回転焼き、今川焼き、大判焼きで御座候

回転焼き

「回転焼きを買ってきた。ちょっと休憩しよう。お茶淹れるよ」

出版社に勤めていた頃、編集部に回転焼きを買って帰ったら、同僚が僕の手にある紙袋を見て言った。

「今川焼きでしょ? そこにそう書いてあるし」

「関西ではこれを回転焼きと言う」

「どこから回転してきたのよ」同僚は鼻で笑った。生粋の江戸っ子である。

回転焼きほどいろいろな名で呼ばれている菓子もそうはないだろう。東京の人々は「今川焼き」と言って譲らないし、「大判焼き」などという全国区の名称で茶を濁す気取り屋たちもいる。

そうかと思えば、北海道では「おやき」、山形では「あじまん」、富山では「七越焼き」、広島では「二重焼き」……。きりがないからこのあたりでやめておくが、僕の故郷でも「回転焼き」と呼ばず「御座候ござそうろう」という人たちがいる。

初めて聞いたとき、時代劇の台詞かと思った。

「爺、この黄色くて丸いものはなんじゃ?」

「殿、これは中に餡がぎっしり詰まった御座候で御座候」

御座候というのは、姫路の回転焼き屋の屋号らしい。小中学生の頃、僕はなぜか母に電車で三十分もかかる姫路の歯医者に通わされていた。でも「御座候」は聞いたことがない。地元の駅前の商店街で、おばちゃんが「焼きたての回転焼きやで」と威勢よく叫ぶ声だけが耳に残っている。

我が家の食卓でもこの話が時々顔を出す。

関東出身の妻に「回転焼き買ってきたよ」と袋を渡すと、「今川焼きね。ありがとう」と瞬時に訂正される。

娘に真顔でこう聞かれたこともある。

「パパ、回転焼きって何? 回るの? お寿司なの?」

「回らんよ。型がぐるぐる回って焼くから回転焼きなんだ、たぶん」

仕事仲間に、言葉に敏感な連中が多いのもやっかいなのだ。

以前、新しい仕事の立ち上げで、制作メンバー数人と打ち合わせのあと飲みに行くことになった。回転焼きの話を振ると、最初に食いついてきたのが大阪出身のおっさんだった。

「あのさっくりした生地と、ぎっしり詰まったあんこの相性の良さを表現するのに、今川も大判もちゃうと思うねんな。大判いうたら金貨やろ。そもそも型をぐるぐる回して焼き上げるんや。やっぱり回転焼きしかない」

「型は回ってないっしょ。ひっくり返してるだけじゃん」

ギャルっぽいデザイナーが冷ややかに言い、ワインを一口すすった。

「ほんなら今日からひっくり返し焼きや。なんか急にダサなったな。がはは」大阪人はジョッキのビールを飲み干し、げふっと息を吐いた。

ギャルがこれ見よがしに顔をしかめる。

そこへ校閲のマダムが口を挟んできた。

「今川焼きの今川は、江戸時代の今川橋付近で売られていたのが由来ですから、歴史的な正当性は今川焼きにありますね」

すると、彼女とは犬猿の仲で知られる気取り屋の編集者が言った。

「いやいや、全国的な知名度と、形状とネーミングの一致で言えば、大判焼きが言語的アクセシビリティにいちばん優れてるだろ」

「アクセシビリティって、親近感のかけらも感じられない人がよく言うわよ」

「な、何だと?」

「春香が昨日言ってた。お父さん、年取ってますます偏屈になったって。この頃、すごく近寄りにくいって」

「そ、そうなのか?」気取り屋が喉の奥をぐうっと鳴らした。

この二人は元夫婦である。

この時点で、僕は回転焼きの話を持ち出したことをかなり後悔していた。

「まあまあ。夏がこんなに暑いんも、ポストが赤うて物価がどんどん上がるんも、みんなわしが悪いんや。痴話げんかはそのへんにして楽しゅう飲もうやないか」

大阪人が割って入ってくれた。ふだんは空気を読めないがさつな男なのに、剣呑な雰囲気を丸めることにかけて右に出る者はいない。おかげで今日も、話題はすんなり別のものに切り替わっていった。

いつの間にかビールがワインになり、ワインが冷酒になって、酔いつぶれる寸前の頭で考えていた。

結局、僕らはあの丸い和菓子そのものより、あれを食べていた幼少期の記憶を愛しているのではないだろうか。小遣いを握りしめて並んだ商店街のにぎわい、甘ったるい匂いと紙袋の温もり、熱々のあんこをはふはふしながら食べた冬の夕暮れ——。

東京の今川焼きも、殿さまの御座候も、僕の回転焼きも、同じように誰かの思い出を温めてきたのだろう。それなら呼び方など、本当はどうでもいい。

……いや、やっぱり良くはないな。

今週末、久しぶりに実家に帰省する。駅前の商店街で、あの懐かしい回転焼きを買い込もう。

東京に戻ったら、妻と娘の前でこう言ってやるのだ。

——これが本物の回転焼きや。