稲わらの中で産声を上げた発酵食品——納豆菌の異常な強さと、ナットウキナーゼ

納豆

水戸という土地について、すこし語っておかねばならない。

常陸国ひたちのくには、坂東ばんどうでも気骨のある土地である。後年この地に水戸学という、いささか暑苦しい学問が生まれたのも、風土と無縁ではあるまい。が、これは余談である。

さて、私どもは水戸にいる。朝の食堂で、納豆をかきまわしている。同行の須田画伯が、糸を引く豆をじっと見つめたまま、いっこう箸をつけようとしない。画伯は長く関西に暮らした人である。関西では、納豆はおおむね嫌われ者であった。やがて意を決して口へ運び、「ふむ」と低く唸った。うまいともまずいともいわぬ。画家というのは、味まで構図で考えるのかもしれぬ。

むかし、太郎という農民がいた、という。いたかどうかは知らぬ。この種の話には、きまって名もなき百姓があらわれ、歴史を勝手に動かしてしまうものだ。

その太郎が、煮た大豆を稲わらに包んだまま、軒下に置き忘れた。ここで注意したいのは、稲わらという素材である。わらには、後世のいい方をすれば納豆菌という微生物がびっしり棲んでいる。日本人は明治になるまでその存在を知らなかったが、知らぬままに使いこなしていた。理屈を知らずに技を持つ——これは日本の職人に一貫してみられる癖のようなものである。

翌朝、太郎がわらを開いた。大豆は白い糸を引き、おそるべき臭気を放っていた。

——もったいねえ、腐らせでしまった。

常陸の農民にとって、食いものを無駄にすることは罪に近い。彼は捨てなかった。捨てられなかった、というほうが正確だろう。太郎は一粒、口へ放りこんだ。

——これはうめえ。

この瞬間、東アジアの食文化史にささやかな、しかし決定的な分岐点が刻まれた。むろん太郎自身はそんな大それたことを考えてはいなかったろう。うまかった。それだけである。歴史はたいてい、当事者の頭越しに進んでいく。

余談ながら、後年この地に徳川光圀みつくにという、好奇心のかたまりのような男があらわれ、餃子だの牛乳酒だのを試している。水戸という土地にはどうやら、まず口に入れてみるという気質が、地下水脈のように滾々こんこんと流れているらしい。太郎はその源流の一滴であったかもしれぬ。

糸を引く豆を箸の先に巻きとりながら、私はその太郎を思った。わらに棲む菌のしわざだと、いまでこそ知れている。だが太郎は理屈を知らぬまま、舌だけで一個の発酵を肯定した。ことわりを解さずして、ものの良し悪しを見抜いてしまう——日本の食は、存外こういう舌に支えられてきたのではないか。

見ると、画伯が二膳めを頼んでいた。関西の舌が、常陸の朝に一つ陥落したわけである。糸を引き、におうものを、平然と飯にかけて顔色も変えぬ。日本人とは思いのほか、勇気のある民族なのである——。

故・司馬遼太郎さんは、紀行文集『街道をゆく』で全国の街道をつぶさに訪ね歩いたが、常陸(茨城)も水戸も空白地帯のひとつだ。司馬さんが水戸を歩いたら、どんな景色を描いただろう。そんなことを思いながら、僕が勝手に書いたのが前掲である。

文中に登場する太郎も実在の人物ではないが、納豆誕生の経緯には諸説あって、その中にはそのようなものもあるらしい。他にも、縄文人はすでに納豆を食べていたとか、弥生時代に稲作が入ってきたことがきっかけだったとか、聖徳太子が発見したとか、とにかくいろんな説があるけれど、稲わらにいる納豆菌が偶然、煮豆を発酵させたことが納豆の発見につながったという点は変わらない。

さて、この納豆菌であるが、なかなかの曲者なのである。

タフすぎる納豆菌

発酵に関わる菌は数あれど、納豆菌ほどタフな連中はそうはいない。

大抵の菌は酸や熱に弱く、胃酸に触れると死んでしまう。だが、納豆菌は胃袋に入っても平然としている。熱にも強い。百度で加熱しても死なないのは、芽胞がほうという鎧を使って身を守るからだ。芽胞状態の納豆菌は、乾燥にも紫外線にも耐えられる。それどころか宇宙空間でも生存できる。

