帰ってきたアルカリマン——アルカリ食という古くて新しい食事法

アルカリマン

ある冬の日、英国のセレブがSNSで一冊の本を紹介した。テーマはアルカリ食。このとき彼女はそうとは知らず、ひとつの健康ブームのスイッチを押していた。ハリウッドセレブのあいだでたちまち流行し、世界中がざわめいたのだ。

流行り廃りの激しいこの時代にあって、アルカリ食を実践する人はいまでも少なくない。流行以上の何かを人々がそこに感じているからだろう。

かくいう僕もブームに乗った一人だ。体調を崩していた時期などは徹底的に実践し、アルカリの男、アルカリマンをめざしていた。いまは頭の片隅に置いておく程度に落ち着いている。

それでもこの話が頭に残っているのは、野菜をたっぷり食べた翌日の軽さやジャンクフード後のだるさ——そんな曖昧な感覚にひとつの説明を与えてくれるからだ。

アルカリ食とは

アルカリ食は、百三十年以上も前に産声を上げた。スイスの生理学者が、こう言ったのが始まりだ。

——肉に含まれる硫黄が体の中で硫酸に変わり、体を酸性に傾ける。

硫酸。何やら物騒だが、ロジックは簡単である。

体をアルカリ性にするアルカリ性食品——野菜、果物、豆類、海藻、ナッツを積極的に摂って、酸性に傾ける酸性食品——肉類、魚介類、乳製品、穀類、加工食品、砂糖を控える。それだけで骨は丈夫になり、血圧が整い、痩せて肌がきれいになって、病気を寄せつけない体になる。これが推進派の主張である。

前にも書いたが、ここでいう酸とアルカリは、食品のピーエイチではない。食べ物が体内で代謝されたあとに残る老廃物がどっちかという話で、だから梅干しやレモンが優等生に分類される。

ここまで聞くと「完璧な健康法じゃないか」と思えるわけだが、実は栄養学の世界では一度、闇に葬られている。二〇世紀の栄養学者が「人間の体には自動調整機能が備わっていて、焼き肉を食べたから血液が酸性になることなんかない」といっせいにツッコミを入れたからだ。

反論は正論で、そのあとアルカリ性食品も酸性食品も栄養学の教科書から姿を消してしまった。

ただ話はここで終わらなかった。

酸性食品で酸性に傾くのは血液ではない

一九九〇年代、ある研究で、野菜や果物の多い食事ほど尿がアルカリ寄りになり、肉や穀物の多い食事ほど酸性寄りになることがわかった。つまり、肉ばかり食べていると血液は無事でも腎臓に負担がかかり、尿は酸性に傾く。野菜を食べればその負担が減る。

尿が酸性に傾くと、尿酸が溶けにくくなって痛風を起こしやすくなるし、結石だってできやすくなる。筋肉が落ちやすくなる、糖尿病にかかりやすくなるという報告もある。

こうしてアルカリ食は再評価されることになったのだ。

体は野菜をほしがっている

ただ、科学者たちが日夜、議論を戦わせているのを横目に僕は思う。理論の完璧さなど、僕たちの暮らしにおいては二の次でいいのではないか。

太古の昔、人類は食事の八割以上を野菜や果物、木の実といったアルカリ性食品に頼っていたという説がある。異論もあるようだが、少なくとも僕ら日本人の先祖はそうであった可能性が高いと僕は考えている。

してみると僕らの体は、何百万年もかけてアルカリ食に適応するようデザインされてきたということになる。

科学はいつも正しい顔をして僕たちを導き、時に前言を撤回し、ぐるぐる旋回しながら進んでいく。けれど複雑な理論の螺旋を一段登った先で僕たちが再会するのは、いつだって「野菜を食べたら、なんとなく体が軽い」というような、あまりに素朴な身体感覚なのだ。マクロビが中庸を勧めるのも、和食が世界から注目されるのも、こうした視点から見るとすとんと腹に落ちる。

だから僕は、今夜も肉料理の隣には生野菜をこんもりと盛る。理由なんか「体がそう言っているから」で十分だ。

どこかのセレブがいつかまたSNSで健康法を発信したとしても、今度は冷静に眺めているだろう。ブームのスイッチは存外、自分の体の中にもとからあるとわかったからだ。

 

厳密な計算はいらない。基本的な考え方はとてもシンプル。頭に置くのはざっくりした割合だけでいい。

  • アルカリ性食品(野菜、果物、豆類)と酸性食品(肉、穀物、加工食品)の比率を七対三くらいにする。「今日は肉が多かったから、明日は野菜をたっぷり」で十分。帳尻は一日でなく数日で合わせればいい。
  • 酸性食品を悪者にしない。たまのジャンクフードも人生の楽しみのひとつ。我慢のストレスも体には良くない。
  • 朝、青いものをひとつ。果物でも野菜でもスムージーでもいい。一日のアルカリバランスが、それだけでずいぶん良くなる。
  • 新鮮なものを選ぶ。野菜も果物も採れたてほど力がある。旬のものを生か軽い調理で。

我が家の食卓が一汁三菜に落ち着いたのも、たぶん同じ理由だろう。理論で選んだのではない。体が気持ちいいほうへ少しずつ寄せていったら、昔からある食べ方にかえっていたのだと思う。