「夫が定年退職して、ずっと家にいるのがしんどい」——食卓アドバイザーはやまに相談してみたら

夫と妻

先月、夫が定年退職しました。以前は昼間ひとりで家事をして、自分のペースで過ごしていたのに、一日じゅう夫がいるようになってから、なんとなく落ち着かなくて。仲が悪いわけでも、嫌いなわけでもないんです。でも……息苦しいというか。こんな気持ちになる自分が嫌になります」(50代・主婦)

おかしくありませんよ。

これは、とても自然なことです。

ずっとひとりで守ってきた時間と空間に、ある日から誰かが存在するようになる。相手が夫であろうと、親であろうと、あるいはわが子であっても——。慣れ親しんだ「自分の時間」が侵食されていく感覚は、誰にでも起きます。

わたし自身は、二十年以上フリーランスで自宅で仕事をしています。妻は会社員です。つまり「逆バージョン」の当事者ということになります。お盆やGWに妻が長期で家にいると、正直なところ、少し気を遣います。今日も娘が試験で昼過ぎに帰宅しただけで、なんとなくそわそわしました。

ひとりのほうが気楽——これは本音。ふつうのことです。

はやま

「ひとりが気楽」と感じることは、夫が嫌いだということとはまったく別の話です。どうか自分を責めないでください。

「空間の習慣」が崩れるとき

人は、慣れた空間の使い方を体で覚えています。

キッチンはわたしの場所、午前中はわたしの時間、あの椅子に座るのはわたし——そういう「空間の習慣」が、長い年月をかけて体に染み込んでいる。それが定年退職という一日を境に、急に書き換えられていく。

頭でわかっていても、体はついてきません。息苦しさは、悪意ではなく、長年の習慣がきしむ音です。

夫にも、同じ息苦しさがある

もうひとつ、大切なことをお伝えします。

夫側にも、実は似たような「息苦しさ」があるかもしれません。

定年退職した夫は、ただ「暇になった人」ではありません。何十年もかけて積み上げてきた役割、肩書き、職場という居場所——それをまるごと失った人です。定年の翌日から、行く場所も、呼ばれる名前も変わる。それは、思っている以上に深刻なことです。

わたしの父の話をします。

退職後しばらくして、父から電話がかかってきました。「母に監視されているようで息が詰まる」「パソコンをしていると機嫌が悪くなる」「もう逃げ出したい」——。息子に向かって言うようなことかと苦笑いしながら聞いていましたが、当人には切実な悩みだったのだと思います。

その少し前、パソコンが壊れたから新しいのを買った、設定を教えてほしいと電話がありました。あれこれ聞いているうちにピンときて、「自分で壊したんじゃないか」と聞くと、少し間を置いて認めました。もともとカッとなりやすい人です。何かの拍子に、やってしまったのでしょう。

息苦しさは、妻だけにあるのではありません。夫にも、別の種類の苦しさがある。その視点があると、見える景色が少し変わるかもしれません。

はやま

父はいまも母といっしょにいて、それなりにやっているようです。時間がかかることもあるし、簡単に解決しないケースもあると思います。でも「お互いに息苦しい」という事実を知っているだけで、気持ちが少し楽になることがあるのでは。

食卓からできること

まず、自分のための一杯を

最初にしてほしいのは、自分をいたわる時間を一日一回つくることです。

梅しょう番茶がおすすめです。梅干しをひとつ、おろし生姜少々、しょうゆを数滴。熱い番茶を注いでゆっくり啜る。この3分だけは、夫のことも家のことも横に置いてください。

東洋医学では、ストレスで滞りやすい「気」の巡りを、香りのある食材が助けると考えられています。ジャスミン茶や陳皮(みかんの皮を乾かしたもの)、しそ、セロリ、パクチーといった香りの強い食材が、気分が塞いでいるときに取り入れやすいものです。毎日の食卓に少し意識して加えてみてください。

玄米を、よく噛む

精神的なざわつきには、玄米をよく噛むことが、地味ですが効きます。玄米はゆっくりエネルギーに変わるため、血糖値が急激に変動しにくく、気持ちが落ち着きやすいといわれます。「よく噛む」という行為は、頭を「いまここ」につなぎとめてくれます。噛むことに集中しているとき、不思議と余計なことは考えなくなる。

ごまをたっぷりかけた玄米ごはんを、ゆっくり噛む。それだけで、食卓の空気が少し変わります。

ゆっくり噛むという行為は、心の速度を落とす小さな儀式です。

一汁一菜で、過剰なサービスをやめる

退職後の夫に、ついつい気を遣いすぎていませんか。品数を増やして、それがかえってストレスになっていることもあります。

ごはん、みそ汁、漬物。一汁一菜というシンプルな食卓には、「特別なことをしなくていい」という静かな自己主張があります。台所をあずかるのはあなたです。何をつくるかを決める権限は、あなたにある。

過剰なサービスは、お互いを静かに疲れさせます。

はやま

こんにゃくをゆでてタオルで包み、お腹や腰に当てる「こんにゃく温湿布」も、神経の疲れをやわらげる昔ながらの手当てです。しんどい夜に、ひとつ試してみてください。

台所が、新しい居場所になるとき

最後に、うちの両親の話を。

母は長年、台所を自分の城として守ってきた人です。父が台所に入ろうとすると、昔は露骨に嫌な顔をしていました。

父が退職してしばらく経ったころ、その台所に変化が起きました。母の体調がすぐれない時期が重なり、父が食事の支度をするようになりました。今では、父が台所に立つことのほうが多いくらいです。

母は「城」を開け渡した。父はそこに、新しい居場所を見つけた。

台所を夫に渡すことがすべての解決策だとはいいません。うちの両親のケースがすべての夫婦に当てはまるわけでもない。でも、食卓は「妻が夫のために何かをする場所」だけではなく、二人が新しい関係を少しずつ描き直していく場所にもなりえます。

その描き直しには、時間がかかります。ある程度の摩擦もある。

でも——お互いに、息苦しいのです。

そのことを知っているだけで、少しだけ、呼吸が楽になることがあります。

はやま

まず、梅しょう番茶を一杯。ゆっくり息を吐いて、自分をいたわるところから始めてみてください。