また怒鳴ってしまった——哲学者三人に相談してみたら

ため息をつく女性

「いい加減にしなさい!」

その声が、自分でも驚くくらい大きかった。

子どもはびっくりして、泣いた。自分もなんだか泣きたくなった。寝かしつけたあと、暗い部屋でひとり、「またやってしまった」と天井を見つめる。

怒鳴ってしまったこと、ありますか。きっとあると思います。そしてそのあとで、怒鳴ったこと自体より、怒鳴った自分への嫌悪感のほうが長く残る——そんな経験、親ならだれでもあると思います。

今回は、三人の思想家にこの悩みをぶつけてみました。セネカ、ジャン=ジャック・ルソー、そして仏陀。三者三様の答えが返ってきましたので、どれかひとつ、今夜の枕元に持ち帰ってください。

セネカの答え:「怒りは、あなた自身を一番傷つけています」

まず登場するのは、古代ローマの哲学者・劇作家、ルキウス・アンナエウス・セネカ。ネロ皇帝の家庭教師を務めたこともある人物ですが、最終的にはそのネロに「死ね」と命じられ、自ら命を絶ちました。波乱万丈すぎる人生ですが、だからこそ「感情とどう向き合うか」については、誰よりも真剣に考え続けた人です。

彼はこう言うでしょう。

「怒りは、相手を傷つける前に、まずあなた自身を傷つけます。刃を振り上げた瞬間、一番深く切れるのは、振り上げた側の心なのです」

セネカは著書『怒りについて』の中で、怒りを「一時的な狂気」と呼びました。怒りに支配されている瞬間、人は自分の理性を失い、あとから後悔することを口にしてしまう。そしてその後悔が、次の怒りの種になる。

でもセネカは、怒ること自体を責めません。怒りは人間として自然な感情です。大切なのは、怒りが来たことに気づき、一呼吸置くこと。その一瞬の間が、あなたと怒りの間に小さな距離を作ってくれます。

怒鳴ってしまったあとで自分を責め続けることも、セネカに言わせれば同じことです。自己嫌悪もまた、あなた自身をじわじわと傷つける「静かな怒り」なのです。

はやま

怒鳴ってしまったあと、自分をそれ以上責めなくていいです。責め続けることは、第二の怒りです。「気づいた」だけで、今日は十分です。

ルソーの答え:「子どもは、小さな大人ではありません」

次に登場するのは、18世紀フランスの思想家、ジャン=ジャック・ルソー。「自然に帰れ」という言葉で知られ、近代教育思想の礎を築いた人物です。自身は五人の子どもを孤児院に預けたという、なかなか複雑な経歴の持ち主でもありますが(笑)、子どもの本質を見抜く目は本物でした。

彼はこう言うでしょう。

「あなたが怒鳴ってしまうのは、愛情がないからではありません。子どもに、大人と同じことを期待しているからです

ルソーは著書『エミール』の中で、「子どもは小さな大人ではない」と言いました。子どもには子どもとしての論理があり、感じ方があり、時間の流れ方がある。大人の「なぜこんなこともできないの」は、子どもの世界では的外れな問いかけかもしれない。

怒鳴ってしまう瞬間の多くは、「これくらいわかるはず」「もうできるはず」という期待が裏切られた瞬間です。でもその期待は、子どもではなく「大人としての子ども像」に向けられていたのかもしれない。

ルソーが親に求めたのは、高い教育技術でも完璧な忍耐力でもありませんでした。ただ、「子どもと一緒にそこにいること」。怒鳴ったあとで反省するエネルギーを、明日、ただ隣に座っているだけの時間に使う。それだけで十分合格点だと、彼は言うでしょう。

はやま

「なんでこんなこともできないの」と思った瞬間、「この子はまだ子どもなんだ」とひとこと添えてみてください。あなたの期待が小さくなるだけ、怒りの温度がすっと下がることがあります。

仏陀の答え:「慈悲は、自分にも向けていいのです」

三人目は、古代インドの思想家、ゴータマ・シッダールタ——仏陀です。2500年以上前の人物ですが、その教えは今も世界中で生き続けています。「慈悲」という言葉を聞くと宗教的に感じるかもしれませんが、今回はシンプルに、「自分への優しさ」という意味で受け取ってください。

仏陀はこう言うでしょう。

「他の誰よりも、あなた自身があなたの慈悲を必要としています

仏陀の教えの中心にある「慈悲」とは、他者の苦しみに寄り添い、その苦しみを和らげたいと願う気持ちのことです。でも仏陀はこうも言っています——。自分自身を愛せない人が、本当の意味で他者を愛することはできない、と。

怒鳴ってしまったあとで自分を責め続けるお母さんは、子どもへの慈悲は持っていても、自分自身への慈悲を忘れています。疲れ果てて、余裕をなくして、それでも毎日子どもと向き合っているあなたこそ、一番慈悲を向けてもらうべき存在ではないでしょうか。

「完璧なお母さんでなきゃ」という思いを、少しだけ脇に置いて。「今日も一日、生き延びた」——それだけで、十分なのかもしれません。

はやま

子どもに「大丈夫だよ」と言えるなら、今夜は自分にも同じ言葉をかけてあげてください。怒鳴ってしまったあなたも、十分よくやっています。

最後に葉山から:自分を許す一杯を、台所で

セネカ、ルソー、仏陀——三者三様の答えが出そろいました。どれかひとつ「そういう見方もあるか」と思えたなら、それで十分です。

さて最後に、台所の話をさせてください。

怒鳴ってしまったとき、体の中ではアドレナリンが出て、交感神経が張り詰めています。頭に血が上り、体は戦闘態勢のままです。そういうときに必要なのは、反省ではなく、まず体を落ち着かせること。

小松菜やキャベツなどの青菜を、できれば生に近い形で食べてみてください。たかぶった血の熱を冷まし、肝臓の疲れをほぐしてくれます。青汁として絞って飲むのもいい。面倒なら、翌朝の味噌汁に青菜をたっぷり入れるだけでも十分です。

ご飯にはごま塩をひとふり。ごまのカルシウムが「天然の精神安定剤」として神経のたかぶりをゆっくり鎮めてくれます。

そして、梅しょう番茶を一杯。番茶に梅干しを一個、生姜のすりおろしを少し、しょうゆを数滴。これだけです。梅のクエン酸が疲労を抜き、生姜が体を芯から温め、番茶の熱がきゅっと縮こまった罪悪感をじんわりと溶かしてくれます。

子どもが寝静まった暗い台所で、この一杯を自分のために淹れる。温かい茶碗を両手で包みながら、「今日も一日、生き延びた」と心の中でつぶやく。その「自分との和解」が、明日の朝、子どもの顔を見て「まあ、いいか」と笑える心のスペースを作ってくれます。

はやま

今夜は反省しなくていいです。台所で梅しょう番茶を一杯だけ、自分のために淹れてみてください。それが今日のあなたにできる、一番やさしいことです。