ぜんぶまとめて、きのこ——娘のきのこ嫌いと、父の舞茸

きのこのある食卓

ふんふん、ふふん——。鼻歌を歌いながら、サンマに切れ込みを入れていく。今夜は炊き込みご飯だ。背後の炊飯器から、しめじの甘い香りがふわりと立ちのぼる。

「ただいま」

廊下から声がした。娘が帰ってきた。

娘は台所の脇を通るとき一瞬だけ鼻をひくつかせ、すたすたと速足でリビングへ向かう。「おかえり」と声をかけるが、返事はない。鞄を置くなり、何も言わずに窓を全開にし始めた。

無言の抗議である。

娘は、きのこが大嫌いなのだ。

保育園の頃、食卓でこんな話をしてくれたことがある。

給食のしめじがどうしても食べられず、他の子たちが食べ終わったあとも、一人だけ机と給食ごと廊下に出されて、しめじとにらめっこさせられた。半べそをかきながら、少しずつ嚙んでは牛乳で流し込んだそうだ。

娘はぷんぷん怒りながら語っていた。「ひろこ先生は意地悪だ」というのが、当時からの娘の一貫した主張である。

偏食のある子が最後まで廊下で食べさせられているという話は、それ以前から聞いていた。娘の保育園は、出されたものは残さず食べるという指導方針だったのだ。

そこへ異議を唱えるつもりはない。ただ、子どもがきのこを避けるのは、毒の可能性があるものを警戒する本能だという説がある。大人になれば自然と食べられるようになるものを、廊下で無理強いされたせいで、苦手意識が骨の髄まで染みてしまったのだとしたら、ずいぶんと高くついた食育である。

娘は高校生になったいまも、頑としてきのこを拒絶している。その一方で、父親の僕は、きのことの蜜月を続けている。

しめじ

しめじを袋から出した瞬間、繊細で甘く、どこか気品のある香りがふわっと立ち上がる。鶏もも肉にごぼう、にんじん、油揚げ、それにしめじを合わせて炊くご飯は、何度食べても頬が落ちそうになる。秋口から冬にかけて、我が家では月に数度は食卓にのぼる。

もちろん娘は食べてくれない。僕の茶碗を見るのもいやなようだ。毒きのこでも見たかのように眉間にしわを寄せ、顔を背けて白ご飯をつついている。

そんな娘を前にして、実は僕には強く出られない事情がある。

舞茸

白状すると、僕にも長らく苦手なきのこがあった。舞茸である。香りも食感も、遠慮というものがない。しめじとちがって、自己主張の強いきのこなのだ。

あるとき、嬬恋村つまごいむらに温泉旅行に行った。宿の近くの店に「名物」と書かれた看板が出ている。舞茸の天丼である。

——せっかくの名物だし、この機会を逃せばもう食べることはないかもしれない。

そう思って頼んでみたら、特大の舞茸がどっさりと乗った豪快などんぶりが出てきた。一口食べて、こう思った。

——やっぱり好きではないな。

ところがその数年後、妻がスーパーで買ってきた小ぶりの舞茸を見て、嬬恋の天丼を思い出した。なんとなく天ぷらにして、沖縄の天然塩だけで食してみた。飛び上がるほどうまかった。慌ててめんつゆを作り、それに浸していただく。これまた美味なのだ。

いったいこれまでの舞茸はなんだったのか。味覚が変わったのか、舞茸が品種改良でもされたのか。誰に強いられたわけでもないのに、僕の舌はある日、勝手に舞茸を受け入れていた。

なめこ、えのき、エリンギ

なめこの食感が苦手な子どもは多いが、大人になるとあれが恋しくなる。冬は湯気の立つ味噌汁に、夏はさっぱりとなめこおろしにする。年齢を重ねるほどに味わいの増すきのこである。

えのきは、あのシャクシャクした歯ざわりが好き嫌いを分けるらしい。妻は、きのこの中でえのきがいちばん好きだという。だから冬に一人鍋をするとき、妻の鍋にだけえのきが入る。

エリンギは、僕の子ども時代には存在しなかった。もともとヨーロッパなどに自生するきのこで、一九九〇年代に国内で人工栽培の技術が確立され、一気に食卓へ広まった。いわば平成生まれの帰化きのこである。クセがなくて、きのこが苦手な人でも案外いける。それならうちの娘はどうかというと、やっぱり拒絶している。

新参だろうが古参だろうが、娘にとってはぜんぶまとめてきのこなのだ。

娘がきのこを食べるその日まで

今日も娘は、きのこを親の仇のように毛嫌いしている。

でも僕は焦っていない。こちらには舞茸の一件がある。干し椎茸とのあいだに冷却期間が必要だった時期もある。人の味覚は、長ずるに従ってゆっくりと変わっていくものだ。ある日ふいに食べられるようになっていたり、気がつけば好きになっていたりする。廊下に机を出して、急かしてみても仕方がない。

娘もいつか、きのこを口にする日がやって来るかもしれない。来ないかもしれない。

その日まで、いや、それ以降も、僕は僕のためにしめじの炊き込みご飯を炊き続けようと思う。