一流の交渉人は菓子売り場にいる——娘に学ぶ交渉術

父の娘の握手

世の中には交渉術の本があふれている。ハーバード流だのFBI仕込みだの外資系コンサル直伝だの。僕も昔、何冊か読んだ。

だから断言しよう。あの手の本を読む必要はない。スーパーの菓子売り場に夕方五時に立てば良い。そこでは連日、一流の交渉人たちが実戦を繰り広げている。

うちにも一人いた。当時五歳。以下、彼女の手口を分析する。

——手口その一、アンカリング。

彼女はまず、箱の大きなチョコレート菓子を手に取る。値段もサイズも五歳児のおやつとして明らかに過大な物件だ。当然、僕は却下する。「大きすぎる。だめ」

彼女は驚くほどあっさり引き下がる。そして棚の下段から、小さなラムネを取る。「じゃあ、これ」

お気づきだろうか。最初の大物は、通すための要求ではない。基準をずらすための錨アンカーなのだ。巨大チョコの直後に見るラムネのなんと慎ましく、なんと良心的に見えることか。僕は「それくらいなら」とうなずいてしまう。会議室でこれをやられたら大人でも落ちる。

——手口その二、前例主義。

「この前は買ってくれたよ」

官僚も唸る、前例の援用だ。しかも子どもの言う「この前」は、三日前から半年前までを自在に含む。こちらに記録はない。あちらには、都合のいい記憶がある。裁判なら証拠不十分だが、菓子売り場に裁判官はいない。

——手口その三、権威の活用。

「ママはいいって言った」

出た。本件の交渉に同席していない最高権力者の意向を確認不能な状況で持ち出す手口だ。真偽を確かめるには帰宅するしかないが、交渉の決着はいまここで求められている。見事な時間差攻撃だ。ちなみに帰宅後に照会すると、妻の回答は大抵「言ってない」である。

——手口その四、沈黙。

言葉が尽きると、彼女は黙る。棚の前から動かず、ただお菓子を見つめる。泣かない。騒がない。ただ立っている。

正直これがいちばん効く。泣き喚く子なら「だめなものはだめ」と抱えて退場させればいい。だが静かに立ち尽くす五歳児の背中はこちらの良心に直接語りかけてくる。夕方の売り場にBGMだけが流れる。根負けするのはいつも大人のほうだ。

とまあ、このように分析してきた僕は、長らく自分を手強い交渉相手だと思っていた。アンカリングを見抜き、前例を退け、権威の照会を怠らない父。勝率は悪くないはずだった。

ところが先日気がついてしまったのだ。

彼女、ラムネはほぼ毎回持ち帰っていたのである。

僕が「勝った」と思っていた日々の記録を、記憶の中で読み返してみる。巨大チョコを退けた日、ラムネは通っている。前例主義を論破した日もなんだかんだで小袋がかごに入っている。つまりあの巨大チョコは最初から本命ではなかった。彼女の狙いは終始一貫、ラムネだったのだ。

僕は連戦連勝のつもりでいた。実際は、相手の要求が毎回通っていた。これを世間では完敗と呼ぶ。

恐ろしい子だ。誰に習ったのか。少なくとも僕は教えていない。強いて言えば、欲しいものの前で人間がどうふるまうかを、彼女は誰に教わるでもなく知っていた。子どもとはそういう生き物らしい。

最後にひとつだけ負け惜しみを言わせてほしい。

この攻防が成立していたのは、我が家がスーパーでお菓子を買うことを禁止していなかったからだ。全面禁止の家に交渉は存在しない。うちは「だめなものはだめ、でも余地はある」という方針だったから、彼女は売り場で毎回、要求と譲歩の落としどころを探ることになった。

欲しい。でもぜんぶは通らない。ではどこまでなら通るのか。それを自分の頭で探る練習を菓子売り場で積んでいたのだと思う。世界との折り合いのつけ方をラムネ一袋分ずつ——。

そう考えれば、授業料としては安いものである。