卵を割ったら、茶碗に雛が落ちてきた——有精卵と無精卵、平飼いとケージ飼い

鶏舎

子どもの頃、卵かけご飯が大好物で、三日にあげず食べていた。

白いご飯の上に生卵をつるんと落とし、醤油を垂らす。箸でぐるぐる勢いよくかき混ぜてから、黄色く泡立った白米をずるずるっとかっ込む。

料理と呼ぶほどたいしたものではない。けれど何度食べても飽きがこない。母はいつも生協で有精卵を買っていたから、卵そのものが特別なものだったのかもしれない。

ある日のことだ。

いつものように卵を割ったら、茶碗の上にほとんど雛になりかけた物体がどろりと転がり落ちてきた。白く濁った大きな目玉が僕を見ていた。くちばしがわずかに動いた気がした。

——もうちょっとで生まれるとこやったんや。まさか食べる気か?

そのあとのことはよく覚えていないが、ひとつ確かなのは、あれほど好きだった卵かけご飯がしばらく食べられなくなったことだ。

大人になって、焼き鳥屋でスズメの丸焼きなどを平気で食すようになったが、それでも卵を割ると時々、あの日を思い出す。

有精卵と無精卵

とはいえ、いまや市販の卵のほとんどが無精卵である。無精卵をどれだけ温めたところで雛にはならない。

有精卵というのは、雄と一緒に飼育されている雌が産む卵だ。受精しているから雛がかえる。あの朝、茶碗に落ちたのはまさにこれ。

どっちがうまいかと聞かれたら、僕は有精卵と即答する。根拠はないが、無精卵で作る卵かけご飯は、子ども時代に食べていたものとは何かが決定的にちがう気がするのだ。

ただ有精卵にはさらにもうひとつ、苦い思い出がある。

父方の本家は農家で、猫の額ほどの中庭で数羽の鶏を飼っていた。烏骨鶏だったか他の地鶏だったか——。子どもの僕にはよくわからなかったけれど、茶色くて痩せていて、とにかく凶暴なやつらだった。

本家は自転車で行ける距離にあった。従兄と従姉が住んでいたからよく遊びに訪れた。あるとき従兄が鶏舎内に卵があるのを発見し、いきなり扉を開け放った。「待って」という間もなかった。

二羽が低い姿勢で従兄の脇をすり抜け、外へ転がり出た。狙いは、縄張りを侵したよそ者である。そのまま僕に向かって突進し、羽をバサバサいわせて飛びかかってきた。

両腕で顔面をガードしながら、僕は壁際へと追いつめられていった。縁側では小柄な祖父が背中を丸めて煙管を吹かしていた。無表情でこちらを見ている。祖母がいないと何もできず、内風呂があるのに毎夕ドラム缶風呂を沸かす。祖父は、子どもの僕にはちょっと変わった人に見えていた。助けを求めても、きっと何もしてくれない。
地鶏に襲われる恐怖たるや、子どもにはいかほどのものか。威勢よく吠えるだけの野良犬なんかよりよほど怖かった。

僕の叫び声に気づいて、従兄がすぐあいだに入ってくれた。器用な手つきで二羽を小脇に抱え、鶏舎に投げ込んだ。そうして半べそをかいている僕を慰めてくれた。いまなら参鶏湯さむげたんにしてやるところだが、子どもの頃は我ながら意気地がなかった。従兄がそのあと、彼が大事にしていたスーパーカー消しゴムをくれたこともセットで覚えている。

話が逸れたが、何が言いたいかというと、そのとき従兄が作ってくれた目玉焼きのうまさである。格別だったのだ。同時に僕は初めて、冷蔵庫に並ぶ卵が、縄張り意識の強い、神経質な生き物の子どもだと身をもって知ったのだった。

ケージ飼い、GMO飼料、値上がり

庭で鶏を飼い、餌をやって卵をもらう——。昔はごく当たり前の暮らしだった。それがいつからか特別なものになり、いまでは有精卵を店で見かけることもほとんどなくなってしまった。

現在の養鶏の主流は、ケージ飼いだ。一羽ずつケージに入れて飼う方式で、効率が良く、生産コストも低い。半面、過密飼育により鶏がストレスを受けやすいうえ、ひとたびウイルス感染などが起きると即座に鶏舎全体にそれが広がるといった問題も指摘されている。

その対極にあるのが、鶏が地面で自由に動ける平飼いだ。地面で草や虫をついばんで育った鶏の卵は、ビタミンAやE、オメガ3脂肪酸が多いことで知られ、味わいは濃厚でコクがある。卵かけご飯やすき焼きなど、卵を生で食べるとき、僕はこちらを選ぶようにしている。

飼料も昔とはずいぶん変わった。いまや大半が輸入トウモロコシである。しかもほとんどが遺伝子組み換えである。他の家畜も同じ状況で、僕ら消費者にはどうしようもない部分がある。

卵を取り巻く状況は、この数十年で大きく様変わりした。鳥インフルエンザの影響もあって、価格も大幅に上がっている。

卵は完全栄養食

とはいえ、卵がたんぱく質や脂質、ビタミン、ミネラルがバランス良くそろう、優秀な食材であることには変わりがない。我が家でも出汁巻きやチーズオムレツ、茶碗蒸し、卵とじ、目玉焼きと毎日のように食卓にのぼる。

思えば、孵化直前の雛と見つめ合ったあの朝から、もう何十年も経った。いまでも僕は時々、卵かけご飯を食べている。

いつか庭で鶏を飼うのが、ささやかな夢だ。自分で育てた鶏の、産みたての卵を割ってご飯の上に落とす。醤油を垂らし、ぐるぐるとかき混ぜるのだ。いまから楽しみでしょうがない。

雛の目玉とふたたび見つめ合うことになるかもしれない。でもそれはそれで楽しみである。今度は焼き鳥にでもするだろう。参鶏湯にするにはちょっと小さすぎるから。