夫婦で話し合っても、答えが出ない。
「もう一人、子どもがほしい気もする。でも経済的に大丈夫だろうか」「上の子との時間が減ってしまうのが心配」「年齢的にも、そろそろ決めなきゃいけない。でも、決められない」
第二子を産むかどうか。この問いには、正解がありません。産んだら産んだで大変だし、産まなければ産まないで「あのとき産んでおけば」と思うかもしれない。どちらを選んでも、後悔する可能性がある。
そんな「答えのない問い」を、三人の哲学者に投げてみました。
実存主義のキルケゴール、政治哲学者のハンナ・アーレント、そして禅の道元。三人とも、「産むべきか、産まないべきか」という二択には答えてくれません。でも、この迷いのなかで何を見つめればいいのか、教えてくれました。
はやま
キルケゴールの答え:「不安の正体を見つめてください。その先に、あなた自身の答えがあります」
セーレン・キルケゴール。19世紀デンマークの哲学者で、「実存主義の父」と呼ばれる人です。彼は生涯独身を貫き、婚約者との結婚をみずから破棄した人でもあります。
キルケゴールが何度も書いたテーマは、「不安」でした。彼にとって不安とは、単なるネガティブな感情ではなく、「人間が自由であることの証拠」でした。
第二子を産むかどうか迷っているとき、あなたは不安のなかにいます。その不安は、「どちらを選んでもいい」という自由があるからこそ生まれている。もし選択肢がひとつしかなければ、不安はありません。
キルケゴールはこういいました。「人生は後ろ向きにしか理解できないが、前向きにしか生きられない」
つまり、いま決断しても、それが正しかったかどうかは、ずっとあとにならないとわからない。第二子を産んだ10年後に「やっぱり大変すぎた」と思うかもしれない。産まなかった10年後に「あのとき産んでおけば」と思うかもしれない。未来から見て初めて、選択の意味がわかる。
では、どうすればいいのか。
キルケゴールは「不安の正体を見つめろ」といいます。何が怖いのか。お金? 体力? 上の子への罪悪感? それとも、自分の時間が完全に消えてしまうこと?
その不安を言葉にして、正面から見つめる。紙に書き出してもいい。すると、意外と「これは怖くない」というものと、「これは本当に怖い」というものに分かれます。本当に怖いものが何なのかがわかれば、答えは自然と見えてくる。それがキルケゴールの教えです。
はやま
ハンナ・アーレントの答え:「新しい命は、世界への贈り物です。その意味を思い出してください」
ハンナ・アーレント。20世紀を代表する政治哲学者です。ナチスから逃れてアメリカに亡命し、全体主義や人間の自由について考え続けた人です。
アーレントには「誕生性(natality)」という独特の概念があります。これは、新しい命が生まれることは、世界に「新しい始まり」をもたらすことだ、という考え方です。
人間は誰しも、生まれた瞬間に、それまで存在しなかった「何か」を世界に持ち込みます。その子がどんな人生を歩むのか、誰にもわかりません。でも、その予測不可能性こそが、人間の尊厳であり、希望の源だとアーレントはいいます。
第二子を「負担」として考えてしまうとき、わたしたちは経済や時間やエネルギーという「資源の計算」をしています。それはまちがいではありません。現実的に考えることは大切です。
でも、アーレントはそこに別の視点を加えます。
「その子は、まだ誰も知らない物語を持って、この世界にやってくる」
第二子は、上の子の「弟」や「妹」である前に、ひとりの独立した人間です。その子がどんな絵を描くのか、どんな音楽を好きになるのか、どんな友達と笑うのか、そしてその子があなたの人生に何をもたらすか——それは誰にも予測できない。その予測不可能性が、命の贈り物であり、人間の美しさです。
もちろん、現実的な不安を無視していいわけではありません。でも「もう一人の命を迎える」ということを、単なる「大変さの追加」ではなく、「世界への新しい贈り物」として捉え直してみる。その視点が、迷いのなかに小さな光を灯すかもしれません。
はやま
道元の答え:「答えを急がないでください。迷っている時間も、あなたの人生です」
道元。鎌倉時代の禅僧で、日本曹洞宗の開祖です。「只管打坐(しかんたざ)」——ただひたすらに坐ることを説いた人です。
道元の教えの核心は、「修行と悟りは別ではない」ということです。多くの人は「修行をして、その先に悟りがある」と考えます。でも道元はちがいます。坐ることそのものが悟りだ、と。
これを第二子の悩みに当てはめてみましょう。
あなたは「答えを出さなきゃ」と焦っています。でも、道元はこういうでしょう。「迷っている時間を、無駄だと思わないでください。その迷いのなかにいることも、あなたの人生です」
第二子を産むかどうか悩んでいる時間は、単なる「決断前の停滞期間」ではありません。その時間なかで、あなたは夫と話し合い、上の子を見つめ、自分の体と心に向き合っています。すでに人生を生きている。それ自体が、すでに大切な営みです。
道元は「而今(にこん)」という言葉を大切にしました。「いま、ここ」です。未来に答えがあるのではなく、いまこの瞬間に答えがある。迷っているなら、その迷いをいましっかりと味わう。焦って結論を出さなくていい。
「いつか決めなきゃ」というプレッシャーはたしかにあります。年齢的なリミットもある。でも、その焦りに飲み込まれて、自分の心を置き去りにしてはいけない。
道元ならこういうでしょう。「迷っているあなたを、そのまま受け入れてください。答えは、焦らずとも、やがて自然と見えてきます」
はやま
最後に葉山から:答えは、あなたのなかにしかありません
三人の哲学者は、「産むべきか、産まないべきか」という問いには答えてくれませんでした。でも、代わりにもっと深いものを置いていきました。
キルケゴールはいった。「不安の正体を見つめてください」と。アーレントはいった。「新しい命は、世界への贈り物です」と。道元はいった。「迷っている時間を、無駄だと思わないでください」。
答えは、あなたのなかにしかありません。夫のなかにも、親のなかにも、友人のなかにもない。あなた自身が、自分の体と心に向き合って、静かに決めることです。
どちらを選んでも、それは「正解」です。産んだなら、その選択を正解にしていく。産まないなら、その選択を正解にしていく。人生は、選択のあとにどう生きるかで決まります。。
どちらを選んでも、後悔する瞬間は来るかもしれません。産んだら「あのとき産まなければ楽だったな」と思う日があるかもしれない。産まなければ「あのとき産んでおけば」と思う日があるかもしれない。
でも、それでいいのです。人間は、選ばなかったほうの人生を想像する生き物です。その後悔を含めて、あなたの人生です。
迷っているあなたは、すでに十分にいい親ですよ。迷うということは、あなたが真剣に生きている証拠です。
※このブログの情報は、医療機関の監修を受けておらず、病気の診断、治療、予防を目的とするものではありません。記事内でご紹介している効果効能についても栄養素や成分に関するものであり、商品やサービスに関するものではないことにご注意ください。体調不良が長く続く場合は、医療機関で相談することも大切です。食卓でできること、専門家の力を借りること、その両方が、あなたの体を支えます。

