薬味をたっぷり乗せた冷ややっこは、食べものというより、夏の風景だと思います。
白い豆腐の上に、きざみねぎ、おろし生姜、かつお節。醤油をひとたらし。それを冷たいまま口に運ぶと、舌の上でふるりと崩れて、すっと消える。見た目も涼しい。
冬になると、土鍋で湯豆腐を炊きます。
鍋の中で豆腐が踊るかすかな音、立ちのぼる大豆の甘い香り——。ねぎをたっぷり入れて、鰹節を醤油に浸した「土佐醤油」で、はふはふいいながらいただく。
体が芯から温まって、風邪をひいていても食べられる。風邪のときにこそ、なぜか食べたくなる。
はやま
一年中、豆腐と暮らしている
気がつけば、豆腐を食べない週がありません。
わたしはゴーヤーチャンプルが大好物。夏場は週に一度は作ります。豆腐をしっかり水切りして、ゴーヤーを豚バラと卵とかつお節で炒める。初めて食べたのは沖縄でした。それからわが家の定番料理になりました。
麻婆豆腐は、家族全員の好物です。甜麵醤と豆板醤で作ります。市販の素は使いません(使ったことがないわけでもないのですが……)。
味噌汁に豆腐を入れると、それだけで一段豊かになります。豆乳は毎朝、飲んでいます。
冷ややっこ、湯豆腐、ゴーヤーチャンプル、麻婆豆腐、味噌汁、豆乳。こんなにバリエーションがあって、毎日食べても飽きない食べものが、ほかにあるでしょうか。
はやま
江戸時代のベストセラーは、豆腐の本だった
江戸時代の料理本に、『豆腐百珍』という本があります。1782年(天明2年)の刊行で、豆腐料理を百種類以上紹介した本です。これが当時のベストセラーになり、続編や類書まで次々と出版されたといいます。
百種類。それだけの料理に化けることのできる食べものが、ほかにあるでしょうか。
はやま
豆腐は、主張しません。色も味も香りも、静かです。だからこそ、隣に置くものによって無限に変わることができる。冷やせば涼しく、温めれば温かく、揚げれば香ばしく、炒めれば力強くなる。これほど懐の深い食材を、わたしは知りません。
「白」という美意識
豆腐は白い。
日本人は、白いものが好きだと思います。白米、豆腐、豆乳、大根、白身魚、かぶ。白い食べものへの親しみは、どこか美意識に根ざしている気がします。余計なものを削ぎ落としたあとに残る、静かな何か。「引き算の美」とでも言えばいいでしょうか。
豆腐が精進料理の中心的な食材になったのも、この「白さ」と無関係ではない気がします。清潔で、潔く、雑味がない。禅の美意識と、どこか響き合っています。
大豆一割、水九割
豆腐の材料は、大豆とにがりと水、それだけです。そして重量の約九割は、水でできています。
以前、仕事でおいしい湧き水のある地域を取材したことがあります。山あいの集落や、井戸を掘れば清澄な地下水が出てくるような土地を訪ねました。そのとき、地元の豆腐屋さんにも何軒か話を聞きました。
はやま
取材の中で、あるご主人がこう言いました。「うちの豆腐がうまいのは、水がいいからだよ」。大豆は国産を使っているところが多い。違うのは水。この土地の地下水を、そのまま使っているんだ、と。
九割が水でできているなら、水の味が豆腐の味になる。単純な話ですが、腑に落ちました。
白く、静かに、ずっとそこにいる
豆腐が日本に伝わったのは、奈良時代から平安時代のことだといわれています。中国から禅とともに渡ってきて、精進料理の要になり、やがて庶民の食卓に根づいた。
華やかではありません。主役を張ることもほとんどない。それでも、日本の食卓から消えたことがない。
豆腐はいつも、そこにいます。
主張しないから、何にでもなれる。白いから、隣に何を置いても美しくなる。やわらかいから、どんな人の体にも優しい。そういう食べものが、千年以上、日本の食卓の片隅に座り続けてきました。
それが、豆腐礼賛の理由です。
今夜は冷ややっこにしますか、それとも湯豆腐ですか。
忙しい日こそ、白い豆腐の静けさが心に沁みますよね。
ちなみにわが家は、黄色い卵豆腐です(笑)
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

