和菓子には不思議な力がある。
どれほど気難しい人でも、羊羹や団子の前では顔がほころぶ。なにも今に始まった話ではない。たとえば明治の文豪たちも、甘いものには目がなかったようだ。
この記事に書いていること
正岡子規の、団子への執念
正岡子規といえば、「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の俳人である。近代俳句・短歌の礎を築いた、明治を代表する文学者だ。
その子規が晩年、脊椎カリエスで身動きもままならない病床から、毎日の食事を事細かに書き記した日記『仰臥漫録』を残した。そこには体の痛みとともに食べたもの、食べたいものが丹念に並んでいる。
なかでも、西日暮里の芋坂にある団子屋(のちの老舗「羽二重団子」)への思いは格別だった。食べたいのに誰も察してくれないと、世話をしてくれた妹の律さんへの恨みつらみまでもが記録されている。
「柿食えば」の子規が、である。
読んで、思わず笑ってしまった。それから少し、胸がつかえた。僕にも、寝たきりだった時期があるからだ。
遊びに出掛けたい、友人と会いたい、会って話したい、酒を酌み交わしたい、仕事がしたい——そういう気持ちももちろんあったけれど、食欲だけはなぜか別格だったように思う。体に良くないとわかっているものでも無性に食べたかった。甘味への欲求も強く、妻に頼んでよく買ってきてもらっていた。他に楽しみがないという面もあったのだろう。ただそれだけでもないような気がする。
子規の「察してくれない」という気持ちも僕にはなんとなくわかる。その裏には、介護の身でありながら団子のような嗜好品を欲することへの後ろめたさや、団子を頼むという行為によって介護する側とされる側の力関係がついに白日の下にさらされるというような恐れが隠れていたのではないだろうか。
そんなこと考えながら子規の日記を読むと、あの偉大な御仁が少し身近に感じられる。
夏目漱石と、隠された羊羹
明治の文豪、夏目漱石の甘党ぶりは、関係者いわく「ちょっと引く」レベルだったらしい。
胃の悪い漱石を心配した妻の鏡子が、好物の羊羹をこっそり隠したことがある。すると漱石は、いつもの戸棚をあちこち探し回った。たまたま場所を知っていた幼い娘が教えてやると、漱石は娘を大いに褒め、上機嫌で頬張ったという。妻の苦労が偲ばれる。
弟子への手紙にはこんな一文も残っている。もらったお菓子はたいがい自分が食べてしまった、子どもも食べました——と。「子どもも」ということは、先に自分が食べたにちがいない。そう思うと、かつての千円札の澄まし顔にも親しみが湧く。
芥川龍之介と、世界に広めたいおしるこ
短編の名手、芥川龍之介は「しるこ」という小品を書いている。おしるこ好きが高じて、エッセイにしてしまったのだ。
「羅生門」「鼻」「藪の中」を書いた人物が、そのエッセイの中で、西洋人にもぜひすすめてみたい、ニューヨークのクラブでおしるこが流行するところを想像するのが楽しい——と書いている。甘いものの前で、人は妙に国際的になるらしい。
甘さの向こう側に
子規が団子を恋しがり、漱石が羊羹を探し回り、芥川がおしるこで世界を救おうとしたのは、ただ甘いものが好きだったという理由だけではないだろう。
病臥し厭世観にとらわれて腹に熾のような怒りと絶望を抱えていた子規だったが、家族と喧嘩したあとはかならず皆でそろって和菓子を食べていたそうだ。甘味は、人の心の奥にある「やわらかい部分」に触れる。弱っているときほど、それがよくわかる。
寝たきりだったころ、情けなくて胸が張り裂けそうになる瞬間があった。家族に感情をぶつけてしまうこともあった。そんなとき、餅とあんこを口にして日本茶をすすると、どういうわけだかふっと力が抜け、少しばかり穏やかな気持ちを取り戻すことができた。
和菓子には、腹を満たすだけでなく、人間の「心のどこか」を包み込んでくれる不思議な力があるのだと思う。
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