世界で、日本人だけが食べている。——ごぼうと蓮根、根っこに宿る文化の話

ゴボウとレンコン

弁当を詰めるとき、きんぴらごぼうがあると少し安心する。

茶色くて地味で、見栄えもしない。でも弁当箱の隅に収まったきんぴらごぼうは、どこか頼もしい。冷めてもうまいし、翌日もうまい。飽きない。文句をいわれない。弁当の縁の下の力持ちだ。

ところで——。

ごぼうを食べる文化は、世界でほぼ日本だけだということをご存じだろうか。

根っこを食べる、という文化

ごぼうはキク科の植物で、原産地はヨーロッパからシベリアにかけての地域だ。つまり、もともとは西洋にもあった植物である。

ところが欧米では、ごぼうはほぼ雑草扱いか、せいぜい薬草として使われてきた。「根っこを食べる」という発想が、文化として根づかなかった。明治時代に来日した西洋人が、日本の台所でごぼうを見て驚いたという記録が残っている。「なぜあの細い根を食べるのか、まるで理解できない」と。

日本にごぼうが伝わったのは奈良時代、中国から薬草として入ってきたのが始まりとされる。それが平安時代には食用として定着し、江戸時代に庶民の台所へ広まった。千年以上かけて、根っこを食べる文化が育った。

ちなみに「きんぴらごぼう」の「きんぴら」は、江戸時代に人気だった歌舞伎の登場人物、坂田金平(さかたのきんぴら)からきている。金太郎の息子という設定の、とびきり力持ちの豪快な若者だ。ごぼうのように歯ごたえがあって力強い、という意味で名前が借用された。

地味な炒め物に、案外ドラマチックな名前がついている。

下町の煮込みと、ごぼうの仕事

浅草に近い下町に住むようになってから、煮込みをよく食べるようになった。

ビートたけしの「浅草キッド」という曲がある。浅草という土地の空気を、あれほど正確に歌った曲はないと思う。歌詞に出てくる鯨屋の煮込みが頭から離れず、ホッピー通りの煮込み屋にふらっと入ったのがきっかけだった。初めて食べてみて、思った。これはうまい。

それからは自分でもつくるようになった。もつ、こんにゃく、豆腐、大根、人参、そしてごぼう。ごぼうを入れると、煮込みが締まる。独特の香りと土の風味が、もつの臭みを消し、全体に奥行きを与える。ごぼうがないと、何かが足りない。

江戸時代から変わらない知恵だ。ごぼうのアク(タンニン)と香り成分が、獣の臭みをやわらげる。冷蔵庫も消臭剤もなかった時代に、日本人はごぼうでそれをやっていた。

はやま

ごぼうは切ったらすぐ水にさらしてアク抜きを——というのが定番ですが、煮込みやきんぴらなど「風味を活かしたい料理」では、さらしすぎると香りも一緒に逃げてしまいます。用途によって加減を変えてみてください。

ごぼうは、腸の掃除屋だった

ごぼうには「イヌリン」という食物繊維が豊富に含まれている。イヌリンは腸内の善玉菌のエサになるプレバイオティクスで、腸内環境を整える働きがある。

食物繊維の量は野菜のなかでもトップクラスだ。「ごぼうを食べると腸が動く」という感覚は、気のせいではない。

日本人が千年以上かけてごぼうを食べ続けてきたのには、栄養学的な理由もあったのだと思う。名前もつけられないまま、体が「これは必要だ」と知っていた。森林浴とアーシングと、同じ構造だ。理屈より先に、体が答えを出していた。

蓮根の穴は、未来を見通す

蓮根はハスの地下茎だ。泥のなかで育ち、あの独特の穴あき模様の断面が現われる。

おせち料理に蓮根が入るのは、穴が空いていることで「将来の見通しがきく」という縁起を担ぐため。ただの語呂合わせのようでいて、泥のなかから清らかな花を咲かせるハスという植物そのものが、日本人にとって特別な意味を持ってきた。仏教では清浄の象徴。どんな泥のなかでも、咲くべき花は咲く。

蓮根を食べるのも、日本・中国・ベトナムなどアジア圏の文化だ。西洋には根づかなかった。泥のなかの根を食べる、という文化が、アジアの土壌に育ったのかもしれない。

はさみ揚げは却下、チップスは正解

蓮根のはさみ揚げを娘のためにつくったことがある。ひき肉を蓮根で挟んで揚げる、手間のかかるひと品だ。

反応は薄かった。

お蔵入りになったが、薄くスライスして素揚げにした蓮根チップスを出したら、ぱくぱく食べた。ごぼうのかき揚げも喜ぶ。

なるほど、と思った。素材の力は、シンプルな調理のほうが伝わることがある。手を込めると、かえって素材が見えなくなる。風邪の日のお粥と、同じかもしれない。

はやま

蓮根チップスは、薄くスライスして170度の油でじっくり揚げ焼きにするだけ。塩をひとつまみ振れば完成です。ごぼうのかき揚げは、ささがきにして天ぷら粉をさっとまぶして揚げます。どちらも子どものおやつにも、大人のビールのつまみにも(笑)

根っこを食べる民族の、静かな誇り

地上に咲く花や実ではなく、土の中に伸びた根を掘り起こして食べる。

地味な話である。見た目も地味、色も地味、料理の主役にもなりにくい。でもごぼうも蓮根も、日本の食卓からなくなったことは一度もない。弁当に入り、煮込みに入り、おせちに入り、筑前煮に入り、千年以上静かに居続けた。

西洋人が「なぜ根っこを食べるのか」と首をかしげるなか、日本人はずっと、根っこの味を知っていた。

今朝も弁当箱の隅に、きんぴらごぼうを詰める。茶色くて地味な、でも頼もしい一品を。

はやま

根菜は皮の近くに栄養と風味が凝縮しています。ごぼうはたわしで軽くこする程度、蓮根は薄くむく程度で十分。むきすぎるともったいない。身土不二の考え方でいえば、土の中で育ったものは土とともに食べる、くらいの感覚でちょうどいいと思います。