ヒルは父を選ぶ——塩のよく効いた鍋割山で食べる鍋焼きうどん

鍋割り屋の山頂の家族

丹沢の鍋割山の登山口には、塩が置いてある。調味料としてではない。武器としてである。

相手はヤマビル。血を吸うあのヒルだ。丹沢はヒルの名所として登山者に恐れられていて、暖かい季節に沢沿いの道へ入るなら対策がいる。登山口の注意書きの脇に、誰でも使えるようにと塩の容器がぽんと置かれている光景は、初めて見るとちょっと笑ってしまう。山の入口で塩。まるで結界である。

その結界の前で、当時小学生だった娘は完全に足を止めた。

「血ぃ吸われるの?」

「吸われない。パパが対策してきたから」僕は胸を張った。実際、前の晩から張り切っていた。濃いめの塩水を靴とスパッツに染み込ませ、ズボンの裾は靴下の中へ。シャツはズボンの中へ。世にいう忍者スタイルである。妻と娘にも同じ格好をさせた。玄関に並んだ忍者三人。娘は「ダサい」と言った。命とダサさなら命を取れ、と僕は言った。

鍋割山は、頂上の山荘の鍋焼きうどんで有名な山だ。うどんのために登る人がいる。というより、うどんのために登る人しかいないのではという勢いで、週末の山頂には行列ができる。我が家の目的も、半分以上はうどんだった。

ただし僕だけはちがった。当時、メスティンに凝っていたのである。メスティンというのはアルミの飯盒のような箱型のクッカーで、これさえあれば山の上で大抵のものが作れる。その日の僕の計画はジンギスカンだった。山頂で肉を焼く父。立ちのぼる煙。「パパ、すごい」の声。完璧な計画だった。

登山道は長い。沢を何度か渡り、急登を詰めて、ようやく山頂に着く。娘は途中で三回「まだ?」と言い、二回「帰りたい」と言い、一回だけ「うどん」と言った。うどんの引力だけで登りきったようなものである。

山頂は噂通りの行列だった。妻と娘が列に並び、僕は少し離れた場所でバーナーに点火し、メスティンを乗せる。肉を焼く。煙が上がる。悪くない。悪くないのだが、風向きの問題で行列のほうから出汁の匂いが流れてくる。甘めのつゆのあの匂いだ。

やがて妻と娘が土鍋を抱えて戻ってきた。かぼちゃの天ぷらが乗り、卵が真ん中でとろけている。ふたりは「あつっ」と「うまっ」しか言わなくなった。語彙が消滅するほどうまいらしい。

「パパのお肉もおいしそうだね」と娘は言ってくれたが、目は完全に土鍋に向いていた。僕は「山ではこういう自作の飯がいちばんなんだ」と講釈を垂れながら、内心ではうどんにすればよかったと後悔していた。この件を家族に白状するのは、ずっと先のことになる。

ちなみにこの山荘、接客がなかなかに骨太なことでも知られている。並び方が悪いと言われ、まだ入るなと言われ、詰めろと言われる。列の中で妻は若干ひるんだらしい。登山口の塩に始まり、山荘の塩対応で締まる。この山はどこまでも塩が効いている。

下山して靴を脱いだ瞬間、僕は固まった。靴下が赤かった。ヒルである。痛みはまったくなかった。ヒルは噛むとき、血が固まらなくなる物質を注ぎ込む。だから本人が気づかぬうちに吸い、去ったあとも傷口から血が流れ続ける。足首の小さな傷ひとつで、靴下がしっかり染まるくらいの出血だった。

「パパだけ?」娘が言った。

そうなのだ。前夜に対策を仕切り、家族に忍者の格好をさせ、登山口で胸を張った男だけが吸われていた。妻も娘も無傷だった。

「なんでパパだけ?」

「……パパの血が、いちばんおいしいからじゃないか」僕は笑ってみせたが、娘は笑わなかった。じっと僕の足首を見て、それから真顔で言った。

「痛くないのに血が出るの、こわいね」

あの日娘が学んだのは、たぶん僕の講釈のどれでもない。対策を完璧にしても自然は隙間から入ってくること。痛くない傷から血が流れること。大人が胸を張ったとおりには世界は動かないこと。

娘はいまでも時々あの山の話をする。富士山が見えたことも、僕の名講義も覚えていない。覚えているのは、うどんが熱かったことと、父の靴下が赤かったことだけである。

ヒルについては、いまも謎が残る。なぜ僕だけだったのか。対策は全員同じだったのに。

妻の説によれば、「パパだけ講釈が長かったから、立ち止まっている時間も長かった」とのことだ。ヒルは振動と体温と、吐く息に寄ってくるという。つまり、いちばん熱く喋っていた人間のところへ来る。

なるほど、あいつは正しい獲物を選んだわけだ。

 

登山口からしばらく行ったところにある、ヒル対策用の塩
鍋割山荘の名物、鍋焼きうどん。山頂まで登りきった者だけが味わえる