クリームシチューのにおいは、僕を一瞬にして少年時代に運んでいってしまう。
木枯らしの舞う、冬の夕暮れ時——。僕は実家の居間でこたつに入って、妹と『機動戦士ガンダム』の再放送を見ている。台所から広縁を抜けて、シチューの香りが漂ってくる。胸に灯がともるような安堵感に包まれる。
広縁の掃き出し窓の向こうはすでにまっ暗だ。風がびゅうびゅう吹いている。でも僕は、温かい部屋でテレビを観ていて、これから母のお手製のクリームシチューを食べる。
そこには理由のわからない切なさがちっょぴり混ざりこんでいた。そんなわずかな感傷さえもにおいは連れてきてくれる。
無言で壁あてする、ナイーブな少年ふたり
母のクリームシチューには、もうひとつ思い出がある。
小学校のころ、僕は夕方にひとり、庭で壁あてをしていた。壁にボールを投げて、跳ね返った球をグローブで受けとめる。地域のソフトボールチームに入っていたので、そうやってときどき練習していたのだ。
そこへ、近所に住むひとつ年上の少年がやってきた。
母が懇意にしているパーマ屋さん(美容室)の子だった。ふだんは隣町の父親のところで暮らし、週末だけ別居中の母親のもとに通っていた。そういう事情もあって、それまで話したこともなかった。
その子がいま、無言でやってきて、無言のまま僕の隣で壁あてを始めた。
正直いって、居心地が悪かった。
なぜきたのか。なぜなにもいわないのか。そう思ったが、こちらも何もいえず、ただふたりでならんで、延々と壁にボールをぶつけていた。
数十分がたった。空はとっぷりと暮れ、コウモリが頭上を行き交っている。そのときだった。台所の窓から母のクリームシチューのにおいがぷうんと漂ってきたのは——。
「あ、もうごはんか」
聞こえよがしにつぶやいた。君がいやだから帰るんじゃない、もう夕飯の時間だから、そんな精一杯の気遣いを残し、僕は勝手口からそそくさと家に入った。
母、少年たちのナイーブを笑う
クリームシチューをすすりながら、さっきあったことを母に話したら、からから笑われた。
「あんたとキャッチボールしたかったんじゃないの」
あ……。
ひと言、キャッチボールしないか、といえばすむ話だったのだ。さきほどは夕暮れどきのセンチメンタルと、奇妙な緊張感や圧迫感のせいで、キャッチボールという言葉さえ頭に浮かばなかった。
キャッチボールならしてもよかった。したらよかった。ひとりで壁あてするより、ずっと有意義だった。楽しいし、なによりいい練習になった。今度、彼がきたらそうしよう。そう思ったが、結局、その子はそれから一度も顔を見せることはなかった。
はやま
ナイーブな父、張り切る
お好み焼きのにおいをかぐと、実家のホットプレートから立ちのぼる湯気を思い出す。
関西あるあるなのだが、関西の家庭では週末によく、お好み焼き大会が開かれる。うちの実家もその口で、その日は食卓のまんなかにどんとホットプレートを置き、父が張り切って家族のお好み焼きを次々に焼いていく。
ふだんはまじめで気が弱く、母に頭のあがらない父が、その日ばかりは上機嫌で、張り切って音頭をとっている。家族もつられて上機嫌。とてもなごやかな時間が流れていたのを思いだす。
振りかえってみると、食卓とはそういうものなのだろうと思う。
父のお好み焼き、母のクリームシチュー、台所の空気、におい、庭に広がる四季折々の景色、風の音、雨の音、家族の笑顔——。そういうものを全部ひっくるめて、みんな「食卓」と呼んでいるのではないだろうか。
はやま
ぜんぶナイーブな男の独白だった
大人になったいまも、クリームシチューのにおいは、僕を子どものころに連れて帰る。においの記憶は、それほどに強く、くっきりとした輪郭をともなう。
僕が食卓アドバイザーを名乗るようになった理由も、そういうとこにあるのかもしれない。
きょうの食卓のにおいが、記憶が、何十年か先にだれかの心をそっと包み込むお手伝いができたら——。
はやま
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

