はいつもそこで終わる。

たまに意を決して食すと、口の中に砂丘が広がる。甘いが、どこか遠い。ご先祖さまが盆のたびにこれを食べさせられているとしたら、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。いや、おそらくご先祖さまもあの世のタッパーを落雁でいっぱいにしていることだろう。

負けては募る、ひそかな思い

それでも僕は、今日も和菓子に手を伸ばす。

上あごに壁紙が貼りつき、桜の葉で窒息しかけ、二口で花鳥風月を踏みにじり、口の中を砂まみれにしながら、それでも挑むのだ。負け戦とわかっていてもである。磯のあわびの片思いとは、こういうことをいうのだろう。

テーブルの最中をひとつ手に取り、白い包みを開いた。

ぱくりと頬張る。上あごにまた壁紙が貼りついた。

「あぼ」

今日も負け戦だ。