納豆を食すのは、その強靭な生命体を体の中に迎え入れるということでもある。腸に入った納豆菌は、僕らの腸内環境をパワフルに整えてくれる。頼もしい限りである。

稲わらから工場へ

現代の納豆は、ほとんどが稲わらの中でなく工場で作られている。

スーパーの発泡スチロールや紙パックに入った納豆は、純粋培養した納豆菌を蒸した大豆に吹きつけて発酵させたものだ。温度と時間を徹底管理した清潔な環境で製造されるから、品質はきわめて安定している。

稲わらで自然発酵させるわら納豆も、一部の生産者たちが細々と作り続けている。稲わらの納豆菌が発酵させるので、蔵つき酵母で仕込む老舗酒蔵の酒と同様、その土地にしかない風味が味わえる。

僕はよく筑波山に登るのだけれど、その帰りにかならずふもとの農産物直売所に立ち寄る。そこで地採りの野菜と一緒にわら納豆を買っている。いつもの納豆とはちがう、野性味のある風味が楽しめる。腸もいつもより元気になる気がする。

隠れた主役、ナットウキナーゼ

納豆は腸の健康に良いだけではない。健康成分として、真っ先に注目すべきなのはナットウキナーゼだ。

一九八〇年、シカゴ大学で血栓溶解酵素を研究していた須見洋行博士が、納豆をフィブリン(血栓)の上に乗せてみた。すると他の食品でほとんど反応がなかったフィブリンが、わずか数時間で溶け始めたそうだ。この酵素にはナットウキナーゼと名がつき、いまでは世界中で研究が続いている。

血栓は、脳梗塞や心筋梗塞の原因である。ナットウキナーゼにはその血栓を溶かす働きがあり、血液をさらさらに保つ働きがあるという。なお、ナットウキナーゼは熱に弱い。僕は納豆を入れた味噌汁が好きだけれど、ナットウキナーゼの効果を期待するなら、生のまま食べるのが鉄則である。

納豆の健康成分

他にも注目すべき成分は豊富にある。

たとえばビタミンK2には、骨粗しょう症や血管の石灰化を防ぐ働きがあるし、大豆由来の良質な植物性たんぱく質は、必須アミノ酸をバランスよく含んでいる。

また、大豆の食物繊維は善玉菌のえさになり、腸内環境を整えてくれるし、女性ホルモンに似た働きをするポリフェノール、イソフラボンも豊富である。粘りの正体であるポリグルタミン酸には、カルシウムの吸収を助ける働きもある。

一粒の大豆に、これだけのものが詰まっている。発酵を経ることで、大豆そのものより栄養価はぐっと高まるのだ。発酵には食べ物をアップグレードする力がある。

混ぜるとおいしくなる

納豆はよく混ぜるほどうまくなる。混ぜることで、うま味成分のグルタミン酸が増加するからだ。空気を含むことで糸がきめ細かくなり、口当たりもまろやかになる。五十回以上混ぜるのが理想であるとか、百回は混ぜるべきだとかいろんな説があるが、とにかく全体が白っぽくなるまでしっかり混ぜるだけでいい。

タレや辛子は、混ぜてから加えると粘りが出やすい。

水戸の太郎のお手柄

昔の誰かが、一見すると腐敗したようにも見える煮豆をためらいながらも口にしたおかげで、僕らはいま、納豆という発酵食品をご飯のおかずとして味わい、さらにすばらしい健康効果を受け取れるようになったのだ。

太郎に感謝、である。

納豆を初めて食べたのは確か小学校の五、六年生の頃だったように思う。いまでは食卓になくてはならないものとなっているが、関西の友人知人の中には、納豆を毛嫌いする向きも少なくない。西に向かって、僕は声を大にして言いたい。

——一粒でいい。それで世界が少し変わる。太郎も、そうして歴史を動かしたのだから。