誰かが、煮た大豆をわらに包んでひと晩置き忘れた。
翌朝、包みを開けてみると、大豆は白い糸を引いていた。独特の匂いがした。おそるおそる口に入れると——食べられる。それどころか、うまい。
納豆の誕生が、そんな偶然だったかもしれないという説があります。ただの伝説かもしれない。けれども、わらの中に自然に棲みついている納豆菌(Bacillus subtilis var. natto)が、煮豆を発酵させて納豆をつくる、というのは事実です。
この菌が、なかなかの曲者です。
納豆菌は、しぶとい
発酵食品に関わる菌はたくさんいますが、納豆菌ほど「タフな菌」はそうそういません。
ほとんどの菌は、強い酸や熱に弱い。胃酸に触れれば死滅する菌がほとんど。ところが納豆菌は、胃酸の中でも生き残る。熱にも強い。100℃で加熱しても死なないのは、芽胞(がほう)という、いわば「鎧」を形成して身を守るから。
芽胞状態の納豆菌は、乾燥にも紫外線にも耐えられます。宇宙空間でも生存できるのではないかと研究者の間で話題になったこともあります。
これほど生命力の強い菌が、毎朝わたしたちの腸に届いている。そう思うと、頼もしいかぎりです。
腸の中では、納豆菌は善玉菌のえさになったり、悪玉菌の増殖を抑えたりしながら、腸内環境を整える働きをします。腸内細菌と発酵食品の話でも書きましたが、腸を整えることは、体全体の健康につながります。
わらから、工場へ
現代の納豆は、ほとんどが工場で製造されています。
スーパーで売られている発泡スチロールや紙のパックに入った納豆は、純粋培養した納豆菌を蒸した大豆に吹きつけて発酵させたものです。温度と時間を管理した清潔な環境でつくられるため、品質が安定していて安全です。
一方、わら納豆は今も一部の生産者が作り続けています。わらに自然に棲みついた菌が発酵させるため、蔵付き酵母で仕込む老舗酒蔵の日本酒と同じように、その土地その場所にしかない風味が生まれます。手に入ったら、ぜひ食べ比べてみてください。パックとは別物の、野性味のある味がします。
ナットウキナーゼという、隠れた主役
納豆の健康成分として「ビタミンK2」や「食物繊維」はよく知られていますが、もっとも注目すべきはナットウキナーゼです。
1980年、シカゴ大学で血栓溶解酵素を研究していた須見洋行博士は、実験中に納豆をフィブリン(血栓の主成分)の上に乗せてみました。すると、他の食品ではほとんど反応がなかったフィブリンが、納豆ではわずか数時間で溶け始めた。この酵素をナットウキナーゼと名付け、以来、世界中で研究が続いています。
血栓は、脳梗塞や心筋梗塞の原因となります。ナットウキナーゼは血栓を溶かす働きを持ち、血液をサラサラに保つ効果があるとされています。
ナットウキナーゼは熱に弱い酵素です。50℃以上になると失活してしまうため、納豆を加熱調理すると効果が薄れます。ナットウキナーゼを摂るなら、生のまま食べるのが鉄則です。
納豆の主な健康成分
ナットウキナーゼ以外にも、納豆には注目すべき成分が豊富に含まれています。
- ビタミンK2:骨にカルシウムを定着させ、骨粗しょう症を予防する。血管の石灰化を防ぐ働きもあるとされる。
- 植物性タンパク質:大豆由来の良質なタンパク質。必須アミノ酸をバランスよく含む。
- 食物繊維:腸内の善玉菌のえさになり、腸内環境を整える。
- イソフラボン:女性ホルモン(エストロゲン)に似た働きをするポリフェノール。
- ポリグルタミン酸:あの糸引きの正体。カルシウムの吸収を助ける働きがあるとされる。
たった一粒の大豆に、これだけの成分が詰まっている。発酵という工程を経ることで、大豆単体よりも栄養価は格段に高まります。麹菌と塩麹の話やぬか漬けの健康効果でも書きましたが、発酵には食べ物を「アップグレード」する力があります。
よく混ぜると、うまくなる
納豆はよく混ぜるほどおいしくなります。これは、科学的に裏付けられています。
混ぜることで納豆菌が酸素に触れ、グルタミン酸(うまみ成分)が増加するからです。また空気を含むことで糸がきめ細かくなり、口当たりがまろやかになります。50回以上混ぜるのが理想とか100回混ぜるべきとかいろいろ言われますが、とにかくしっかり混ぜる、それだけでOK。
タレや辛子は、混ぜてから加えるのがポイントです。先に加えると粘りが出にくくなります。
選び方——国産大豆と、添加物
納豆は毎日食べるものだからこそ、少し気にして選びたいところがあります。
大豆の産地
国産大豆、できれば有機(オーガニック)のものを選ぶのが理想です。輸入大豆の多くは遺伝子組み換え品種で、農薬の使用量も多い傾向があります。パッケージに「国産大豆使用」の表示があるものを選びましょう。
タレと辛子の添加物
付属のタレや辛子にも原材料が書いてあります。アミノ酸等、保存料、着色料などが入っていないシンプルなものを選ぶか、タレなしで食べてみるのもひとつの方法です。いい納豆はタレなしでも十分うまい。わたしは醤油をかけますが(笑)
粒の大きさ
小粒は表面積が大きく、発酵がよく進んで風味が強め。大粒は豆そのものの食感とうまみが楽しめます。どちらが好みかは食べ比べてみてください。
選び方のポイント
①国産大豆(有機ならなおよし)
②タレ・辛子の添加物が少ないもの
③粒の大きさはお好みで
主役は、やはり菌だった
味噌も、しょうゆも、お酢も、日本酒も、みりんも——。この「受け継ぐ」シリーズで書いてきた発酵食品は、どれも菌が主役でした。
納豆も同じです。煮た大豆という素材に、納豆菌という生命が宿ることで、まったく別の食べ物が生まれる。人間にできるのは、その環境を整えることだけです。
わらの中に自然に棲みついていた菌が、何百年も前の誰かの「うっかり」をきっかけに、日本人の食卓に定着した。そう考えると、あの糸引きの一パックが、少し違って見えてきますね。
はやま
まとめ
- 納豆菌は胃酸にも熱にも負けない、発酵食品の中でも異例の強さを持つ菌
- ナットウキナーゼは血栓を溶かす働きを持つ酵素。加熱すると失活するので生で食べるのがベスト
- ビタミンK2、植物性タンパク質、食物繊維など、発酵によって栄養が格段にアップしている
- よく混ぜるほどうまみが増す。タレは混ぜてから加える
- 選ぶなら国産大豆、添加物の少ないもの
- 発酵食品の主役は、いつも菌
- 日本人と1300年、ともに生きてきた菌——塩麹のつくり方と、ポテトサラダの大失敗
- 毎朝の一杯が変わる——味噌の種類と、本物の選び方
- 腸内細菌があなたを操っている(冗談ではなく)——乳酸菌の選び方と発酵食品の話
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

