だいぶ昔の話だが、物の本で椎茸を使った健康法を知った。
その当時、仕事が立て込んでいて、食事は乱れ、慢性的な寝不足にも陥っていた。体が重い。気分が重い。人は弱っていると思いのほか素直になる。血液浄化の四文字を見た瞬間、心がそちらへ傾いた。
本によると、椎茸はなかなかの働き者だった。自然療法の世界では、血液を浄化し、体質を整える副食として昔から重宝され、胃弱や鼻炎、さらにはがんの再発予防にまで役立つといわれていた。
薬膳や漢方の目で見ても、気や血の巡りを良くし、胃腸を助けてくれるという。さらにマクロビでは、動物性食品や砂糖で汚れた血をきれいにし、余分な脂肪やコレステロールを分解する、頼れる食材とされていた。頭痛にも肩こりにも不眠にもいい。効能書きは、途切れる気配がなかった。
こういう昔ながらの知恵を、僕は昔からわりと信じるほうだ。科学的なエビデンスがないというのは「まだ確認されていない」というだけで、「まちがっている」という意味ではない。長い年月、多くの人が体で確かめ言い伝えてきたことにはそれなりの重みがある。
とはいえ、弱っていた当時の僕がいささか都合よく信じすぎたのも、これまた事実であった。椎茸って、なんだかすごいな——そう思ったら、いますぐ試してみたくなっていた。
椎茸スープ
選んだのは椎茸スープだった。
鍋に干し椎茸を五枚、水を六百ミリリットル入れて、中火で三十分。煮汁が半分に減ったら椎茸を取り出して、醤油で味を調えて飲む。食養の世界では万病のもとを血の汚れと考える。乱れた食生活でどろどろになっているであろう血液を椎茸が浄化してくれることを期待した。
ただ、三十分も鍋の番をするのは骨が折れた。さらにもっと厄介な問題が持ち上がった。
毎日五枚、出汁を取り終えた椎茸が残るのだ。煮出したあととはいえ、まだ食べられる。もったいないから食べる。ところが五枚は多い。翌日また五枚。椎茸が冷蔵庫でじわじわ増えていく。健康になる前に椎茸の在庫に押しつぶされそうになった。
干し椎茸の水出し
そこで水出しに切り替えた。コップに干し椎茸をひとつ入れて水を注ぎ、一晩おいて、翌朝その水を飲む。使う前にベランダで数時間、日に当てるのも忘れない。市販の干し椎茸は大抵、熱風で乾かすので、日差しを浴びていないのだ。椎茸のエルゴステロールは日光を浴びるとビタミンDに変わる。カルシウムを骨に届け、体を守ってくれる栄養である。
続けていると、なんとなく体が軽くなって気分も上向いてきた。効いている気がした。そう思うとやめられない。風邪ひとつひかない体になってやろうと、僕はいよいよ本腰を入れた。
半年、毎朝欠かさず飲み続けた。
半年後に起きたこと
結果を言おう。
椎茸が嫌いになった。
飲むどころか、においを嗅ぐのもいやになった。困ったのは、妻の餃子だ。刻んだ干し椎茸が入っているのだ。その香りが鼻をかすめるだけで、僕はうっとなるようになってしまったのだ。半年前まであれほど頼もしく思えた椎茸がだ。
ちなみにその半年のあいだ、風邪は一度もひかなかった。効いていたのかもしれない。でも風邪をひかない代わりに、僕は椎茸を失ったのだ。何のための健康法だったのか、いまもってよくわからない。
体は正直だ。頭がいくら「これは体にいい」と信じても、度を越せば先に音を上げる。僕の場合、それは鼻だった。理屈をこねる頭より、においを嗅ぐ鼻のほうがよほど早く「もう十分だ」と知っていたのだ。
良い薬も、過ぎれば毒になる。昔の人は椎茸の効能とセットで、たぶんそのことわりも言い伝えてきたはずだ。うっかり効能書きだけ真に受けて、肝心なところを聞き漏らしていたのだろう。
椎茸をまた普通に食べられるようになったのはごく最近のことだ。妻の餃子もうまい。何事もほどほどがいちばんなのだった。
干し椎茸のうま味はグアニル酸で、昆布のグルタミン酸、かつお節のイノシン酸と並ぶ三大うま味のひとつだ。とりわけグアニル酸は、干し椎茸以外にはめったに含まれない。他のうま味と合わせると、掛け算のように風味がふくらむ。
使う前には、傘の裏のひだを上にして数時間ほど日に当てると、ビタミンDが増える。水で洗うと香りも栄養も流れてしまうので、汚れは固く絞った布巾で拭き取る程度に。
出汁を取るときは煮立てず、六十度から七十度を保つように火を通すとうま味がよく出る。
だてに半年、毎朝飲んでいたわけではないのである。
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