脱獄王は川に帰る——あいつら、実力の半分も見せていなかった

脱獄する亀

実家の近くに川があった。幅は十メートルほど。生活排水がそのまま流れ込んでいた時代だ。水は黒く濁り、夏場はそれなりの臭いを放っていた。誰が呼び始めたのか、通称ドブ川。名前からして期待値はゼロである。

ところがこのドブ川、生きものの気配だけは異様に濃かった。なかでも亀。晴れた日には、川に突き出たコンクリートや流木の上、河岸の砂地で大小の亀がずらりと甲羅干しをしていた。黒い水面に亀の列。いま思えばなかなかシュールな光景だが、小学生の僕にとっては宝の山だった。

亀は簡単に捕まえられる。甲羅干しに夢中の亀にそっと近づき、ひょいと持ち上げればいい。逃げ足は速いが、こちらも場数を踏んでいる。捕まえた亀は家に持ち帰った。

我が家の勝手口には小さな土間があって、洗濯機と収納の脇が僕の飼育場だった。カブトムシのかご、鈴虫のかご、トカゲのケース。季節ごとに住人が入れ替わる、生きものの雑居房である。亀は新入りだった。深いたらいに水を張り、石を置いて、僕は満足して眠った。

翌日、学校から帰ると亀がいなかった。

たらいはからっぽだ。水と石だけが残っている。壁の高さは亀の背丈の倍以上ある。どうやって出たのか。家中を探したが見つからない。狐につままれたような気分で、僕はまた川へ行った。幸い、亀の在庫は無尽蔵だ。

二匹目も消えた。

三匹目も消えた。

僕は意地になった。四匹目のとき、物陰に隠れて張り込んだ。たらいの中の亀はしばらくじっとしていた。だが、やがて信じられない光景を目にすることになる。亀の首と手足がゴムのようにぬうっと伸びたのだ。

いつもの長さの三倍はあった。あいつら、ふだんは実力の半分も見せていない。伸び切った後ろ足で立ち上がり、前足の爪をたらいの縁にかけてずるりと乗り越え、どたんと着地した。甲羅を背負った脱獄囚は悪びれもせず、土間を横切っていった。

僕は対策を強化した。ふたがパチンと閉まる大型の虫かごに移す。翌日、なぜかふたが開いてからっぽになっていた。ふたの上に図鑑を積む。図鑑が床に落ちていた。図鑑の上に石を載せる。石ごと落ちていた。

最終的に僕は、かごの上に洗剤の箱と漬物石を積み上げた。土間の隅に出現した謎の塔を見て、母が「何これ」と言った。「脱獄対策」と僕は答えた。母は何も言わなかった。

それでも亀は消えた。しかも漬物石はきちんと元の位置に戻っていた。

おかしい。脱獄囚は漬物石を元に戻さない。だがそのときの僕は、亀の超能力を疑いこそすれ、内部犯行の可能性には思いいたらなかった。子どもというのは身近な大人を捜査線上に載せないものである。

真相を知ったのはずっとあとのことだ。実家の食卓で何かの拍子に亀の話になった。

「あの亀たちはどうやって逃げたんやろな」

僕が言うと、母は湯呑みを持ったまま、実にあっさりと言った。

「ああ、あれはお母さんが川に返してた」

「は?」

「臭かったんよ、あの亀。土間中がドブの臭いになるんやもん」

聞くと、亀だけではなかった。いつの間にか消えた住人たちの多くは母の手で野に返されていた。潔癖気味の母には、あの雑居房は相当な苦痛だったらしい。ただ、適当に捨てたり殺したりは一度もしなかったらしい。トカゲは庭の茂みへ。亀はわざわざ川まで歩いて、元いた場所へ返していたという。

僕は数十年越しに、あの土間の神隠しの正体を知った。

考えてみれば、僕はあの川で命の捕まえ方ばかり覚えて、返し方を知らなかった。たらいの亀がその後どうなるかなんて考えたこともなかった。捕まえて、眺めて、飽きる。子どもの自然体験など、所詮その程度だと言う人もいるだろう。

でも、その程度のことをやらせてくれた川と、黙って後始末をしてくれた大人がいたから、僕は生きものの手触りと重さを知っている。亀の後ろ足の力強さも、あの図々しい首の伸び方もいまだに覚えている。

ドブ川はその後、下水道の整備で見ちがえるようになり、いつからか亀の姿を見なくなった。水がきれいになって生きものが減るというのも妙な話だが、あの黒い水はあれで豊かだったのだ。

母はいまでも涼しい顔をしている。曰く、「あんたが何も言わへんかったさかい、ばれてないと思てたわ」

何も言わなかったのは、川に行けばいくらでも捕まえられたからだ。無尽蔵の在庫と、無限に返す母。あの夏、僕と母は同じ川を逆向きに何往復もしていたことになる。