一汁三菜、はじめました。——道を見失った末に「和食」の基本に立ち返った話

一汁三菜

僕はかつて食事をこじらせていた。

体を壊したことをきっかけに食の勉強を始めたところまではよかったが、知識が増えるにつれ「体に悪いもの」がどんどん増えていった。

グルテンはダメ、白砂糖はダメ、添加物もダメ、加工食品は絶対ダメ——。気がつけば食卓から排除するものだらけになってしまい、何を食べればいいのかわからなくなっていた。

体のほうは一時、生死の境を彷徨ったもののなんとか持ち直し、その後は一進一退だった。目覚めると毎朝ちゅんちゅんとスズメが鳴いている。がうがうと犬の喘ぎ声が聞こえる。誰が死のうが生きようがスズメや犬には関係ないということか。動物の鳴き声を聞いただけで、こんないじけたことを思う人間に、当時の僕はなり果てていた。

そんな時、一冊の本に出会った。料理研究家の土井善晴さんが書いた本だ。そこにあったのは「一汁一菜で良い」という、拍子抜けするような提案だった。

「もういいよ」と言われた気がした。すっと肩の荷が下りた。

ひとつ深呼吸した。もうこれでいいや。

そこからだ。ご飯と味噌汁を中心に据えた、一汁三菜の食卓を意識するようになったのは。

一汁三菜とは、そもそも何か?

一汁三菜というのは、ご飯、汁物、主菜、副菜、副々菜の五つで構成される、日本の伝統的な食事スタイルのことをいう。なにやら難しそうだが、要はこういうことだ。

まずご飯と味噌汁がある。そこにメインのおかずが一品、野菜の煮物などが一品、お漬け物が一皿、それだけである。振り返ると、実家の母が作る食事がそういう感じだった。

栄養バランスの面でも世界的に高い評価を受けている。炭水化物、たんぱく質、脂質、ビタミン、ミネラル、プロバイオティクスまで、ひとつの食卓でごく自然にそろってしまう。ユネスコの無形文化遺産に登録された「和食(Washoku)」の根幹を支えているのが、この一汁三菜という考え方である。

ただ僕が一汁三菜を始めた理由は、栄養バランスがどうのこうのというものではなかった。冒頭に書いたように、手当たり次第に知識を集めた結果、食卓の樹海に迷い込み、コンパスと僕の目がぐるぐる回っているような状態だったから、一度すべてをリセットする理由がほしかったのだと思う。

一汁一菜に触発されたのに一汁三菜になったいきさつは別の記事に書いたので、ここでは省略する。

わが家の一汁三菜

我が家の一汁三菜はこんなふうだ。

ご飯は、玄米か分づき米か白米を、その日の気分で。汁物は基本的に味噌汁。しっかり熟成した本物の味噌を使う。出汁も引く。主菜は、肉か魚をだいたい一日置きに。生野菜やボイル野菜をつけ合わせに添えることも多い。

副菜は、野菜や海藻、豆類などが中心だ。炒め物、煮物、煮浸しの登場頻度が高い。副々菜はぬか漬けと梅干し。時々、浅漬けや柴漬けなども手作りしている。

食材は、国産で旬のものを選び、できるだけ丸ごといただくようにする。いわゆる「一物全体」——大根やにんじんなら皮ごと使うというようなことだ。それとよく噛む。

ちなみに味噌汁の出汁は、料亭のように丁寧に引いたものではない。あらかじめ小さくカットしておいた昆布と煮干し五、六匹を鍋に放り込み、具材と一緒に煮るだけ。それで十分おいしい。煮干しごと食べてしまえば、カルシウムもとれる。無添加の出汁パックを使う日もあるし、たまにはだしの素を使うこともある。

副菜は週末にまとめて作り置きしておけば、平日は盛りつけるだけで済む。きんぴらごぼうにしろ、茄子の煮浸しにしろ、ひじきの煮物にしろ、三日から四日は冷蔵庫で保存しておける。

一汁三菜は体に良いのか

一汁三菜というか、和食が体に良いとされる理由は、栄養バランスだけではないらしい。

まず主食がご飯、つまりお米ということ。お米は腸への刺激が穏やかで、血糖値を急激に上げない。脳のエネルギーが安定供給されるため、気分が乱れにくい。朝食にパンを食べた日とご飯を食べた日を比べてみると、なんとなくイライラしにくくなる感覚がある。あながち気のせいではないのかもしれない。

味噌汁もいい。味噌は発酵食品だから、腸内環境を整える働きがある。腸は「第二の脳」という話を最近よく耳にするが、腸の状態は気分や感情に直結している。毎日の味噌汁一杯は、体だけでなく心の安定にも貢献してくれる。

そして漬け物。ぬか漬けを始めとする発酵した漬け物は、生きた乳酸菌の宝庫である。「腸活」という言葉はもはや耳にタコだが、毎日の食卓に漬け物が一品あるだけで、サプリメントなんかよりずっと手軽に腸内環境を整えることができる。

栄養学的な話をすればキリがないのでこのあたりでやめておくが、要するに一汁三菜とは、日本人が数百年かそれ以上かけて、自分たちの体に合う食事スタイルを探求し導き出したひとつの回答なのだと思う。

そのことは理屈より先に体が知っていた。一汁三菜を始めて、僕の体は一進一退という真っ暗なトンネルの果てにある光をようやく見つけ出したのだ。

続けるためのコツ

食卓相談で僕は一汁三菜を勧めることが多い。ところが挫折する人たちが一定数いる。聞いてみると、うまくいかない理由のほとんどが完璧にやろうとすることにあるようだ。

主食を玄米にしたけれど夫や子どもがいやがる、忙しくて副菜まで手が回らない、ぬか床がすぐだめになる——。別に麦ご飯でも白ご飯でもいい。副菜が作れないなら、スーパーの惣菜だってかまわない。漬け物は当面、浅漬けの素で十分だ。

大切なのは「形を守ること」ではなく、一汁三菜という食卓の「形を意識し続けること」にあるのではないだろうか。

スズメのさえずりを昔のように愛らしいと感じるようになった。犬の唸り声を聞いて「あれはラブラドールだな」と当たりをつけ、窓から外を見て「チワワかい」と笑えるようになった。

これが、一汁三菜が僕にくれたものだ。